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JCRRAG_001201
国語
バベルの塔 (1) 男がすんでいる町のはずれに、小さな塔があった。 いつのころからか、その塔には数人の聖職者が住み始めた。 彼らは「自由」と「正義」以外に教義をもたない教団らしい。 町の何人かの人達は、彼らの教義に共感して聖職者の塔に入っていった。 その中に男の友人の姿もあった。 ある日、聖職者の塔から逃げ出してきた男の友人が、男の家に駆け込んだ。 「助かった。危うく処刑されるところだった。 今朝、私は台所にいた鼠がパンをかじっていたので叩き殺したのだが、 聖職者の塔の連中から、それは罪だと責め立てられたのだ。 無論、彼らに鼠を殺してはならぬというという教義はないのだが、 声の大きい者がその行為を非難すれば、たちどころに皆がその...
男の息子はどこに通っていますか?
男の息子は聖職者の塔に通っています。
JCRRAG_001202
国語
バベルの塔 (1) 男がすんでいる町のはずれに、小さな塔があった。 いつのころからか、その塔には数人の聖職者が住み始めた。 彼らは「自由」と「正義」以外に教義をもたない教団らしい。 町の何人かの人達は、彼らの教義に共感して聖職者の塔に入っていった。 その中に男の友人の姿もあった。 ある日、聖職者の塔から逃げ出してきた男の友人が、男の家に駆け込んだ。 「助かった。危うく処刑されるところだった。 今朝、私は台所にいた鼠がパンをかじっていたので叩き殺したのだが、 聖職者の塔の連中から、それは罪だと責め立てられたのだ。 無論、彼らに鼠を殺してはならぬというという教義はないのだが、 声の大きい者がその行為を非難すれば、たちどころに皆がその...
塔は増設を続けてどうなりましたか?
塔は増設を続けてみるみるうちに高くなり、町全体を見下ろせるようにまでなりました。
JCRRAG_001203
国語
バベルの塔 (1) 男がすんでいる町のはずれに、小さな塔があった。 いつのころからか、その塔には数人の聖職者が住み始めた。 彼らは「自由」と「正義」以外に教義をもたない教団らしい。 町の何人かの人達は、彼らの教義に共感して聖職者の塔に入っていった。 その中に男の友人の姿もあった。 ある日、聖職者の塔から逃げ出してきた男の友人が、男の家に駆け込んだ。 「助かった。危うく処刑されるところだった。 今朝、私は台所にいた鼠がパンをかじっていたので叩き殺したのだが、 聖職者の塔の連中から、それは罪だと責め立てられたのだ。 無論、彼らに鼠を殺してはならぬというという教義はないのだが、 声の大きい者がその行為を非難すれば、たちどころに皆がその...
聖職者の教団の教義は何ですか?
聖職者の教団の教義は「自由」と「正義」です。
JCRRAG_001204
国語
バベルの塔 (1) 男がすんでいる町のはずれに、小さな塔があった。 いつのころからか、その塔には数人の聖職者が住み始めた。 彼らは「自由」と「正義」以外に教義をもたない教団らしい。 町の何人かの人達は、彼らの教義に共感して聖職者の塔に入っていった。 その中に男の友人の姿もあった。 ある日、聖職者の塔から逃げ出してきた男の友人が、男の家に駆け込んだ。 「助かった。危うく処刑されるところだった。 今朝、私は台所にいた鼠がパンをかじっていたので叩き殺したのだが、 聖職者の塔の連中から、それは罪だと責め立てられたのだ。 無論、彼らに鼠を殺してはならぬというという教義はないのだが、 声の大きい者がその行為を非難すれば、たちどころに皆がその...
聖職者の塔では全員何を着ていますか?
聖職者の塔では全員顔の覆われた法衣を着ています。
JCRRAG_001205
国語
前線都市 AfterNotes 第1章 重峰イノリという機構について 第1章 第1節「Prologue」    彼らは、よく晴れた夏の日に訪れた。  かつて日本と呼ばれていた島国の、工業地帯が広がる田舎町。その中央に、突如として地下深くまで続く大穴が開いたのだ。地盤沈下か、あるいは埋め立て工事の際に欠陥があったのかと、政府が調査計画を立て始めたころ。彼らはずるりと穴の中から這い出した。  怪物らしさはそのままに輪郭だけ人間に似せたような歪な容姿。おぞましい呻き声。人知を超えた異能力。なにより、手当たり次第にヒトを食い荒らす凶悪性。  その「外敵」を恐れた人々は現代科学の総力を上げてとある「生体兵器」を作り出し、外敵諸共封じ込める...
中央に、突如として地下深くまで続く大穴が開いたのはどんな町ですか?
かつて日本と呼ばれていた島国の、工業地帯が広がる田舎町に、地下深くまで続く大穴が開きました。
JCRRAG_001206
国語
 真夏のある日、起きたら出目金が消えていた。ゆらゆらと二匹の赤い金魚が泳ぐその水槽の、水草もどきのプラスチックの陰に、かすかに元の姿を想像できる、透明な骨のようなものが沈んでいた。その骨もいつしかどこかへ見えなくなった。  私は、朝起きて、洗濯をして、食事の支度をして二人分の弁当を詰める。二匹の金魚に餌をやり、九時から三時のパートを終えて、更衣室で世間話をして職場を後にする。買い物をして、干してある洗濯ものを片付けて、軽く掃除。夕飯の支度をして、お風呂を沸かして、金魚の餌。  悠々と泳ぐ金魚は、金魚を食べた金魚。憎々しさをおぼえながら、それでも毎日毎日餌をやり続ける。夕暮れ空のような朱色は時おり光を反射して金色に輝く。そうして世...
何匹の金魚が小さくなった水槽で傷つきましたか?
二匹の金魚が小さくなった水槽で傷つきました。
JCRRAG_001207
国語
ぼくの家は台地にあった。母によれば由緒ある旧家ということで、樹木の生い茂った敷地はかなり広い。ぼくは、鍵のかかっていない勝手口から入る。クーラーボックスを台所におくと、エプロンをして、さっそく魚をさばきにかかる。  新鮮なうちに下ごしらえをすれば、いたみもなく、いろいろな料理にできる。ぼくのたったひとつのとりえは、料理が好きで、幾分器用なところだろう。手際よくさばき、最後の魚の腹に包丁を入れた時にカチッと刃が何かにあたった。 「ん?」  ぼくは出刃で、そろそろと白い腹を探りながら、開いていく。  刃にあたったのは指輪だった。おおっ! つまんでみると、裏にはアルファベットが刻んである、本物っぽいではないか。マリッジリングだ!  ぼくは...
ぼくは魚を何にすることにしましたか?
ぼくは魚を半分は煮付けに半分はマリネにすることにしました。
JCRRAG_001208
国語
私の記憶は私の四歳頃のことまでさかのぼることができる。その頃私は、私の生みの親たちと一緒に横浜の寿町に住んでいた。 父が何をしていたのか、むろん私は知らなかった。あとできいたところによると、父はその頃、寿警察署の刑事かなんかを勤めていたようである。 私の思出からは、この頃のほんの少しの間だけが私の天国であったように思う。なぜなら、私は父に非常に可愛がられたことを覚えているから……。 私はいつも父につれられて風呂に行った。毎夕私は、父の肩車に乗せられて父の頭に抱きついて銭湯の暖簾をくぐった。床屋に行くときも父が必ず、私をつれて行ってくれた。父は私の傍につきっきりで、生え際や眉の剃方についてなにかと世話をやいていたが、それでもなお気に入...
父は、私に物を食べさせる時、どのようにして与えていましたか?
父は、私に物を食べさせる時、肉は食べやすい程度に小さくむしり、魚は小骨を一つも残さず取り除き、ご飯やお湯は必ず一度自分の舌で味わって、熱すぎた場合は根気強く冷ましてから与えていました。
JCRRAG_001209
国語
私が六つの年の秋頃だった――その間私は、私たちの家がむやみに引越したということだけしか覚えていない――私たちの家に、母の実家から母の妹が、だから私の叔母がやって来た。叔母は婦人病かなんか患っていたが、辺鄙な田舎では充分の治療が出来ないというので、私たちの家から病院に通うためだった。  叔母はその頃二十二、三であったろう。顔立ちの整った、ちょっとこぎれいな娘だった。気立てもやさしく、する事なす事しっかりしていて、几帳面で、てきぱきした性質であった。だから人受けもよく、親たちにも愛せられていたようでもある。だが、いつの間にかこの叔母と私の父との仲が変になったようである。  父はその頃、程近い海岸の倉庫に雇われて人夫の積荷下荷をノートにと...
叔母がやって来たのは、私がいくつの年の秋頃でしたか?
叔母がやって来たのは、私が六つの年の秋頃でした。
JCRRAG_001210
国語
ぼくの家は台地にあった。母によれば由緒ある旧家ということで、樹木の生い茂った敷地はかなり広い。ぼくは、鍵のかかっていない勝手口から入る。クーラーボックスを台所におくと、エプロンをして、さっそく魚をさばきにかかる。  新鮮なうちに下ごしらえをすれば、いたみもなく、いろいろな料理にできる。ぼくのたったひとつのとりえは、料理が好きで、幾分器用なところだろう。手際よくさばき、最後の魚の腹に包丁を入れた時にカチッと刃が何かにあたった。 「ん?」  ぼくは出刃で、そろそろと白い腹を探りながら、開いていく。  刃にあたったのは指輪だった。おおっ! つまんでみると、裏にはアルファベットが刻んである、本物っぽいではないか。マリッジリングだ!  ぼくは...
今川焼き屋は、指輪に彫られている蛇は何をくわえていると言いましたか?
今川焼き屋は、指輪に彫られている蛇は今川焼きをくわえていると言いました。
JCRRAG_001211
国語
 私の三つの時の七月に母は霍乱で死んだ。それ以来私は祖母の手に育てられた。私のうちには父母の外に祖母と曾祖母がいた。母がなくなってからはこの二人のばばが私を育ててくれたのであるが、就中祖母は我が子のように可愛がってくれた。私も『おばあさん、おばあさん』といってなついていた。夜は床に入ってから寝着くまで祖母の乳を吸うていた。何も出ないのであるがこれを吸わねば寝着かれなかった。牛乳の無かった時代だから定めて私を育てるのに骨が折れたことであろう。  私は悪い癖があった。それは寝ていて糞をたれることで、このために時々夜半に祖母達が大騒ぎをした。その糞騒ぎの真最中に泥棒が這入ったことがあった。これは私の四つか五つの時であった。この賊は私の祖父...
母は「私」がいくつの時に何で死にましたか?
母は「私」が三つの時に霍乱で死にました。
JCRRAG_001212
国語
 本誌の読者は「夫婦百景」の筆者獅子文六が、同時に岩田豊雄であることぐらいはご承知であろう。その夫人静子さんが、急な病いで亡くなられた。四十四歳といえば、まだ人生を終るには早く、夫君が今後ますます多くの傑作を書かねばならぬように、夫人もまた、将来にさまざまな期待と希望とを抱いて、この春を迎えようとしていたにちがいない。  私は岩田君ともっとも親しい友人の一人として、この不幸を正視することができないくらいである。まして、いま、この不幸について公けに語ることは、いかにもその時機でないような気がするのだが、本誌の編集者は、強引に、そして巧妙に私を説き伏せた。私は、一方にためらう自分を励ましながら、すこしでも書くに値する一文を、岩田夫人のた...
岩田夫妻の結婚披露式はどこで行われましたか。
岩田夫妻の結婚披露式はある神社の会館で行われました。
JCRRAG_001213
国語
 本誌の読者は「夫婦百景」の筆者獅子文六が、同時に岩田豊雄であることぐらいはご承知であろう。その夫人静子さんが、急な病いで亡くなられた。四十四歳といえば、まだ人生を終るには早く、夫君が今後ますます多くの傑作を書かねばならぬように、夫人もまた、将来にさまざまな期待と希望とを抱いて、この春を迎えようとしていたにちがいない。  私は岩田君ともっとも親しい友人の一人として、この不幸を正視することができないくらいである。まして、いま、この不幸について公けに語ることは、いかにもその時機でないような気がするのだが、本誌の編集者は、強引に、そして巧妙に私を説き伏せた。私は、一方にためらう自分を励ましながら、すこしでも書くに値する一文を、岩田夫人のた...
岩田夫妻の結婚披露式は何年前に行われましたか。
岩田夫妻の結婚披露式は十五年前に行われました。
JCRRAG_001214
国語
 本誌の読者は「夫婦百景」の筆者獅子文六が、同時に岩田豊雄であることぐらいはご承知であろう。その夫人静子さんが、急な病いで亡くなられた。四十四歳といえば、まだ人生を終るには早く、夫君が今後ますます多くの傑作を書かねばならぬように、夫人もまた、将来にさまざまな期待と希望とを抱いて、この春を迎えようとしていたにちがいない。  私は岩田君ともっとも親しい友人の一人として、この不幸を正視することができないくらいである。まして、いま、この不幸について公けに語ることは、いかにもその時機でないような気がするのだが、本誌の編集者は、強引に、そして巧妙に私を説き伏せた。私は、一方にためらう自分を励ましながら、すこしでも書くに値する一文を、岩田夫人のた...
四十四歳は、何を終えるには早いですか。
四十四歳は、人生を終えるには早いです。
JCRRAG_001215
国語
場所 私は普通のよく居るサラリーマンである。 毎月の給料も貰え、なに不自由なく日々を暮らしている。 しかし私は自分には居場所がないことをよく感じるのだ・・・。 会社で確かに働いてはいるのだが、それも別に私でなければならないというわけでもなく、とって替われる人が居るから別に・・・・。 会社での私の扱いはそんなものであった。 このままでいいのだろうか・・・・。 私以外にもこのようなことで悩んでる人はたくさんいるのだろう。だから仕方ない。 しかし私は仕方ないでこのまま終わらせたくはなかった・・・・。 自分の居場所とはなんだろう。会社で必要とされること?友達や仲間が多いこと?彼女がいること? いくつもの事柄が私の頭の中で、...
いくつもの事柄が誰の頭の中で、クルクルと回り始めますか?
いくつもの事柄が私の頭の中で、クルクルと回り始めます。
JCRRAG_001216
国語
 ある春の夕、Padre Organtinoはたった一人、長いアビト(法衣)の裾を引きながら、南蛮寺の庭を歩いていた。  庭には松や檜の間に、薔薇だの、橄欖だの、月桂だの、西洋の植物が植えてあった。殊に咲き始めた薔薇の花は、木々を幽かにする夕明りの中に、薄甘い匂を漂わせていた。それはこの庭の静寂に、何か日本とは思われない、不可思議な魅力を添えるようだった。  オルガンティノは寂しそうに、砂の赤い小径を歩きながら、ぼんやり追憶に耽っていた。羅馬の大本山、リスポアの港、羅面琴の音、巴旦杏の味、「御主、わがアニマ(霊魂)の鏡」の歌――そう云う思い出はいつのまにか、この紅毛の沙門の心へ、懐郷の悲しみを運んで来た。彼はその悲しみを払うために、...
Organtinoは何を引きながら、南蛮寺の庭を歩いていましたか?
Organtinoは長いアビト(法衣)の裾を引きながら、南蛮寺の庭を歩いていました。
JCRRAG_001217
国語
 ビーズは透明な赤、青、緑、黄の四色。ワイヤーをぐるぐる巻きにしたトンボの眼鏡のような直径一センチほどの目が赤い顔につけられていて、左右の目の位置が上下にずれているから正面から見ると酔っ払ったオヤジだ。太い嘴は青く、数が足りなかったのか赤いビーズがひとつだけ使われている。ずんぐりした胴体に比べて頼りない足。お尻に生えた十数本のワイヤーは長い尾羽。  鳥をもらったのは十年以上前になる。何度か店に来た客で、南アフリカに帰るから記念にと言って渡された。名前は知らない。顔も覚えていないけれど、体つきは鳥に似ていた気がする。  廃業して自宅に持って帰ってきた鳥の尾羽には、たまに洗濯したマイバッグを掛けて干している。尾羽の端が鳴門の渦潮みた...
鳥をもらったのは何年以上前ですか?
鳥をもらったのは十年以上前です。
JCRRAG_001218
国語
 私の三つの時の七月に母は霍乱で死んだ。それ以来私は祖母の手に育てられた。私のうちには父母の外に祖母と曾祖母がいた。母がなくなってからはこの二人のばばが私を育ててくれたのであるが、就中祖母は我が子のように可愛がってくれた。私も『おばあさん、おばあさん』といってなついていた。夜は床に入ってから寝着くまで祖母の乳を吸うていた。何も出ないのであるがこれを吸わねば寝着かれなかった。牛乳の無かった時代だから定めて私を育てるのに骨が折れたことであろう。  私は悪い癖があった。それは寝ていて糞をたれることで、このために時々夜半に祖母達が大騒ぎをした。その糞騒ぎの真最中に泥棒が這入ったことがあった。これは私の四つか五つの時であった。この賊は私の祖父...
糞騒ぎの真最中に這入ったのは誰で、これは「私」がいくつの時でしたか?
糞騒ぎの真最中に泥棒が這入ったことがあり、これは私の四つか五つの時でした。
JCRRAG_001219
国語
それからそれがどうなったのか…… それは僕には分らなかった とにかく朝霧罩めた飛行場から 機影はもう永遠に消え去っていた。 あとには残酷な砂礫だの、雑草だの 頬を裂るような寒さが残った。 ――こんな残酷な空寞たる朝にも猶 人は人に笑顔を以て対さねばならないとは なんとも情ないことに思われるのだったが それなのに其処でもまた 笑いを沢山湛えた者ほど 優越を感じているのであった。 陽は霧に光り、草葉の霜は解け、 遠くの民家に鶏は鳴いたが、 霧も光も霜も鶏も みんな人々の心には沁まず、 人々は家に帰って食卓についた。   (飛行機に残ったのは僕、   バットの空箱を蹴ってみる) 注:バット…たばこの銘柄の名称 以上は、中原中也(19...
残酷な空漠たる朝においても優越を感じているのは誰ですか。
残酷な空漠たる朝においても優越を感じているのは、笑いを沢山湛えた者です。
JCRRAG_001220
国語
経験するというのは事実其儘に知るの意である。全く自己の細工を棄てて、事実に従うて知るのである。純粋というのは、普通に経験といっている者もその実は何らかの思想を交えているから、毫も思慮分別を加えない、真に経験其儘の状態をいうのである。たとえば、色を見、音を聞く刹那、未だこれが外物の作用であるとか、我がこれを感じているとかいうような考のないのみならず、この色、この音は何であるという判断すら加わらない前をいうのである。それで純粋経験は直接経験と同一である。自己の意識状態を直下に経験した時、未だ主もなく客もない、知識とその対象とが全く合一している。これが経験の最醇なる者である。勿論、普通には経験という語の意義が明に定まっておらず、ヴントの如...
直接経験と同一なのは何ですか?
直接経験と同一なのは、純粋経験です。
JCRRAG_001221
国語
 えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧えつけていた。焦躁と言おうか、嫌悪と言おうか――酒を飲んだあとに宿酔があるように、酒を毎日飲んでいると宿酔に相当した時期がやって来る。それが来たのだ。これはちょっといけなかった。結果した肺尖カタルや神経衰弱がいけないのではない。また背を焼くような借金などがいけないのではない。いけないのはその不吉な塊だ。以前私を喜ばせたどんな美しい音楽も、どんな美しい詩の一節も辛抱がならなくなった。蓄音器を聴かせてもらいにわざわざ出かけて行っても、最初の二三小節で不意に立ち上がってしまいたくなる。何かが私を居堪らずさせるのだ。それで始終私は街から街を浮浪し続けていた。    何故だかその頃私は見すぼらしくて美...
私の心を始終圧えつけていたのは何ですか?
私の心を始終圧えつけていたのは、えたいの知れない不吉な塊です。
JCRRAG_001222
国語
次の日、小雨がふっていたが、ぼくは例のリッチな紳士の家にクーラーボックスを届けることにした。ぼくは、そのかさばるボックスを水道できれいに洗い、椅子や竿もまとめ、自転車に積んでいった。  お礼、という誘惑があった。たしか紳士はそういっていた。  名刺の住所は高級住宅地で、ぼくの家からは、5キロほどのところであった。K市は東京には快速で一時間以内にいけるという利便さよりも、閑静な丘陵地のシックな落ち着いた住宅街ということで、古今とわず人気のある土地であった  ぼくが紳士の家をスマホのナビで探し、呼び鈴を押すと、お手伝いらしき女性がでてきた。 「だんな様よりうかがっています」 といって、釣り道具をあずかるという。彼は予測していたとおり、不...
ぼくが呼び鈴を押すと誰が出てきましたか?
ぼくが呼び鈴を押すとお手伝いらしき女性が出てきました。
JCRRAG_001223
国語
前線都市 AfterNotes 第1章 重峰イノリという機構について 第1章 第1節「Prologue」    彼らは、よく晴れた夏の日に訪れた。  かつて日本と呼ばれていた島国の、工業地帯が広がる田舎町。その中央に、突如として地下深くまで続く大穴が開いたのだ。地盤沈下か、あるいは埋め立て工事の際に欠陥があったのかと、政府が調査計画を立て始めたころ。彼らはずるりと穴の中から這い出した。  怪物らしさはそのままに輪郭だけ人間に似せたような歪な容姿。おぞましい呻き声。人知を超えた異能力。なにより、手当たり次第にヒトを食い荒らす凶悪性。  その「外敵」を恐れた人々は現代科学の総力を上げてとある「生体兵器」を作り出し、外敵諸共封じ込める...
イノリは誰好みの味に合わせて豆の挽き具合を設定しましたか?
イノリはミコト好みの味に合わせて豆の挽き具合を設定しました。
JCRRAG_001224
国語
 祖父は、私が少し大きくなってからはとんともう錦絵をくれぬようになった。私はこれをひどく淋しく思っていたが、祖父は在番が終って藩地へ帰る時に、特に買ってくれたのが右の保元平治物語の十冊揃いである。  それから私は仮名ややさしい漢字がわかるようになって、盛衰記や保元平治物語を拾い読みした。これは八つか九つの頃であった。日本の歴史を知った端緒は実にこの二書であった。  草双紙も好んだが、これは私のうちには無かった。隣の間室という家に草双紙を綴じ合わせたのがあったのを、四つか五つの頃からよく遊びに行って見ることにしていた。この家も常府であったが、藩地に帰る時に、私が好きだからというのでその草双紙を私にくれて行った。その後はそこにあったもの...
父は何を見せることは奨励しましたが、何を見せることは好みませんでしたか?
父は古戦記を見せることは奨励しましたが、草双紙を見せることは好みませんでした。
JCRRAG_001225
国語
展示施設の中ほどにショーケースのような四方をアクリル板で囲った、スペースがあり、その中に生きている蝶が乱舞していた。  ケースには特殊な加工がしてあり、こちらからは蝶がみられるが、蝶からは外が見えず、まるで森のなかにいるように、ありのままの姿で舞う姿が観察されます、という説明書きがあった。この展示会の一番の目玉なのだろう。 「きれい!」  彼女が小走りで近寄った。  腕の部分だけ透ける水色のブラウスを着た彼女は、軽やかに舞う蝶にも見える。ぼくは思わず見とれてしまった。  ああ、それにしてもさえない自分をさらに感じてしまう。こっちは五百円玉大のはげもあるし、さえないニートだ。彼女はどうしてぼくを誘ったのだろう? ぼんやりしながら、彼女...
ぼくの母は彼女に、ぼくの家の当主はどんな家系だといっていましたか?
ぼくの母は彼女に、ぼくの家の当主はその家にしか生息しない蝶を、守る家系だといっていました。
JCRRAG_001226
国語
 私の生れたのは弘化四年四月十五日であった。代々伊予松山藩の士で、父を内藤房之進同人といった。同人とは妙な名であるが、これは易の卦から取ったのである。母は八十といった。私は長男で助之進といった。その頃父は家族を携えて江戸の藩邸に住んでいたので、私はこの江戸で産声をあげたのであった。幕府の頃は二百六十大名は皆参勤交代といって、一年は江戸に住み次の一年は藩地に住んだ。そして大名の家族は江戸に住んでいた。それに準じて家来も沢山江戸藩邸に居た。その中で単身国許から一年交代で勤めに出るのもあり、また家族を引連れて、一年交代でなく或る時期まで江戸藩邸に住むのもあった。前者を勤番といい、後者を常府といった。私の父は弘化三年の冬にこの常府を命ぜられ...
幕府の頃の二百六十大名は、一年はどこに住み次の一年はどこに住みましたか。
幕府の頃の二百六十大名は皆参勤交代といって、一年は江戸に住み、次の一年は藩地に住みました。
JCRRAG_001227
国語
 私の生れたのは弘化四年四月十五日であった。代々伊予松山藩の士で、父を内藤房之進同人といった。同人とは妙な名であるが、これは易の卦から取ったのである。母は八十といった。私は長男で助之進といった。その頃父は家族を携えて江戸の藩邸に住んでいたので、私はこの江戸で産声をあげたのであった。幕府の頃は二百六十大名は皆参勤交代といって、一年は江戸に住み次の一年は藩地に住んだ。そして大名の家族は江戸に住んでいた。それに準じて家来も沢山江戸藩邸に居た。その中で単身国許から一年交代で勤めに出るのもあり、また家族を引連れて、一年交代でなく或る時期まで江戸藩邸に住むのもあった。前者を勤番といい、後者を常府といった。私の父は弘化三年の冬にこの常府を命ぜられ...
君侯の上屋敷と中屋敷はそれぞれどこにありましたか?
君侯の上屋敷は芝愛宕下にあり、中屋敷は三田一丁目にありました。
JCRRAG_001228
国語
 私の生れたのは弘化四年四月十五日であった。代々伊予松山藩の士で、父を内藤房之進同人といった。同人とは妙な名であるが、これは易の卦から取ったのである。母は八十といった。私は長男で助之進といった。その頃父は家族を携えて江戸の藩邸に住んでいたので、私はこの江戸で産声をあげたのであった。幕府の頃は二百六十大名は皆参勤交代といって、一年は江戸に住み次の一年は藩地に住んだ。そして大名の家族は江戸に住んでいた。それに準じて家来も沢山江戸藩邸に居た。その中で単身国許から一年交代で勤めに出るのもあり、また家族を引連れて、一年交代でなく或る時期まで江戸藩邸に住むのもあった。前者を勤番といい、後者を常府といった。私の父は弘化三年の冬にこの常府を命ぜられ...
大名は皆参勤交代の際、江戸と藩地にそれぞれ何年住みましたか。
大名は参勤交代の際、一年は江戸に住み、次の一年は藩地に住みました。
JCRRAG_001229
国語
 私の三つの時の七月に母は霍乱で死んだ。それ以来私は祖母の手に育てられた。私のうちには父母の外に祖母と曾祖母がいた。母がなくなってからはこの二人のばばが私を育ててくれたのであるが、就中祖母は我が子のように可愛がってくれた。私も『おばあさん、おばあさん』といってなついていた。夜は床に入ってから寝着くまで祖母の乳を吸うていた。何も出ないのであるがこれを吸わねば寝着かれなかった。牛乳の無かった時代だから定めて私を育てるのに骨が折れたことであろう。  私は悪い癖があった。それは寝ていて糞をたれることで、このために時々夜半に祖母達が大騒ぎをした。その糞騒ぎの真最中に泥棒が這入ったことがあった。これは私の四つか五つの時であった。この賊は私の祖父...
「私」のうちにいたのは父母の外に誰と誰ですか?
「私」のうちには父母の外に祖母と曾祖母がいました。
JCRRAG_001230
国語
 一体この頃の刑法は、別に明文は無く、幕府及び諸藩では皆前例によって刑罰を与えていた。盗賊でも取った金額が多いかあるいは強盗であると、死刑に処するという事になっていた。かの賊も十分死刑にあたるものであったが、死刑にするとなると藩邸で殺す事は出来ない。是非とも幕府の仕置場即ち鈴ヶ森か小塚ッ原でせねばならぬ。これは大変に手数がかかる事だから大抵は牢屋で毒を一服飲ませて殺したものである。かの賊の死んだのもやはりこの一服で死んだのであった。その男は梅とかいう者であったと覚えている。  重犯などでなくちょっとした盗みなどをした仲間下部などは、一日か二日後手に縛って、邸内の人の立集う所にさらして置き、十分諸人に顔を見知らせた上で、『門前払い』即...
幕府の仕置場はどことどこですか?
幕府の仕置場は鈴ヶ森と小塚ッ原です。
JCRRAG_001231
国語
 私の三つの時の七月に母は霍乱で死んだ。それ以来私は祖母の手に育てられた。私のうちには父母の外に祖母と曾祖母がいた。母がなくなってからはこの二人のばばが私を育ててくれたのであるが、就中祖母は我が子のように可愛がってくれた。私も『おばあさん、おばあさん』といってなついていた。夜は床に入ってから寝着くまで祖母の乳を吸うていた。何も出ないのであるがこれを吸わねば寝着かれなかった。牛乳の無かった時代だから定めて私を育てるのに骨が折れたことであろう。  私は悪い癖があった。それは寝ていて糞をたれることで、このために時々夜半に祖母達が大騒ぎをした。その糞騒ぎの真最中に泥棒が這入ったことがあった。これは私の四つか五つの時であった。この賊は私の祖父...
「私」の父はどこから養子に来て、また「私」の祖父は誰ですか?
「私」の父は菱田という家から養子に来て、また「私」の祖父は左近衛門です。
JCRRAG_001232
国語
 一体この頃の刑法は、別に明文は無く、幕府及び諸藩では皆前例によって刑罰を与えていた。盗賊でも取った金額が多いかあるいは強盗であると、死刑に処するという事になっていた。かの賊も十分死刑にあたるものであったが、死刑にするとなると藩邸で殺す事は出来ない。是非とも幕府の仕置場即ち鈴ヶ森か小塚ッ原でせねばならぬ。これは大変に手数がかかる事だから大抵は牢屋で毒を一服飲ませて殺したものである。かの賊の死んだのもやはりこの一服で死んだのであった。その男は梅とかいう者であったと覚えている。  重犯などでなくちょっとした盗みなどをした仲間下部などは、一日か二日後手に縛って、邸内の人の立集う所にさらして置き、十分諸人に顔を見知らせた上で、『門前払い』即...
「私」が上下着をした時と継母が来た時はそれぞれいつといつですか?
五歳の冬に私は上下着をし、私の六つになった年の正月に継母が来ました。
JCRRAG_001233
国語
 一体この頃の刑法は、別に明文は無く、幕府及び諸藩では皆前例によって刑罰を与えていた。盗賊でも取った金額が多いかあるいは強盗であると、死刑に処するという事になっていた。かの賊も十分死刑にあたるものであったが、死刑にするとなると藩邸で殺す事は出来ない。是非とも幕府の仕置場即ち鈴ヶ森か小塚ッ原でせねばならぬ。これは大変に手数がかかる事だから大抵は牢屋で毒を一服飲ませて殺したものである。かの賊の死んだのもやはりこの一服で死んだのであった。その男は梅とかいう者であったと覚えている。  重犯などでなくちょっとした盗みなどをした仲間下部などは、一日か二日後手に縛って、邸内の人の立集う所にさらして置き、十分諸人に顔を見知らせた上で、『門前払い』即...
継母は何という家から来て、その頃はどこにいましたか?
継母は春日という家から来て、その頃は藩地松山にいました。
JCRRAG_001234
国語
 一体この頃の刑法は、別に明文は無く、幕府及び諸藩では皆前例によって刑罰を与えていた。盗賊でも取った金額が多いかあるいは強盗であると、死刑に処するという事になっていた。かの賊も十分死刑にあたるものであったが、死刑にするとなると藩邸で殺す事は出来ない。是非とも幕府の仕置場即ち鈴ヶ森か小塚ッ原でせねばならぬ。これは大変に手数がかかる事だから大抵は牢屋で毒を一服飲ませて殺したものである。かの賊の死んだのもやはりこの一服で死んだのであった。その男は梅とかいう者であったと覚えている。  重犯などでなくちょっとした盗みなどをした仲間下部などは、一日か二日後手に縛って、邸内の人の立集う所にさらして置き、十分諸人に顔を見知らせた上で、『門前払い』即...
「私」が屋敷の外に出る時ささねばならなかったものと、子供同士遊ぶ時でもささねばならなかったものは、それぞれ何ですか?
「私」が屋敷の外に出る時ささねばならなかったものは大小で、子供同士遊ぶ時でもささねばならなかったものは脇差です。
JCRRAG_001235
国語
 この冬、十二月二十四日愛宕の市へ、私のうちの下部は正月の買物に行った。年の市は所々の宮寺にあったが、愛宕の年の市は芝辺では最も盛んで、藩邸の者もこの市で正月の物を調えたもので、うちの下部もその晩新しい手桶や注連飾などを買って帰った。父はすぐその手桶に嘉永四年云々と書き認めていた。その時俄に邸内が騒がしくなって、火の見櫓で鐘と板木とあえ交ぜに叩き出した。この火の見櫓はどこの屋敷にもあったもので、火事があると係の者がそれへ上って方角を見定め、高声にその方角を知らせ、そして板木を叩いた。鎮火すると鐘を鳴らした。最も近火で、藩邸も危いという時には鐘と板木とあえ交ぜに打つことになっていた。その非常の音を聞いたので、家の者悉く騒立って見ると、...
いつ、どこへ「私」のうちの下部は正月の買物に行きましたか?
この冬、12月24日愛宕の市へ、私のうちの下部は正月の買物に行きました。
JCRRAG_001236
国語
 この冬、十二月二十四日愛宕の市へ、私のうちの下部は正月の買物に行った。年の市は所々の宮寺にあったが、愛宕の年の市は芝辺では最も盛んで、藩邸の者もこの市で正月の物を調えたもので、うちの下部もその晩新しい手桶や注連飾などを買って帰った。父はすぐその手桶に嘉永四年云々と書き認めていた。その時俄に邸内が騒がしくなって、火の見櫓で鐘と板木とあえ交ぜに叩き出した。この火の見櫓はどこの屋敷にもあったもので、火事があると係の者がそれへ上って方角を見定め、高声にその方角を知らせ、そして板木を叩いた。鎮火すると鐘を鳴らした。最も近火で、藩邸も危いという時には鐘と板木とあえ交ぜに打つことになっていた。その非常の音を聞いたので、家の者悉く騒立って見ると、...
この冬、12月24日愛宕の市へ、誰が何をしに行きましたか?
12月24日愛宕の市へ、私のうちの下部が正月の買物に行きました。
JCRRAG_001237
国語
 この冬、十二月二十四日愛宕の市へ、私のうちの下部は正月の買物に行った。年の市は所々の宮寺にあったが、愛宕の年の市は芝辺では最も盛んで、藩邸の者もこの市で正月の物を調えたもので、うちの下部もその晩新しい手桶や注連飾などを買って帰った。父はすぐその手桶に嘉永四年云々と書き認めていた。その時俄に邸内が騒がしくなって、火の見櫓で鐘と板木とあえ交ぜに叩き出した。この火の見櫓はどこの屋敷にもあったもので、火事があると係の者がそれへ上って方角を見定め、高声にその方角を知らせ、そして板木を叩いた。鎮火すると鐘を鳴らした。最も近火で、藩邸も危いという時には鐘と板木とあえ交ぜに打つことになっていた。その非常の音を聞いたので、家の者悉く騒立って見ると、...
下部はその晩、何や何などを買って帰りましたか?
下部はその晩、新しい手桶や注連飾などを買って帰りました。
JCRRAG_001238
国語
 この冬、十二月二十四日愛宕の市へ、私のうちの下部は正月の買物に行った。年の市は所々の宮寺にあったが、愛宕の年の市は芝辺では最も盛んで、藩邸の者もこの市で正月の物を調えたもので、うちの下部もその晩新しい手桶や注連飾などを買って帰った。父はすぐその手桶に嘉永四年云々と書き認めていた。その時俄に邸内が騒がしくなって、火の見櫓で鐘と板木とあえ交ぜに叩き出した。この火の見櫓はどこの屋敷にもあったもので、火事があると係の者がそれへ上って方角を見定め、高声にその方角を知らせ、そして板木を叩いた。鎮火すると鐘を鳴らした。最も近火で、藩邸も危いという時には鐘と板木とあえ交ぜに打つことになっていた。その非常の音を聞いたので、家の者悉く騒立って見ると、...
火の見櫓であえ交ぜに叩き出されたのは、何と何ですか?
火の見櫓で鐘と板木があえ交ぜに叩き出されました。
JCRRAG_001239
国語
 この冬、十二月二十四日愛宕の市へ、私のうちの下部は正月の買物に行った。年の市は所々の宮寺にあったが、愛宕の年の市は芝辺では最も盛んで、藩邸の者もこの市で正月の物を調えたもので、うちの下部もその晩新しい手桶や注連飾などを買って帰った。父はすぐその手桶に嘉永四年云々と書き認めていた。その時俄に邸内が騒がしくなって、火の見櫓で鐘と板木とあえ交ぜに叩き出した。この火の見櫓はどこの屋敷にもあったもので、火事があると係の者がそれへ上って方角を見定め、高声にその方角を知らせ、そして板木を叩いた。鎮火すると鐘を鳴らした。最も近火で、藩邸も危いという時には鐘と板木とあえ交ぜに打つことになっていた。その非常の音を聞いたので、家の者悉く騒立って見ると、...
『麹町火事』と称した大火で、どこからどこまでが焼けましたか?
『麹町火事』と称した大火で、麹町から愛宕下までが焼けました。
JCRRAG_001240
国語
 私は子供の時一番楽しみだったのは本を読むことであった。その頃には絵本がいろいろあって、年齢に応じて程度が違えてあり、挿画には少しばかりの絵解がしてあった。桃太郎やカチカチ山は最も小さい子供の見るもの、それより進んでは軍物語であった。それには八幡太郎義家や義経や義仲などの一代記があった。こういう本は子供のある家にはどこにもありまた土産にもしたものであった。外へ出て絵草紙屋の前を通ると私はきっとせがんだ。私は玩具よりも絵本が好きなので、殊に沢山持っていた。それから錦画もその頃盛んに行われたが、これも私は好きで沢山持ち、就中軍画が好きであった。菱田の祖父が在番で来ている時は私のうちに同居することもあった。この祖父は外出をするごとにきっと...
「私」が武者で好きだったのは、初めは誰で、少し年を経てからは誰でしたか?
「私」が武者で好きだったのは、初めは八幡太郎で、少し年を経てから木曾義仲でした。
JCRRAG_001241
国語
 私は子供の時一番楽しみだったのは本を読むことであった。その頃には絵本がいろいろあって、年齢に応じて程度が違えてあり、挿画には少しばかりの絵解がしてあった。桃太郎やカチカチ山は最も小さい子供の見るもの、それより進んでは軍物語であった。それには八幡太郎義家や義経や義仲などの一代記があった。こういう本は子供のある家にはどこにもありまた土産にもしたものであった。外へ出て絵草紙屋の前を通ると私はきっとせがんだ。私は玩具よりも絵本が好きなので、殊に沢山持っていた。それから錦画もその頃盛んに行われたが、これも私は好きで沢山持ち、就中軍画が好きであった。菱田の祖父が在番で来ている時は私のうちに同居することもあった。この祖父は外出をするごとにきっと...
軍物語には、八幡太郎義家や誰や誰などの一代記がありましたか?
軍物語には、八幡太郎義家や義経や義仲などの一代記がありました。
JCRRAG_001242
国語
 私は子供の時一番楽しみだったのは本を読むことであった。その頃には絵本がいろいろあって、年齢に応じて程度が違えてあり、挿画には少しばかりの絵解がしてあった。桃太郎やカチカチ山は最も小さい子供の見るもの、それより進んでは軍物語であった。それには八幡太郎義家や義経や義仲などの一代記があった。こういう本は子供のある家にはどこにもありまた土産にもしたものであった。外へ出て絵草紙屋の前を通ると私はきっとせがんだ。私は玩具よりも絵本が好きなので、殊に沢山持っていた。それから錦画もその頃盛んに行われたが、これも私は好きで沢山持ち、就中軍画が好きであった。菱田の祖父が在番で来ている時は私のうちに同居することもあった。この祖父は外出をするごとにきっと...
「私」は何よりも何が好きで、殊に沢山持っていましたか?
「私」は玩具よりも絵本が好きで、殊に沢山持っていました。
JCRRAG_001243
国語
 私は子供の時一番楽しみだったのは本を読むことであった。その頃には絵本がいろいろあって、年齢に応じて程度が違えてあり、挿画には少しばかりの絵解がしてあった。桃太郎やカチカチ山は最も小さい子供の見るもの、それより進んでは軍物語であった。それには八幡太郎義家や義経や義仲などの一代記があった。こういう本は子供のある家にはどこにもありまた土産にもしたものであった。外へ出て絵草紙屋の前を通ると私はきっとせがんだ。私は玩具よりも絵本が好きなので、殊に沢山持っていた。それから錦画もその頃盛んに行われたが、これも私は好きで沢山持ち、就中軍画が好きであった。菱田の祖父が在番で来ている時は私のうちに同居することもあった。この祖父は外出をするごとにきっと...
最も小さい子供の見るものは何や何でしたか?
桃太郎やカチカチ山は最も小さい子供の見るものでした。
JCRRAG_001244
国語
 祖父は、私が少し大きくなってからはとんともう錦絵をくれぬようになった。私はこれをひどく淋しく思っていたが、祖父は在番が終って藩地へ帰る時に、特に買ってくれたのが右の保元平治物語の十冊揃いである。  それから私は仮名ややさしい漢字がわかるようになって、盛衰記や保元平治物語を拾い読みした。これは八つか九つの頃であった。日本の歴史を知った端緒は実にこの二書であった。  草双紙も好んだが、これは私のうちには無かった。隣の間室という家に草双紙を綴じ合わせたのがあったのを、四つか五つの頃からよく遊びに行って見ることにしていた。この家も常府であったが、藩地に帰る時に、私が好きだからというのでその草双紙を私にくれて行った。その後はそこにあったもの...
祖父は何が終ってどこへ帰る時に、右の保元平治物語の十冊揃いを買ってくれましたか。
祖父は在番が終って藩地へ帰る時に、右の保元平治物語の十冊揃いを買ってくれました。
JCRRAG_001245
国語
 祖父は、私が少し大きくなってからはとんともう錦絵をくれぬようになった。私はこれをひどく淋しく思っていたが、祖父は在番が終って藩地へ帰る時に、特に買ってくれたのが右の保元平治物語の十冊揃いである。  それから私は仮名ややさしい漢字がわかるようになって、盛衰記や保元平治物語を拾い読みした。これは八つか九つの頃であった。日本の歴史を知った端緒は実にこの二書であった。  草双紙も好んだが、これは私のうちには無かった。隣の間室という家に草双紙を綴じ合わせたのがあったのを、四つか五つの頃からよく遊びに行って見ることにしていた。この家も常府であったが、藩地に帰る時に、私が好きだからというのでその草双紙を私にくれて行った。その後はそこにあったもの...
「私」は仮名ややさしい漢字がわかるようになって、何や何を拾い読みしましたか?
「私」は仮名ややさしい漢字がわかるようになって、盛衰記や保元平治物語を拾い読みしました。
JCRRAG_001246
国語
ヴォーケ夫人は、ド・コンフラン家の生まれの老婦人で、四十年来パリのネーヴ・サント・ジュヌヴィエーヴ通り[1]で賄い付きの下宿をしっかりと営んできた。そこはカルチェ・ラタンとフォーブール・サンマルソーの中間にあった。この下宿はメゾン・ヴォーケの名で知られ、老若男女を問わず等しく受け入れてきた。誹謗中傷がこの立派な施設の品性を傷つける様なことは一度もなかった。その一方で、ここでは三十年来、若い女性の姿はついぞ見かけられなかったし、若者で長く居ついた者もなかったので、ここの住人達はおのずから、この下宿の雰囲気を寂しげなものにしてしまっていた。とはいえ、この物語が始まった一八一九年のことだが、貧しい若い女性も一人、下宿人の中に混じっていた。...
下宿はどことどこの中間にありましたか?
下宿は、カルチェ・ラタンとフォーブール・サンマルソーの中間にありました。
JCRRAG_001247
国語
ヴォーケ夫人は、ド・コンフラン家の生まれの老婦人で、四十年来パリのネーヴ・サント・ジュヌヴィエーヴ通り[1]で賄い付きの下宿をしっかりと営んできた。そこはカルチェ・ラタンとフォーブール・サンマルソーの中間にあった。この下宿はメゾン・ヴォーケの名で知られ、老若男女を問わず等しく受け入れてきた。誹謗中傷がこの立派な施設の品性を傷つける様なことは一度もなかった。その一方で、ここでは三十年来、若い女性の姿はついぞ見かけられなかったし、若者で長く居ついた者もなかったので、ここの住人達はおのずから、この下宿の雰囲気を寂しげなものにしてしまっていた。とはいえ、この物語が始まった一八一九年のことだが、貧しい若い女性も一人、下宿人の中に混じっていた。...
この物語が始まったのはいつのことで、誰が一人、下宿人の中に混じっていましたか?
この物語が始まったのは一八一九年のことで、貧しい若い女性が一人、下宿人の中に混じっていました。
JCRRAG_001248
国語
賄い付き下宿として運営されているこの館はヴォーケ夫人が所有していた。館はネーヴ・サント・ジュヌヴィエーヴ通りの低地にあったが、この場所がラルバレート通り辺りから急な荒れた坂を下った所になるので、馬がここを上がったり下がったりすることは余りなかった。この環境はヴァル・ド・グラスの丸屋根とパンテオンの丸屋根に挟まれた窮屈なこの通りを支配する静けさをもたらしていた。二つの記念碑的丸屋根は近辺に黄ばんだ色を投げかけ、また丸天井は厳しい色調の意匠が凝らされ、全体を暗く包み込むことによって、すっかり周辺の雰囲気を変えてしまっていた。その辺りは、舗道は乾き、溝には泥もなければ水もなく、草は壁の高さにまで伸びている。最も楽天的な人間もここでは他の通...
賄い付き下宿を所有していたのは誰ですか。
賄い付き下宿を所有していたのはヴォーケ夫人です。
JCRRAG_001249
国語
賄い付き下宿として運営されているこの館はヴォーケ夫人が所有していた。館はネーヴ・サント・ジュヌヴィエーヴ通りの低地にあったが、この場所がラルバレート通り辺りから急な荒れた坂を下った所になるので、馬がここを上がったり下がったりすることは余りなかった。この環境はヴァル・ド・グラスの丸屋根とパンテオンの丸屋根に挟まれた窮屈なこの通りを支配する静けさをもたらしていた。二つの記念碑的丸屋根は近辺に黄ばんだ色を投げかけ、また丸天井は厳しい色調の意匠が凝らされ、全体を暗く包み込むことによって、すっかり周辺の雰囲気を変えてしまっていた。その辺りは、舗道は乾き、溝には泥もなければ水もなく、草は壁の高さにまで伸びている。最も楽天的な人間もここでは他の通...
その辺りの溝には何もなければ何もないでしょうか?
その辺りの溝には泥もなければ水もないです。
JCRRAG_001250
国語
賄い付き下宿として運営されているこの館はヴォーケ夫人が所有していた。館はネーヴ・サント・ジュヌヴィエーヴ通りの低地にあったが、この場所がラルバレート通り辺りから急な荒れた坂を下った所になるので、馬がここを上がったり下がったりすることは余りなかった。この環境はヴァル・ド・グラスの丸屋根とパンテオンの丸屋根に挟まれた窮屈なこの通りを支配する静けさをもたらしていた。二つの記念碑的丸屋根は近辺に黄ばんだ色を投げかけ、また丸天井は厳しい色調の意匠が凝らされ、全体を暗く包み込むことによって、すっかり周辺の雰囲気を変えてしまっていた。その辺りは、舗道は乾き、溝には泥もなければ水もなく、草は壁の高さにまで伸びている。最も楽天的な人間もここでは他の通...
2つの記念碑的丸屋根は近辺に何を投げかけ、また丸天井は何が凝らされていましたか?
二つの記念碑的丸屋根は近辺に黄ばんだ色を投げかけ、また丸天井は厳しい色調の意匠が凝らされていました。
JCRRAG_001251
国語
賄い付き下宿として運営されているこの館はヴォーケ夫人が所有していた。館はネーヴ・サント・ジュヌヴィエーヴ通りの低地にあったが、この場所がラルバレート通り辺りから急な荒れた坂を下った所になるので、馬がここを上がったり下がったりすることは余りなかった。この環境はヴァル・ド・グラスの丸屋根とパンテオンの丸屋根に挟まれた窮屈なこの通りを支配する静けさをもたらしていた。二つの記念碑的丸屋根は近辺に黄ばんだ色を投げかけ、また丸天井は厳しい色調の意匠が凝らされ、全体を暗く包み込むことによって、すっかり周辺の雰囲気を変えてしまっていた。その辺りは、舗道は乾き、溝には泥もなければ水もなく、草は壁の高さにまで伸びている。最も楽天的な人間もここでは他の通...
ここでは家々は軒並みどのようで、城壁はまるで何のように感じられますか?
ここでは家々は軒並み陰鬱で、城壁はまるで牢獄のように感じられます。
JCRRAG_001252
国語
この下宿の正面は小さな庭に面している一方、建物とネーヴ・サント・ジュヌヴィエーヴ通りとは直角をなすかたちとなっていて、館の裏側断面を通から眺めることが出来た。正面入り口の前面に六フィート幅の砂利の空間があり、それと庭に挟まれて砂利の通路が走っていた。通路の脇にはゼラニウム、夾竹桃や柘榴が植わった青や白の陶器の大鉢が並んでいる。この通路には中門を通って入るのだが、その上には表札が掲げられていて、〈メゾン・ヴォーケ〉と書かれ、更にその下には、〈賄い付き高級下宿、男女その他歓迎〉とも書かれている。日中はけたたましく鳴る呼び鈴が取り付けられた透かし戸を通してメゾン・ヴォーケの外に目をやると、道路の反対側にカプチン病院[3]が見え、近所に住む...
何と何とが直角をなすかたちとなっていましたか?
建物とネーヴ・サント・ジュヌヴィエーヴ通りとが直角をなすかたちとなっていました。
JCRRAG_001253
国語
賄い付き下宿として運営されているこの館はヴォーケ夫人が所有していた。館はネーヴ・サント・ジュヌヴィエーヴ通りの低地にあったが、この場所がラルバレート通り辺りから急な荒れた坂を下った所になるので、馬がここを上がったり下がったりすることは余りなかった。この環境はヴァル・ド・グラスの丸屋根とパンテオンの丸屋根に挟まれた窮屈なこの通りを支配する静けさをもたらしていた。二つの記念碑的丸屋根は近辺に黄ばんだ色を投げかけ、また丸天井は厳しい色調の意匠が凝らされ、全体を暗く包み込むことによって、すっかり周辺の雰囲気を変えてしまっていた。その辺りは、舗道は乾き、溝には泥もなければ水もなく、草は壁の高さにまで伸びている。最も楽天的な人間もここでは他の通...
ここは何や何をどんなに一生懸命ほどこしたところで、知性を溢れさせるのはなかなか難しいですか?
ここはセピア・カラーや深遠な思想をどんなに一生懸命ほどこしたところで、知性を溢れさせるのはなかなか難しいです。
JCRRAG_001254
国語
私はまたその妹とすごした海岸の夏をわすれたことはない。あの松原のなかで潮風の香をかぎ松をこえてくる海の音をききながら二人して折物をして遊んだとき、円窓のそとにはなぎの若木がならんで砂地のうえに涼しい紺色の影を落した。妹はふっくらと実のいった長い指に折紙をあちらこちらに畳みながらふくふくした顔をかしげて独り言をいったり、たわいもないことをいいかけたりする。つややかな丸髷に結ってうす色の珊瑚の玉をさしていた。桃色の鶴や、浅葱のふくら雀や、出来たのをひとつひとつ見せてはつづけてゆく。私は妹と向きあってなんのかのとかまいながらやっとのことで蓮花とだまし舟を折った。ここにあるひとたばの折紙はなつかしいそのおりの残りである。藍や鶸や朽葉など重り...
「私」が妹と向きあって折ったのは何と何ですか?
私は妹と向きあって蓮花とだまし舟を折りました。
JCRRAG_001255
国語
私はまたその妹とすごした海岸の夏をわすれたことはない。あの松原のなかで潮風の香をかぎ松をこえてくる海の音をききながら二人して折物をして遊んだとき、円窓のそとにはなぎの若木がならんで砂地のうえに涼しい紺色の影を落した。妹はふっくらと実のいった長い指に折紙をあちらこちらに畳みながらふくふくした顔をかしげて独り言をいったり、たわいもないことをいいかけたりする。つややかな丸髷に結ってうす色の珊瑚の玉をさしていた。桃色の鶴や、浅葱のふくら雀や、出来たのをひとつひとつ見せてはつづけてゆく。私は妹と向きあってなんのかのとかまいながらやっとのことで蓮花とだまし舟を折った。ここにあるひとたばの折紙はなつかしいそのおりの残りである。藍や鶸や朽葉など重り...
「私」が皿のふちに青く光る紅を溶してかいたのは何や何の絵ですか?
「私」は皿のふちに青く光る紅を溶して虻や蜻蛉の絵をかきました。
JCRRAG_001256
国語
「ああ、」と女は深い嘆息を吐いて、目の前の血を眺めているうちに、急に心細くなって、こう言った。「血のように赤く、雪のように白い小児が、ひとりあったらね!」 言ってしまうと、女の胸は急に軽くなりました。そして確かに自分の願がとどいたような気がしました。女は家へ入りました。それから一月経つと、雪が消えました。二月すると、色々な物が青くなりました。三月すると、地の中から花が咲きました。四月すると、木々の梢が青葉に包まれ、枝と枝が重なり合って、小鳥は森に谺を起こして、木の上の花を散らすくらいに、歌い出しました。五月経った時に、おかみさんは、杜松の樹の下へ行きましたが、杜松の甘い香気を嚊ぐと、胸の底が躍り立つような気がして来て、嬉しさに我し...
女は何のように白く、何のように赤い小児を生みましたか?
女は雪のように白く、血のように赤い小児を生みました。
JCRRAG_001257
国語
「ああ、」と女は深い嘆息を吐いて、目の前の血を眺めているうちに、急に心細くなって、こう言った。「血のように赤く、雪のように白い小児が、ひとりあったらね!」 言ってしまうと、女の胸は急に軽くなりました。そして確かに自分の願がとどいたような気がしました。女は家へ入りました。それから一月経つと、雪が消えました。二月すると、色々な物が青くなりました。三月すると、地の中から花が咲きました。四月すると、木々の梢が青葉に包まれ、枝と枝が重なり合って、小鳥は森に谺を起こして、木の上の花を散らすくらいに、歌い出しました。五月経った時に、おかみさんは、杜松の樹の下へ行きましたが、杜松の甘い香気を嚊ぐと、胸の底が躍り立つような気がして来て、嬉しさに我し...
初のおかみさんの子は男の子で、二度目のおかみさんに生まれたのは女の子ですか?
はい、初のおかみさんの子は男の子で、二度目のおかみさんに生まれたのは女の子です。
JCRRAG_001258
国語
或る時、おかみさんが、二階の小部屋へはいっていると、女の子もついて来て、こう言いました。 「母さん、林檎を頂戴。」 「あいよ。」とおかあさんが言って、箱の中から美麗な林檎を出して、女の子にやりました。その箱には大きな、重い蓋と頑固な鉄の錠が、ついていました。 「母さん、」と女の子が言った。「兄さんにも、一つあげないこと?」 おかあさんは機嫌をわるくしたが、それでも何気なしに、こういいました。 「あいよ、学校から帰って来たらね。」 そして男の子が帰って来るのを窓から見ると、急に悪魔が心の中へはいってでも来たように、女の子の持っている林檎をひったくって、 「兄さんより先に食べるんじゃない。」 と言いながら、林檎を箱の中へ投込んで、蓋を...
その箱には何と何がついていましたか?
その箱には、大きな重い蓋と頑固な鉄の錠がついていました。
JCRRAG_001259
国語
「ああ、」と女は深い嘆息を吐いて、目の前の血を眺めているうちに、急に心細くなって、こう言った。「血のように赤く、雪のように白い小児が、ひとりあったらね!」 言ってしまうと、女の胸は急に軽くなりました。そして確かに自分の願がとどいたような気がしました。女は家へ入りました。それから一月経つと、雪が消えました。二月すると、色々な物が青くなりました。三月すると、地の中から花が咲きました。四月すると、木々の梢が青葉に包まれ、枝と枝が重なり合って、小鳥は森に谺を起こして、木の上の花を散らすくらいに、歌い出しました。五月経った時に、おかみさんは、杜松の樹の下へ行きましたが、杜松の甘い香気を嚊ぐと、胸の底が躍り立つような気がして来て、嬉しさに我し...
それから一月経つと、何が消えて、二月すると、何が青くなりましたか?
それから一月経つと、雪が消えて、二月すると、色々な物が青くなりました。
JCRRAG_001260
国語
或る時、おかみさんが、二階の小部屋へはいっていると、女の子もついて来て、こう言いました。 「母さん、林檎を頂戴。」 「あいよ。」とおかあさんが言って、箱の中から美麗な林檎を出して、女の子にやりました。その箱には大きな、重い蓋と頑固な鉄の錠が、ついていました。 「母さん、」と女の子が言った。「兄さんにも、一つあげないこと?」 おかあさんは機嫌をわるくしたが、それでも何気なしに、こういいました。 「あいよ、学校から帰って来たらね。」 そして男の子が帰って来るのを窓から見ると、急に悪魔が心の中へはいってでも来たように、女の子の持っている林檎をひったくって、 「兄さんより先に食べるんじゃない。」 と言いながら、林檎を箱の中へ投込んで、蓋を...
継母は、自分の居室にある箪笥のところに行って、どこから何を出して来ましたか?
継母は、自分の居室にある箪笥のところに行って、手近の抽斗から白い手巾を出して来ました。
JCRRAG_001261
国語
羅貫中は「水滸伝」を著わして、そのために子孫三代にわたって唖の児が生まれ、紫式部は「源氏物語」を著わして、一度は地獄にまでおちたが、それはおもうに彼等が架空の物語や狂言綺語を書いて世の人々を惑わせた悪業のために、そのむくいを身にうけたというべきであろう。そしてその文をみると、それぞれかわっためずらしい趣向をこらし、その文章の勢い・調子は真にせまり、あるいは低く、あるいは高く、あたかもころがるようになめらかで流暢であって、これを読むものの心持をしてたのしく快くさせるものである。その当時の出来事を、遠い後の世である今日において、さながら眼前にありありとてらし出して見ることができるようなおもいがする。さてここに、私もちょうど泰平の世を謳歌...
「源氏物語」を著したのは誰ですか?
「源氏物語」を著したのは、紫式部です。
JCRRAG_001262
国語
羅貫中は「水滸伝」を著わして、そのために子孫三代にわたって唖の児が生まれ、紫式部は「源氏物語」を著わして、一度は地獄にまでおちたが、それはおもうに彼等が架空の物語や狂言綺語を書いて世の人々を惑わせた悪業のために、そのむくいを身にうけたというべきであろう。そしてその文をみると、それぞれかわっためずらしい趣向をこらし、その文章の勢い・調子は真にせまり、あるいは低く、あるいは高く、あたかもころがるようになめらかで流暢であって、これを読むものの心持をしてたのしく快くさせるものである。その当時の出来事を、遠い後の世である今日において、さながら眼前にありありとてらし出して見ることができるようなおもいがする。さてここに、私もちょうど泰平の世を謳歌...
「水滸伝」を著したのは誰ですか?
「水滸伝」を著したのは羅貫中です。
JCRRAG_001263
国語
羅貫中は「水滸伝」を著わして、そのために子孫三代にわたって唖の児が生まれ、紫式部は「源氏物語」を著わして、一度は地獄にまでおちたが、それはおもうに彼等が架空の物語や狂言綺語を書いて世の人々を惑わせた悪業のために、そのむくいを身にうけたというべきであろう。そしてその文をみると、それぞれかわっためずらしい趣向をこらし、その文章の勢い・調子は真にせまり、あるいは低く、あるいは高く、あたかもころがるようになめらかで流暢であって、これを読むものの心持をしてたのしく快くさせるものである。その当時の出来事を、遠い後の世である今日において、さながら眼前にありありとてらし出して見ることができるようなおもいがする。さてここに、私もちょうど泰平の世を謳歌...
私が書いたのは、どんなむだばなしですか?
私が書いたのは、泰平の世を謳歌するようなのんきなむだばなしです。
JCRRAG_001264
国語
君のおっしゃるところは、人間の道の道理をかりて説かれますので、いかにもそれにかなっているように見えますが、じつはやはり醜い人間の欲情・煩悩の域から脱してはおられません。遠い中国の例をひくまでもありません。わが国の昔にも、応神天皇が兄皇子の大鷦鷯の王をさしおいて、末皇子の菟道の王を皇太子とお定めになりました。天皇崩御ののち、この兄弟の皇子たちは互いにゆずりあって、どちらも帝位につこうとしません。三年たってもそのゆずりあいが終りそうにもないのを、菟道の王はふかく御心配になって、『どうして私がこれ以上生きながらえて、天下の人々に迷惑をかけられようか』とおっしゃると、御自害あそばされたので、やむなく兄皇子が帝位におつきになりました。これこそ...
百済の王仁を招聘して学ばせられたのは誰ですか?
百済の王仁を招聘して学ばせられたのは、菟道の王です。
JCRRAG_001265
国語
その日、隣の国の第二王子様はお姫様の寝室に通されました。 「はじめまして。お加減はいかがですか」  王子様は親しみを込めてお姫様に笑顔を向けました。 「はじめまして。遠路はるばるお越し下さり、ありがとうございます。わたしは起きあがるとどうも具合が悪いので、このままで失礼いたします。王子様もさぞお疲れでしょうから、どうぞお座り下さい」  お姫様は表情をピクリとも動かさないまま挨拶をして、王子様にチーズタルトの形をした椅子を勧めました。  王子様はお姫様の丁寧な言葉の裏に冷たい心を感じて、なんと可哀想な人だろうと思い、お姫様を憐れみました。 「可哀想なお姫様。どうしてそうも頑なにお菓子を食べる事を拒まれるのですか」  いくらか他愛のない...
お姫様は隣の国の第二王子様にどんな形をした椅子を勧めましたか?
お姫様は隣の国の第二王子様にチーズタルトの形をした椅子を勧めました。
JCRRAG_001266
国語
電紙 りりー  今回発表するのはこの「電紙」です。この紙は最新のナノバイオcpuが搭載されて、紙の繊維が小さいコンピューター「電脳繊維」になっています。それぞれの電脳繊維は容量が少ないですが協調性並行処理アルゴリズムによって1。34*10^3[TB/sec]の処理速度を実現しました。  電紙は紙のように扱えます。簡単なペーパークラフトを作るだけで高性能なPCを作ることができます。専用ののりで貼るだけでデーター容量を増やすことができます。従来の「自作」のようにめんどくさい部品の取り付けや、設定はいりません。  電紙は処理熱で自動発電します。電源も大きな空冷ファンも水冷チューブも必要ありません。  電紙はトルクを発生することができます...
電紙は何で貼るとデーター容量を増やすことができますか?
電紙は専用ののりで貼るとデーター容量を増やすことができます。
JCRRAG_001267
国語
人生が偶然の連続の結果、成功へと到達するなんて、小説の中だけのこと、ぼくはずっとそう考えていた。そんな劇的で幸運な人生を歩けるのは、世界のなかでも、0コンマ01パーセントにも満たないのではないだろうか?   この得体のしれない虫の幼虫も、僕の境遇と大して違いはないだろう。つまり平凡な六等星の生き方だ。  そう、ぼくが、海釣りの餌に、庭木にたかっていた幼虫を使ったのは、むしろ必然のことだった。金が底をついていたのだ。最後の給料、といってもあの会社は、賃金形態も支給日も、きちんとあったものではなかったが、それでも 「今日でやめさせてください」 といったとき、上司兼経理兼人事係りは 「はい。これ、今月分と退職金」 と、十万円を封筒にいれ、...
ぼくが辞めた会社では何が仕事でしたか?
ぼくが辞めた会社では浄水器のセールスが仕事でした。
JCRRAG_001268
国語
或る時、おかみさんが、二階の小部屋へはいっていると、女の子もついて来て、こう言いました。 「母さん、林檎を頂戴。」 「あいよ。」とおかあさんが言って、箱の中から美麗な林檎を出して、女の子にやりました。その箱には大きな、重い蓋と頑固な鉄の錠が、ついていました。 「母さん、」と女の子が言った。「兄さんにも、一つあげないこと?」 おかあさんは機嫌をわるくしたが、それでも何気なしに、こういいました。 「あいよ、学校から帰って来たらね。」 そして男の子が帰って来るのを窓から見ると、急に悪魔が心の中へはいってでも来たように、女の子の持っている林檎をひったくって、 「兄さんより先に食べるんじゃない。」 と言いながら、林檎を箱の中へ投込んで、蓋を...
兄さんは真白なお顔をして、何の前に座って何を手に持っていますか?
兄さんは真白なお顔をして、扉の前に座って、林檎を手に持っています。
JCRRAG_001269
国語
人生が偶然の連続の結果、成功へと到達するなんて、小説の中だけのこと、ぼくはずっとそう考えていた。そんな劇的で幸運な人生を歩けるのは、世界のなかでも、0コンマ01パーセントにも満たないのではないだろうか?   この得体のしれない虫の幼虫も、僕の境遇と大して違いはないだろう。つまり平凡な六等星の生き方だ。  そう、ぼくが、海釣りの餌に、庭木にたかっていた幼虫を使ったのは、むしろ必然のことだった。金が底をついていたのだ。最後の給料、といってもあの会社は、賃金形態も支給日も、きちんとあったものではなかったが、それでも 「今日でやめさせてください」 といったとき、上司兼経理兼人事係りは 「はい。これ、今月分と退職金」 と、十万円を封筒にいれ、...
ぼくは海釣りの餌に、何を使いましたか?
ぼくは海釣りの餌に、庭木にたかっていた幼虫を使いました。
JCRRAG_001270
国語
紙幣鶴 斎藤茂吉  ある晩カフェに行くと、一隅の卓に倚ったひとりの娘が、墺太利の千円紙幣でしきりに鶴を折っている。ひとりの娘というても、僕は二度三度その娘と話したことがあった。僕の友と一しょに夕餐をしたこともあった。世の人々は、この娘の素性などをいろいろ穿鑿せぬ方が賢いとおもう。娘の前を通りしなに、僕はちょっと娘と会話をした。 「こんばんは。何している」 「こんばんは。どうです、旨いでしょう」 「なんだ千円札じゃないか。勿体ないことをするね」 「いいえ、ちっとも勿体なかないわ。ごらんなさい、墺太利のお金は、こうやってどんどん飛ぶわ」  そうして娘は口を細め、頬をふくらめて、紙幣で折った鶴をぷうと吹いた。鶴は虚空に舞い上ったが、忽ち...
「僕」は何度、「ひとりの娘」と話したことがありましたか?
「僕」は二度三度、「ひとりの娘」と話したことがありました。
JCRRAG_001271
国語
紙幣鶴 斎藤茂吉  ある晩カフェに行くと、一隅の卓に倚ったひとりの娘が、墺太利の千円紙幣でしきりに鶴を折っている。ひとりの娘というても、僕は二度三度その娘と話したことがあった。僕の友と一しょに夕餐をしたこともあった。世の人々は、この娘の素性などをいろいろ穿鑿せぬ方が賢いとおもう。娘の前を通りしなに、僕はちょっと娘と会話をした。 「こんばんは。何している」 「こんばんは。どうです、旨いでしょう」 「なんだ千円札じゃないか。勿体ないことをするね」 「いいえ、ちっとも勿体なかないわ。ごらんなさい、墺太利のお金は、こうやってどんどん飛ぶわ」  そうして娘は口を細め、頬をふくらめて、紙幣で折った鶴をぷうと吹いた。鶴は虚空に舞い上ったが、忽ち...
「僕」はある晩どこに行きましたか?
「僕」はある晩カフェに行きました。
JCRRAG_001272
国語
 本誌の読者は「夫婦百景」の筆者獅子文六が、同時に岩田豊雄であることぐらいはご承知であろう。その夫人静子さんが、急な病いで亡くなられた。四十四歳といえば、まだ人生を終るには早く、夫君が今後ますます多くの傑作を書かねばならぬように、夫人もまた、将来にさまざまな期待と希望とを抱いて、この春を迎えようとしていたにちがいない。  私は岩田君ともっとも親しい友人の一人として、この不幸を正視することができないくらいである。まして、いま、この不幸について公けに語ることは、いかにもその時機でないような気がするのだが、本誌の編集者は、強引に、そして巧妙に私を説き伏せた。私は、一方にためらう自分を励ましながら、すこしでも書くに値する一文を、岩田夫人のた...
「私」は「すこしでも書くに値する一文」を、誰のために捧げる決心をしましたか。
「私」は「すこしでも書くに値する一文」を、岩田夫人のために捧げる決心をしました。
JCRRAG_001273
国語
世界怪談名作集 幽霊の移転 ストックトン Francis Richard Stockton 岡本綺堂訳  ジョン・ヒンクマン氏の田園住宅は、いろいろの理由から僕にとっては甚だ愉快な場所で、やや無遠慮ではあるが、まことに居心地のよい接待ぶりの寓居であった。庭には綺麗に刈り込んだ芝原と、塔のように突っ立った槲や楡の木があって、ほかにも所どころに木立ちが茂っていた。家から遠くないところに小さい流れがあって、そこには皮付きの粗末な橋が架けてあった。  ここらには花もあれば果物もあり、愉快な人たちも住んでいて、将棋、玉突き、騎馬、散歩、魚釣りなどの遊戯機関もそなわっていた。それらはもちろん、大いに人を惹くの力はあったが、単にそれだけのことで...
ジョン・ヒンクマン氏の田園住宅は僕にとってどんな場所でしたか?
ジョン・ヒンクマン氏の田園住宅は僕にとって甚だ愉快な場所であり、まことに居心地のよい接待ぶりの寓居でした。
JCRRAG_001274
国語
 親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜かした事がある。なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談に、いくら威張っても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃したからである。小使に負ぶさって帰って来た時、おやじが大きな眼をして二階ぐらいから飛び降りて腰を抜かす奴があるかと云ったから、この次は抜かさずに飛んで見せますと答えた。  親類のものから西洋製のナイフを貰って奇麗な刃を日に翳して、友達に見せていたら、一人が光る事は光るが切れそうもないと云った。切れぬ事があるか、何でも切ってみせると...
何が死ぬまで消えませんか?
創痕が死ぬまで消えません。
JCRRAG_001275
国語
 本誌の読者は「夫婦百景」の筆者獅子文六が、同時に岩田豊雄であることぐらいはご承知であろう。その夫人静子さんが、急な病いで亡くなられた。四十四歳といえば、まだ人生を終るには早く、夫君が今後ますます多くの傑作を書かねばならぬように、夫人もまた、将来にさまざまな期待と希望とを抱いて、この春を迎えようとしていたにちがいない。  私は岩田君ともっとも親しい友人の一人として、この不幸を正視することができないくらいである。まして、いま、この不幸について公けに語ることは、いかにもその時機でないような気がするのだが、本誌の編集者は、強引に、そして巧妙に私を説き伏せた。私は、一方にためらう自分を励ましながら、すこしでも書くに値する一文を、岩田夫人のた...
「夫婦百景」の筆者は誰ですか。
「夫婦百景」の筆者は獅子文六です。
JCRRAG_001276
国語
朝、食堂でスウプを1さじ、すっと吸ってお母さまが、 「あ」 と幽かな叫び声をお挙げになった。 「髪の毛?」 スウプに何か、イヤなものでも入っていたのかしら、と思った。 「いいえ」 お母さまは、何事も無かったように、またひらりと一さじ、スウプをお口に流し込み、すましてお顔を横に向け、お勝手の窓の、満開の山桜に視線を送り、そうしてお顔を横に向けたまま、またひらりと一さじ、スウプを小さなお唇のあいだに滑り込ませた。ヒラリ、という形容は、お母さまの場合、決して誇張では無い。婦人雑誌などに出ているお食事のいただき方などとは、てんでまるで、違っていらっしゃる。弟の直治がいつか、お酒を飲みながら、姉の私に向ってこう言った事がある。 ...
「私」の弟の名前は何ですか?
「私」の弟の名前は直治です。
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国語
イギリスで、わたしの心をもっとも楽しく魅惑するのは、昔から伝わっている祭日のならわしと田舎の遊びごとである。そういうものを見て、わたしが思いおこすのは、まだ若かったころに、わたしの空想がえがいた数々の絵である。あのころ、わたしは世界というものを書物を通してしか知らなかったし、世界は詩人たちがえがいた通りのものだと信じこんでいた。そしてさらに、その絵といっしょに、純朴だった昔の日々の香りがもどってくる。そして、やはりおなじ間違いかもしれないが、そのころ世間のひとびとは今よりずっと素朴で、親しみぶかく、そして嬉々としていたように思う。残念なことに、そういうものは日毎にかすかになってくるのである。時がたつにしたがって次第に擦りへらされるだ...
あのころ、わたしは世界というものを何を通してしか知りませんでしたか?
あのころ、わたしは世界というものを書物を通してしか知りませんでした。
JCRRAG_001278
国語
季節そのものも、クリスマスの祝いに魅力をそえる。ほかの季節には、わたしたちはほとんど大部分の愉しみを自然の美しさから得るのである。わたしたちの心は戸外に飛びだし、陽ざしの暖かい自然のなかで気を晴らすのだ。わたしたちは「野外のいたるところに生きる」のである。鳥の歌、小川のささやき、息吹いている春の香り、やわらかい夏の官能、黄金色の秋の盛観、さわやかな緑の衣をつけた大地、爽快な紺碧の大空、そしてまた豪華な雲が群がる空。すべてがわたしたちの心を、沈黙のまま、なんともいえぬ歓喜で満たし、わたしたちは、尽きぬ感覚の逸楽にひたるのだ。しかし、冬が深くなり、自然があらゆる魅力をうばわれて、一面に雪の経帷子につつまれると、わたしたちは心の満足を精神...
何がクリスマスの祝いに魅力をそえますか?
季節そのものもクリスマスの祝いに魅力をそえます。
JCRRAG_001279
国語
イギリスで、わたしの心をもっとも楽しく魅惑するのは、昔から伝わっている祭日のならわしと田舎の遊びごとである。そういうものを見て、わたしが思いおこすのは、まだ若かったころに、わたしの空想がえがいた数々の絵である。あのころ、わたしは世界というものを書物を通してしか知らなかったし、世界は詩人たちがえがいた通りのものだと信じこんでいた。そしてさらに、その絵といっしょに、純朴だった昔の日々の香りがもどってくる。そして、やはりおなじ間違いかもしれないが、そのころ世間のひとびとは今よりずっと素朴で、親しみぶかく、そして嬉々としていたように思う。残念なことに、そういうものは日毎にかすかになってくるのである。時がたつにしたがって次第に擦りへらされるだ...
教会では、聖歌隊の全員が何に合わせて、クリスマスの聖歌を歌いますか?
教会では、聖歌隊の全員が鳴りひびくオルガンに合わせて、クリスマスの聖歌を歌います。
JCRRAG_001280
国語
ヴォーケ夫人は、ド・コンフラン家の生まれの老婦人で、四十年来パリのネーヴ・サント・ジュヌヴィエーヴ通り[1]で賄い付きの下宿をしっかりと営んできた。そこはカルチェ・ラタンとフォーブール・サンマルソーの中間にあった。この下宿はメゾン・ヴォーケの名で知られ、老若男女を問わず等しく受け入れてきた。誹謗中傷がこの立派な施設の品性を傷つける様なことは一度もなかった。その一方で、ここでは三十年来、若い女性の姿はついぞ見かけられなかったし、若者で長く居ついた者もなかったので、ここの住人達はおのずから、この下宿の雰囲気を寂しげなものにしてしまっていた。とはいえ、この物語が始まった一八一九年のことだが、貧しい若い女性も一人、下宿人の中に混じっていた。...
悲劇が全盛の現代文学では、物語の中でどのような、あるいは、どのような言葉が濫用され過ぎるとの不評をこうむる作品が多いですか?
悲劇が全盛の現代文学では、物語の中で過剰な、あるいは、乱暴な言葉が濫用され過ぎるとの不評をこうむる作品が多いです。
JCRRAG_001281
国語
 私は母の愛というものについて考える。カーライルの、母の愛ほど尊いものはないと言っているが、私も母の愛ほど尊いものはないと思う。子供のためには自分の全てを犠牲にして尽すという愛の一面に、自分の子供を真直に、正直に、善良に育てていくという厳しい、鋭い眼がある。この二つの感情から結ばれた母の愛より大きなものはないと思う。しかし世の中には子供に対して責任感の薄い母も多い。が、そういう者は例外として、真に子供のために尽した母に対してはその子供は永久にその愛を忘れる事が出来ない。そして、子供は生長して社会に立つようになっても、母から言い含められた教訓を思えば、如何なる場合にも悪事を為し得ないのは事実である。何時も母の涙の光った眼が自分の上に注...
誰が「母の愛ほど尊いものはない」と言っていますか?
「母の愛ほど尊いものはない」と言っているのはカーライルです。
JCRRAG_001282
国語
私が六つの年の秋頃だった――その間私は、私たちの家がむやみに引越したということだけしか覚えていない――私たちの家に、母の実家から母の妹が、だから私の叔母がやって来た。叔母は婦人病かなんか患っていたが、辺鄙な田舎では充分の治療が出来ないというので、私たちの家から病院に通うためだった。  叔母はその頃二十二、三であったろう。顔立ちの整った、ちょっとこぎれいな娘だった。気立てもやさしく、する事なす事しっかりしていて、几帳面で、てきぱきした性質であった。だから人受けもよく、親たちにも愛せられていたようでもある。だが、いつの間にかこの叔母と私の父との仲が変になったようである。  父はその頃、程近い海岸の倉庫に雇われて人夫の積荷下荷をノートにと...
母と叔母がしていた内職は何ですか?
母と叔母がしていた内職は、麻糸つなぎです。
JCRRAG_001283
国語
私の記憶は私の四歳頃のことまでさかのぼることができる。その頃私は、私の生みの親たちと一緒に横浜の寿町に住んでいた。 父が何をしていたのか、むろん私は知らなかった。あとできいたところによると、父はその頃、寿警察署の刑事かなんかを勤めていたようである。 私の思出からは、この頃のほんの少しの間だけが私の天国であったように思う。なぜなら、私は父に非常に可愛がられたことを覚えているから……。 私はいつも父につれられて風呂に行った。毎夕私は、父の肩車に乗せられて父の頭に抱きついて銭湯の暖簾をくぐった。床屋に行くときも父が必ず、私をつれて行ってくれた。父は私の傍につきっきりで、生え際や眉の剃方についてなにかと世話をやいていたが、それでもなお気に入...
父が、いつも私をつれて行ってくれた場所はどことどこですか?
父が、いつも私をつれて行ってくれた場所は、銭湯と床屋です。
JCRRAG_001284
国語
堯は掃除をすました部屋の窓を明け放ち、籐の寝椅子に休んでいた。と、ジュッジュッという啼き声がしてかなむぐらの垣の蔭に笹鳴きの鶯が見え隠れするのが見えた。  ジュッ、ジュッ、堯は鎌首をもたげて、口でその啼き声を模ねながら、小鳥の様子を見ていた。――彼は自家でカナリヤを飼っていたことがある。  美しい午前の日光が葉をこぼれている。笹鳴きは口の音に迷わされてはいるが、そんな場合のカナリヤなどのように、機微な感情は現わさなかった。食欲に肥えふとって、なにか堅いチョッキでも着たような恰好をしている。――堯が模ねをやめると、愛想もなく、下枝の間を渡りながら行ってしまった。  低地を距てて、谷に臨んだ日当りのいいある華族の庭が見えた。黄に枯れた朝...
堯が自家で飼っていたことがあるのは何ですか?
堯が自家で飼っていたことがあるのは、カナリヤです。
JCRRAG_001285
国語
城は大わらわで彼をむかえるにふさわしい歓迎の準備をしていた。美しい花嫁はなみなみならず念入りに飾りたてられた。例の二人の叔母が彼女の化粧を受けもち、朝のうちいっぱい、彼女の装身具のひとつひとつについて言いあらそいをしていた。当の花嫁は、二人のいさかいを巧みに利用して、自分の好みどおりにしたが、幸いにしてそれは申し分のないものだった。彼女の美しさといったら、世の若い花婿がこれ以上を望むことはとうていできないほどだったし、期待にときめく心で彼女の魅力はいっそう輝きを増していた。 顔や襟もとにさす赤み、静かな胸の高まり、ときおり幻想にふける眼ざし、すべてが彼女の小さな胸におこっているかすかな動揺をあらわしていた。叔母たちは絶えず彼女のまわ...
誰が花嫁の化粧を受けもちましたか?
二人の叔母が花嫁の化粧を受けもちました。
JCRRAG_001286
国語
イギリスで、わたしの心をもっとも楽しく魅惑するのは、昔から伝わっている祭日のならわしと田舎の遊びごとである。そういうものを見て、わたしが思いおこすのは、まだ若かったころに、わたしの空想がえがいた数々の絵である。あのころ、わたしは世界というものを書物を通してしか知らなかったし、世界は詩人たちがえがいた通りのものだと信じこんでいた。そしてさらに、その絵といっしょに、純朴だった昔の日々の香りがもどってくる。そして、やはりおなじ間違いかもしれないが、そのころ世間のひとびとは今よりずっと素朴で、親しみぶかく、そして嬉々としていたように思う。残念なことに、そういうものは日毎にかすかになってくるのである。時がたつにしたがって次第に擦りへらされるだ...
イギリスで、わたしの心をもっとも楽しく魅惑するのは、何ですか?
イギリスで、わたしの心をもっとも楽しく魅惑するのは、昔から伝わっている祭日のならわしと田舎の遊びごとです。
JCRRAG_001287
国語
現代の洗練された風習がもたらした最も快からぬことは、心のこもった昔ながらの休日のならわしをうちこわしてしまったことだ。この現代の進歩のために、このような生活の装飾物の鮮明な鑿のあとはなくなり、その活気のある浮彫は取り去られてしまった。世の中はむかしよりいっそう滑らかになり磨きあげられたが、その表面はあきらかにこれという特徴のないものになった。クリスマスの遊戯や儀式の多くは全く消滅してしまい、フォールスタフ老人のスペイン産白葡萄酒のように、いたずらに註釈者の研究や論争の材料になってしまった。これらの遊戯や儀式が栄えた時代は、元気と活力が汪溢していて、ひとびとの人生のたのしみ方は粗野だったが、心のそこから元気いっぱいにやったのだ。そのこ...
夜更けに歌をうたって歩く人たちの声は、たとえ上手ではないとしても、冬の真夜中に湧きおこって、無上の調和をかもしだすのですか?
はい、夜更けに歌をうたって歩く人たちの声は、たとえ上手ではないとしても、冬の真夜中に湧きおこって、無上の調和をかもしだします。
JCRRAG_001288
国語
ハドソン河の河幅がひろがり、むかしオランダ人の航海者がタッパン・ジーと名づけていたところでは、彼らは用心していつでも帆をちぢめ、航海者の守り、聖ニコラスに加護をねがいながら、横断したものだ。そこの東側の岸にくいこんでいる広い入江の奥に、小さな市場か田舎の港といったような町があり、ある人たちはグリーンズバラと呼んでいるが、本来はタリー・タウン(ぶらつき町)という名が正しく、また普通にはその名で知られている。聞くところによれば、この名は、そのむかしこの近隣の女房たちがつけたもので、市場のひらかれる日に亭主連が村の居酒屋のあたりをぶらついてはなれない頑固な癖があったからだという。それはともかくとして、わたしはこの事実の真偽のほどはうけあわ...
むかしオランダ人の航海者がタッパン・ジーと名づけていたところでは、彼らは航海者の守りである誰に加護をねがいながら、横断したものですか?
むかしオランダ人の航海者がタッパン・ジーと名づけていたところでは、彼らは航海者の守りである聖ニコラスに加護をねがいながら、横断したものです。
JCRRAG_001289
国語
ヴォーケ夫人は、ド・コンフラン家の生まれの老婦人で、四十年来パリのネーヴ・サント・ジュヌヴィエーヴ通り[1]で賄い付きの下宿をしっかりと営んできた。そこはカルチェ・ラタンとフォーブール・サンマルソーの中間にあった。この下宿はメゾン・ヴォーケの名で知られ、老若男女を問わず等しく受け入れてきた。誹謗中傷がこの立派な施設の品性を傷つける様なことは一度もなかった。その一方で、ここでは三十年来、若い女性の姿はついぞ見かけられなかったし、若者で長く居ついた者もなかったので、ここの住人達はおのずから、この下宿の雰囲気を寂しげなものにしてしまっていた。とはいえ、この物語が始まった一八一九年のことだが、貧しい若い女性も一人、下宿人の中に混じっていた。...
ヴォーケ夫人は、どこの生まれの老婦人で、四十年来どこで賄い付きの下宿を営んできましたか?
ヴォーケ夫人は、ド・コンフラン家の生まれの老婦人で、四十年来パリのネーヴ・サント・ジュヌヴィエーヴ通りで賄い付きの下宿を営んできました。
JCRRAG_001290
国語
ヴォーケ夫人は、ド・コンフラン家の生まれの老婦人で、四十年来パリのネーヴ・サント・ジュヌヴィエーヴ通り[1]で賄い付きの下宿をしっかりと営んできた。そこはカルチェ・ラタンとフォーブール・サンマルソーの中間にあった。この下宿はメゾン・ヴォーケの名で知られ、老若男女を問わず等しく受け入れてきた。誹謗中傷がこの立派な施設の品性を傷つける様なことは一度もなかった。その一方で、ここでは三十年来、若い女性の姿はついぞ見かけられなかったし、若者で長く居ついた者もなかったので、ここの住人達はおのずから、この下宿の雰囲気を寂しげなものにしてしまっていた。とはいえ、この物語が始まった一八一九年のことだが、貧しい若い女性も一人、下宿人の中に混じっていた。...
この物語は、写実的言葉による展開の盛り上がりによるのではなく、何によって、どこで人々の涙を誘うことができるだろうとされていますか?
この物語は写実的言葉による展開の盛り上がりによるのではなく、衝撃の結末によって、恐らくパリ城壁の内外で人々の涙を誘うことができるだろうとされています。
JCRRAG_001291
国語
マイン河とライン河の合流しているところからそう遠くない、上ドイツの荒れはてた幻想的な地方、オーデンヴァルトの高地のいただきに、ずっとむかしのこと、フォン・ランドショート男爵の城が立っていた。それは今ではすっかり朽ちはてて、ほとんど山毛欅やうっそうとした樅の木のなかに埋もれてしまっている。しかし、その木々のうえには、古い物見櫓がいまもなお見え、前述のかつての城主と同様、なんとか頭を高くもたげようとし、近隣の地方を見おろしているのである。 その男爵はカッツェンエレンボーゲン(原註2)という大家の分家で、今は衰えているが、祖先の財産の残りと往年の誇りとを受けついでいた。祖先たちは戦争好きだったために、ひどく家産を蕩尽してしまったが、男爵は...
フォン・ランドショート男爵の城が立っていたのはどこですか?
フォン・ランドショート男爵の城が立っていたのは、マイン河とライン河の合流しているところからそう遠くない、上ドイツの荒れはてた幻想的な地方、オーデンヴァルトの高地のいただきです。
JCRRAG_001292
国語
叔母たちはまた、若いころ、たいした浮気もので、蓮葉女だったから、姪の操行を油断なく見張り、厳しく取りしまるには全く見事に適当だと思われていた。年とった蓮葉女ほど、がっちりして用心ぶかく、無情なほど礼儀正しい付きそい役はまたとないのである。彼女は叔母たちの眼をはなれることはめったに許されなかった。城の領地のそとに出るときにはかならず、しっかりとした付きそいがついた。というよりはむしろ、十分な見張りがつけられたのである。また絶えず厳格な行儀作法や文句をいわずに服従することについて講釈を聞かされていた。そして、男については、いやはや、絶対に近づかないように教えこまれ、また断じて信用しないように言われていたから、彼女は正当な許しがなければ、...
叔母たちは若いころ、どんな女でしたか?
叔母たちは若いころ、たいした浮気もので、蓮葉女でした。
JCRRAG_001293
国語
叔母たちはまた、若いころ、たいした浮気もので、蓮葉女だったから、姪の操行を油断なく見張り、厳しく取りしまるには全く見事に適当だと思われていた。年とった蓮葉女ほど、がっちりして用心ぶかく、無情なほど礼儀正しい付きそい役はまたとないのである。彼女は叔母たちの眼をはなれることはめったに許されなかった。城の領地のそとに出るときにはかならず、しっかりとした付きそいがついた。というよりはむしろ、十分な見張りがつけられたのである。また絶えず厳格な行儀作法や文句をいわずに服従することについて講釈を聞かされていた。そして、男については、いやはや、絶対に近づかないように教えこまれ、また断じて信用しないように言われていたから、彼女は正当な許しがなければ、...
姪は絶えず何を聞かされていましたか?
姪は絶えず厳格な行儀作法や文句をいわずに服従することについて講釈を聞かされていました。
JCRRAG_001294
国語
叔母たちはまた、若いころ、たいした浮気もので、蓮葉女だったから、姪の操行を油断なく見張り、厳しく取りしまるには全く見事に適当だと思われていた。年とった蓮葉女ほど、がっちりして用心ぶかく、無情なほど礼儀正しい付きそい役はまたとないのである。彼女は叔母たちの眼をはなれることはめったに許されなかった。城の領地のそとに出るときにはかならず、しっかりとした付きそいがついた。というよりはむしろ、十分な見張りがつけられたのである。また絶えず厳格な行儀作法や文句をいわずに服従することについて講釈を聞かされていた。そして、男については、いやはや、絶対に近づかないように教えこまれ、また断じて信用しないように言われていたから、彼女は正当な許しがなければ、...
一門の祝祭の費用は誰がもちましたか?
一門の祝祭の費用は男爵がもちました。
JCRRAG_001295
国語
叔母たちはまた、若いころ、たいした浮気もので、蓮葉女だったから、姪の操行を油断なく見張り、厳しく取りしまるには全く見事に適当だと思われていた。年とった蓮葉女ほど、がっちりして用心ぶかく、無情なほど礼儀正しい付きそい役はまたとないのである。彼女は叔母たちの眼をはなれることはめったに許されなかった。城の領地のそとに出るときにはかならず、しっかりとした付きそいがついた。というよりはむしろ、十分な見張りがつけられたのである。また絶えず厳格な行儀作法や文句をいわずに服従することについて講釈を聞かされていた。そして、男については、いやはや、絶対に近づかないように教えこまれ、また断じて信用しないように言われていたから、彼女は正当な許しがなければ、...
姪は誰の眼をはなれることがめったに許されなかったのですか?
娘は叔母たちの眼をはなれることはめったに許されませんでした。
JCRRAG_001296
国語
薬は効き、食生活もかなり気をつけていたおかげか、体は順調に回復した。貰った薬は飲みきり、それでも軽い下痢だけが気になったので、わたしは下心を隠しつつ、またあの診療所を訪れた。  相変わらずひと気が無く、すぐに診察室に呼ばれる。蛇ノ目先生はわたしを覚えていてくれた。 「浜さん髪切ったんですか」  そう、今日までの一週間のうちにわたしは髪を整えた。異性に気づかれると大変うれしい。意識して少し髪を触ってしまう。 「お似合いですよ」 「いやあ、蛇ノ目先生みたいにきれいな方に褒められると照れますね」 「お上手ですね、浜さん」  にこにこと笑って軽く流されたがそれすら嬉しい。 「いやいや、そんな美人がこのひと気のないビルで診療してるなんて、大丈...
ボサボサ頭で頬のこけた男の名札には何と書かれていますか?
ボサボサ頭で頬のこけた男の名札には蛇ノ目卓美と書かれています。
JCRRAG_001297
社内規定
働き方改革を推進するための関係法律の整備に関する法律(平成30年法律第71号)による改正により、2020年4月より、パートタイム労働者や有期雇用労働者、派遣労働者の待遇について、会社が職務内容、職務内容・配置の変更範囲等を考慮して、通常の労働者との間で不合理な待遇差を設けることは禁止されます(パートタイム・有期雇用労働法第8条、第9条及び労働者派遣事業の適正な運営の確保及び派遣労働者の保護等に関する法律(昭和60年法律第88号)第30条の3)。また、中小企業におけるパートタイム労働者、有期雇用労働者については、2021年4月から、会社が職務内容、職務内容・配置の変更範囲等を考慮して、通常の労働者との間で不合理な待遇差を設けることは禁...
中小企業におけるパートタイム労働者、有期雇用労働者について、通常の労働者との間で不合理な待遇差を設けることが禁止されるのは、いつからですか。
中小企業におけるパートタイム労働者、有期雇用労働者について、通常の労働者との間で不合理な待遇差を設けることが禁止されるのは、2021年4月からです。
JCRRAG_001298
社内規定
(採用時の提出書類) 第5条 1項 労働者として採用された者は、採用された日から3週間以内に所定の書類を提出しなければならない。 (1) 住民票記載事項証明書 (2) 自動車運転免許証の写し(ただし、自動車運転免許証を有する場合に限る。) (3) 資格証明書の写し(ただし、何らかの資格証明書を有する場合に限る。) (4) その他会社が指定するもの 2項 1項の定めにより提出した書類の記載事項に変更が生じたときは、労働者として採用された者は、速やかに書面で会社に変更事項を届け出なければならない。 【第5条 採用時の提出書類】 会社が、労働者の年齢、現住所を確認するに当たり、労働者から戸籍謄本(抄本)や住民票の写しを提出させることは...
誰が採用された日から3週間以内に所定の書類を提出しなければなりませんか。
労働者として採用された者が、採用された日から3週間以内に所定の書類を提出しなければならなりません。
JCRRAG_001299
社内規定
「1か月単位の変形労働時間制における所定労働時間の定め方について」 1か月単位の変形労働時間制については、1か月以内の一定期間(変形期間)を平均して1週間当たりの労働時間が週の法定労働時間(40時間)を超えない範囲で、就業規則等に各日、各週の所定労働時間を具体的に定めなければなりません。そしてこの場合、変形期間における所定労働時間の合計は、次の式によって計算された時間の範囲内で設定します。 1週間の法定労働時間(40時間)×変形期間の暦日数/7 この式によって変形期間が1か月の場合の所定労働時間の総枠を計算します。例えば、1か月が31日で、1週間の法定労働時間が40時間の場合、変形期間が1か月の場合の所定労働時間の総枠は、40...
1か月単位の変形労働時間制については、1か月以内の一定期間(変形期間)を平均して1週間当たりの労働時間が週の法定労働時間(40時間)を超えない範囲で、就業規則等に何が具体的に定められなければなりませんか。
1か月単位の変形労働時間制については、1か月以内の一定期間(変形期間)を平均して1週間当たりの労働時間が週の法定労働時間(40時間)を超えない範囲で、就業規則等に各日、各週の所定労働時間が具体的に定められなければなりません。
JCRRAG_001300
社内規定
(試用期間について) 第6条 第1項 労働者として新たに採用した者については、採用した日から1ヶ月間を試用期間とする。 第2項 労働者として新たに採用した者について、会社が特に認めたときは、試用期間を短縮すること、又は設けないことがある。 第3項 試用期間中に労働者として不適格と認めた者は、解雇することがある。ただし、入社後14日を経過した試用期間中に労働者として不適格と認めた者については、第53条第2項に定める手続によって行う。 第4項 試用期間は、勤続年数に通算する。 【第6条 試用期間について】 第1項 試用期間を設ける場合にその期間の長さに関する定めは労基法上ありませんが、労働者の地位を不安定にすることから、あまりに長い...
試用期間中の解雇については、最初の何日間以内であれば即時に解雇することができますか、また試用期間中の者を14日を超えて雇用した後に解雇する場合には、原則として何日以上前に予告がされなければなりませんか。
試用期間中の解雇については、最初の14日間以内であれば即時に解雇することができますが、試用期間中の者を14日を超えて雇用した後に解雇する場合には、原則として30日以上前に予告がされなければなりません。