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values | Context stringlengths 1 4.96k | Question stringlengths 7 248 | GroundtruthAnswer stringlengths 2 663 |
|---|---|---|---|---|
JCRRAG_007101 | 国語 | その日のことを、よく覚えています。ちょうど、桜の花が咲きかけていました。子供たちの列は、この桜の木のまわりを、先生の号令に従って、歩いたのでした。
僕は、こんなに、心のあわただしい間にも、自分の観察というものをおこたりませんでした。僕たちの、女の先生が、姉といくつも年のちがわないことを知りました。これは、さいしょに僕の心をおどろかした発見でした。
つぎに、姉が、先生のいわれるとおりに、僕たちといっしょになって、歩いたり、手をうごかしたり、うたったりしているのを見たときです。
僕は、かっと顔があつくなって、ただこうしていては、姉がみじめな気がして、家へ帰るといい出しました。
「どうして、急にそんなことをいうの。」
姉は、あき... | 子供たちの列は、先生の号令に従って、どこを歩きましたか。 | 子供たちの列は、この桜の木のまわりを歩きました。 |
JCRRAG_007102 | 国語 | その日のことを、よく覚えています。ちょうど、桜の花が咲きかけていました。子供たちの列は、この桜の木のまわりを、先生の号令に従って、歩いたのでした。
僕は、こんなに、心のあわただしい間にも、自分の観察というものをおこたりませんでした。僕たちの、女の先生が、姉といくつも年のちがわないことを知りました。これは、さいしょに僕の心をおどろかした発見でした。
つぎに、姉が、先生のいわれるとおりに、僕たちといっしょになって、歩いたり、手をうごかしたり、うたったりしているのを見たときです。
僕は、かっと顔があつくなって、ただこうしていては、姉がみじめな気がして、家へ帰るといい出しました。
「どうして、急にそんなことをいうの。」
姉は、あき... | 僕が家へ帰ると言い出すと、姉はどんな様子でしたか。 | 姉は、あきれて、困ってしまいました。 |
JCRRAG_007103 | 国語 | その日のことを、よく覚えています。ちょうど、桜の花が咲きかけていました。子供たちの列は、この桜の木のまわりを、先生の号令に従って、歩いたのでした。
僕は、こんなに、心のあわただしい間にも、自分の観察というものをおこたりませんでした。僕たちの、女の先生が、姉といくつも年のちがわないことを知りました。これは、さいしょに僕の心をおどろかした発見でした。
つぎに、姉が、先生のいわれるとおりに、僕たちといっしょになって、歩いたり、手をうごかしたり、うたったりしているのを見たときです。
僕は、かっと顔があつくなって、ただこうしていては、姉がみじめな気がして、家へ帰るといい出しました。
「どうして、急にそんなことをいうの。」
姉は、あき... | 僕は翌日から一人で幼稚園に行きましたか。 | 僕は翌日から一人で幼稚園に行きました。 |
JCRRAG_007104 | 国語 | その日のことを、よく覚えています。ちょうど、桜の花が咲きかけていました。子供たちの列は、この桜の木のまわりを、先生の号令に従って、歩いたのでした。
僕は、こんなに、心のあわただしい間にも、自分の観察というものをおこたりませんでした。僕たちの、女の先生が、姉といくつも年のちがわないことを知りました。これは、さいしょに僕の心をおどろかした発見でした。
つぎに、姉が、先生のいわれるとおりに、僕たちといっしょになって、歩いたり、手をうごかしたり、うたったりしているのを見たときです。
僕は、かっと顔があつくなって、ただこうしていては、姉がみじめな気がして、家へ帰るといい出しました。
「どうして、急にそんなことをいうの。」
姉は、あき... | 僕が一人で幼稚園へいき、一人で帰ると、家の人はどうしましたか。 | 家じゅうのものは、ふしぎがったり、おどろきの目をみはったりしました。 |
JCRRAG_007105 | 国語 | 神風の日本にも、今は「プラーゲ旋風」とやらが吹きまくる――と云っても、楽壇人を除いては「プラーゲ旋風」とは何か御存じのない向も多かろう。
楽壇人でも「プラーゲ旋風」と云う名前だけは知っていようが、其の正体を理解している人は少ないようである。プラーゲ旋風が果して国難的旋風であるか、楽壇啓蒙の薫風であるか――それとも国辱的旋風であるか――の正体を掴み、其の捲き起こる原因を究明して、之に対処していたならば、今頃は旋風一過して太陽の慈光が遍照していよう筈なのに、旋風が益々力を加えつつある所を見ると、日本楽壇に人無きの嘆に堪えぬ。此の稿が楽壇啓蒙の一端ともなれば、筆者の本懐は之に過ぎない。
一 プラーゲ旋風とは
修正ベルヌ条約に対する... | ドクトル・プラーゲは何人で、何の管理者でしたか。 | ドクトル・プラーゲはドイツ人で、日本における欧米各国の外国著作権の管理者でした。 |
JCRRAG_007106 | 国語 | 神風の日本にも、今は「プラーゲ旋風」とやらが吹きまくる――と云っても、楽壇人を除いては「プラーゲ旋風」とは何か御存じのない向も多かろう。
楽壇人でも「プラーゲ旋風」と云う名前だけは知っていようが、其の正体を理解している人は少ないようである。プラーゲ旋風が果して国難的旋風であるか、楽壇啓蒙の薫風であるか――それとも国辱的旋風であるか――の正体を掴み、其の捲き起こる原因を究明して、之に対処していたならば、今頃は旋風一過して太陽の慈光が遍照していよう筈なのに、旋風が益々力を加えつつある所を見ると、日本楽壇に人無きの嘆に堪えぬ。此の稿が楽壇啓蒙の一端ともなれば、筆者の本懐は之に過ぎない。
一 プラーゲ旋風とは
修正ベルヌ条約に対する... | プラーゲ旋風を退治するために楽壇人とジャーナリストは何を実行しましたか。 | プラーゲ旋風を退治するために楽壇人とジャーナリストは、無軌道の蹂躙戦法を実行しました。 |
JCRRAG_007107 | 国語 | 神風の日本にも、今は「プラーゲ旋風」とやらが吹きまくる――と云っても、楽壇人を除いては「プラーゲ旋風」とは何か御存じのない向も多かろう。
楽壇人でも「プラーゲ旋風」と云う名前だけは知っていようが、其の正体を理解している人は少ないようである。プラーゲ旋風が果して国難的旋風であるか、楽壇啓蒙の薫風であるか――それとも国辱的旋風であるか――の正体を掴み、其の捲き起こる原因を究明して、之に対処していたならば、今頃は旋風一過して太陽の慈光が遍照していよう筈なのに、旋風が益々力を加えつつある所を見ると、日本楽壇に人無きの嘆に堪えぬ。此の稿が楽壇啓蒙の一端ともなれば、筆者の本懐は之に過ぎない。
一 プラーゲ旋風とは
修正ベルヌ条約に対する... | プラーゲの旋風退治に最も勇敢だった新聞社はどこですか。 | プラーゲの旋風退治に最も勇敢だったのは読売新聞です。 |
JCRRAG_007108 | 国語 | 神風の日本にも、今は「プラーゲ旋風」とやらが吹きまくる――と云っても、楽壇人を除いては「プラーゲ旋風」とは何か御存じのない向も多かろう。
楽壇人でも「プラーゲ旋風」と云う名前だけは知っていようが、其の正体を理解している人は少ないようである。プラーゲ旋風が果して国難的旋風であるか、楽壇啓蒙の薫風であるか――それとも国辱的旋風であるか――の正体を掴み、其の捲き起こる原因を究明して、之に対処していたならば、今頃は旋風一過して太陽の慈光が遍照していよう筈なのに、旋風が益々力を加えつつある所を見ると、日本楽壇に人無きの嘆に堪えぬ。此の稿が楽壇啓蒙の一端ともなれば、筆者の本懐は之に過ぎない。
一 プラーゲ旋風とは
修正ベルヌ条約に対する... | 東京音楽学校が昭和九年二月十七日と同年十月三十一日の両度に亘り同校の年中行事たる演奏会を開催したのはどこですか。 | 東京音楽学校が昭和九年二月十七日と同年十月三十一日の両度に亘り同校の年中行事たる演奏会を開催したのは日比谷公会堂です。 |
JCRRAG_007109 | 国語 | 私が北豊島郡染井の家に移ったのが、明治三十五年の春であった。何しろ滅法安値い家で、立派な門構に、庭も広し、座敷も七間あって、それで家賃が僅かに月三円五十銭というのだから、当時まだ独身者の自分には、願ったり適ったりだと喜んで、早速その家に転居をすることに定めたのであった。一寸その家の模様を談してみると、先ず通路から、五六階の石段を上ると、昔の冠木門風な表門で、それから右の方の玄関まで行く間が、花崗石の敷石伝い、その間の、つまり表から見ると、門の右側の方に武者窓のような窓のついている長屋が三軒あって、それも凡てこの家に附いているのだ、この長屋というのは、何れもこれも、最早長年人の住まわなかったものか、床も壁も、ぼろぼろにくずれて、戸を... | 私が北豊島郡染井の家に移ったのはいつでしたか。 | 私が北豊島郡染井の家に移ったのは明治三十五年の春でした。 |
JCRRAG_007110 | 国語 | 私が北豊島郡染井の家に移ったのが、明治三十五年の春であった。何しろ滅法安値い家で、立派な門構に、庭も広し、座敷も七間あって、それで家賃が僅かに月三円五十銭というのだから、当時まだ独身者の自分には、願ったり適ったりだと喜んで、早速その家に転居をすることに定めたのであった。一寸その家の模様を談してみると、先ず通路から、五六階の石段を上ると、昔の冠木門風な表門で、それから右の方の玄関まで行く間が、花崗石の敷石伝い、その間の、つまり表から見ると、門の右側の方に武者窓のような窓のついている長屋が三軒あって、それも凡てこの家に附いているのだ、この長屋というのは、何れもこれも、最早長年人の住まわなかったものか、床も壁も、ぼろぼろにくずれて、戸を... | 家賃はいくらでしたか。 | 家賃は月三円五十銭でした。 |
JCRRAG_007111 | 国語 | 私が北豊島郡染井の家に移ったのが、明治三十五年の春であった。何しろ滅法安値い家で、立派な門構に、庭も広し、座敷も七間あって、それで家賃が僅かに月三円五十銭というのだから、当時まだ独身者の自分には、願ったり適ったりだと喜んで、早速その家に転居をすることに定めたのであった。一寸その家の模様を談してみると、先ず通路から、五六階の石段を上ると、昔の冠木門風な表門で、それから右の方の玄関まで行く間が、花崗石の敷石伝い、その間の、つまり表から見ると、門の右側の方に武者窓のような窓のついている長屋が三軒あって、それも凡てこの家に附いているのだ、この長屋というのは、何れもこれも、最早長年人の住まわなかったものか、床も壁も、ぼろぼろにくずれて、戸を... | 弟や老婆は、十二時を過ぎた頃になると何の音がすると私に言いましたか。 | 弟や老婆は、十二時を過ぎた頃になると、カラコロと下駄の音がすると言いました。 |
JCRRAG_007112 | 国語 | 私が北豊島郡染井の家に移ったのが、明治三十五年の春であった。何しろ滅法安値い家で、立派な門構に、庭も広し、座敷も七間あって、それで家賃が僅かに月三円五十銭というのだから、当時まだ独身者の自分には、願ったり適ったりだと喜んで、早速その家に転居をすることに定めたのであった。一寸その家の模様を談してみると、先ず通路から、五六階の石段を上ると、昔の冠木門風な表門で、それから右の方の玄関まで行く間が、花崗石の敷石伝い、その間の、つまり表から見ると、門の右側の方に武者窓のような窓のついている長屋が三軒あって、それも凡てこの家に附いているのだ、この長屋というのは、何れもこれも、最早長年人の住まわなかったものか、床も壁も、ぼろぼろにくずれて、戸を... | この家は、後に近所で聞いた時にどのような評判でしたか。 | この家は、後に近所で聞いてみると、怪物屋敷という評判で、人が決して住まわないとの事でした。 |
JCRRAG_007113 | 国語 | 十三年前だった。
その当時、夫に死別したお松は、三人の子供を抱えて生活の最低下線上に立っていた。食わない日が幾日も続いた。夜になると、死が誘惑の手を拡げてお松親子を迎いにやってきた。死ぬ機会を見付ける事だけが問題だった。或真夜中、お松は子供達の手を曳いて、宛どもなく街を彷徨った。気力の脱け切った子猫のように、子供達は眼だけ光らせて従順しく歩いていた。太い丈夫そうな松の木が逞しい腕を延ばしていた。併し其処迄行くには高い崖があった。レールが白く光っていた。だが汽車は仲々やってこなかった。河淵へ出た。温かい風が吹いていた。青い月の光りが、足元の水を深く見せていた。お松はやっと微笑した。その場所に辿りついた事を悦んだ。彼女の手は無意識に... | 慈しみ深い微笑でお松親子を安心させたのは誰ですか。 | 慈しみ深い微笑でお松親子を安心させたのは、聖ヨハネ教会の沢木教父です。 |
JCRRAG_007114 | 国語 | 十三年前だった。
その当時、夫に死別したお松は、三人の子供を抱えて生活の最低下線上に立っていた。食わない日が幾日も続いた。夜になると、死が誘惑の手を拡げてお松親子を迎いにやってきた。死ぬ機会を見付ける事だけが問題だった。或真夜中、お松は子供達の手を曳いて、宛どもなく街を彷徨った。気力の脱け切った子猫のように、子供達は眼だけ光らせて従順しく歩いていた。太い丈夫そうな松の木が逞しい腕を延ばしていた。併し其処迄行くには高い崖があった。レールが白く光っていた。だが汽車は仲々やってこなかった。河淵へ出た。温かい風が吹いていた。青い月の光りが、足元の水を深く見せていた。お松はやっと微笑した。その場所に辿りついた事を悦んだ。彼女の手は無意識に... | 沢木教父は本部の指令でどこへ栄転しましたか。 | 沢木教父は本部の指令で、中央都市の或る聖公会へ栄転しました。 |
JCRRAG_007115 | 国語 | 文芸と倫理学
人生の悩みを持つ青年は多くその解決を求めて文芸に行く。解決は望まれぬまでも何か活きた悩みに触れてもらいたいために小説や、戯曲に行く。それはもとより当然である。文芸はこの生の具象的な事実をその肉づけと香気のままに表現するものだからだ。少なくともそこにはかわいた、煩鎖な概念的理窟や、腐儒的御用的講話や、すべて生の緑野から遊離した死骸のようなものはない。しかし文芸はその約束として個々の体験と事象との具象的描写を事とせねばならぬ故、人生全体としての指導原理の探究を目ざすことはできぬ。それ故一定の目的をもって文芸に向かうものにとっては、それは活きてはいるが低徊的である。それは行為の法則を与えようとしない。行為そのものを描く。とき... | 人生の悩みを持つ青年が文芸に行く目的は何ですか。 | 目的は、人生の悩みの解決を求めて文芸に行くことです。 |
JCRRAG_007116 | 国語 | 文芸と倫理学
人生の悩みを持つ青年は多くその解決を求めて文芸に行く。解決は望まれぬまでも何か活きた悩みに触れてもらいたいために小説や、戯曲に行く。それはもとより当然である。文芸はこの生の具象的な事実をその肉づけと香気のままに表現するものだからだ。少なくともそこにはかわいた、煩鎖な概念的理窟や、腐儒的御用的講話や、すべて生の緑野から遊離した死骸のようなものはない。しかし文芸はその約束として個々の体験と事象との具象的描写を事とせねばならぬ故、人生全体としての指導原理の探究を目ざすことはできぬ。それ故一定の目的をもって文芸に向かうものにとっては、それは活きてはいるが低徊的である。それは行為の法則を与えようとしない。行為そのものを描く。とき... | 倫理学が文学の様に具象的であることが出来ないのはなぜですか。 | 倫理学は、学としての約束上概念を媒介としなければなならないからです。 |
JCRRAG_007117 | 国語 | 文芸と倫理学
人生の悩みを持つ青年は多くその解決を求めて文芸に行く。解決は望まれぬまでも何か活きた悩みに触れてもらいたいために小説や、戯曲に行く。それはもとより当然である。文芸はこの生の具象的な事実をその肉づけと香気のままに表現するものだからだ。少なくともそこにはかわいた、煩鎖な概念的理窟や、腐儒的御用的講話や、すべて生の緑野から遊離した死骸のようなものはない。しかし文芸はその約束として個々の体験と事象との具象的描写を事とせねばならぬ故、人生全体としての指導原理の探究を目ざすことはできぬ。それ故一定の目的をもって文芸に向かうものにとっては、それは活きてはいるが低徊的である。それは行為の法則を与えようとしない。行為そのものを描く。とき... | 『純粋意志の倫理学』の著者は誰ですか。 | 『純粋意志の倫理学』の著者は、コーヘンです。 |
JCRRAG_007118 | 国語 | 文芸と倫理学
人生の悩みを持つ青年は多くその解決を求めて文芸に行く。解決は望まれぬまでも何か活きた悩みに触れてもらいたいために小説や、戯曲に行く。それはもとより当然である。文芸はこの生の具象的な事実をその肉づけと香気のままに表現するものだからだ。少なくともそこにはかわいた、煩鎖な概念的理窟や、腐儒的御用的講話や、すべて生の緑野から遊離した死骸のようなものはない。しかし文芸はその約束として個々の体験と事象との具象的描写を事とせねばならぬ故、人生全体としての指導原理の探究を目ざすことはできぬ。それ故一定の目的をもって文芸に向かうものにとっては、それは活きてはいるが低徊的である。それは行為の法則を与えようとしない。行為そのものを描く。とき... | 文芸を愛好する故に倫理学を軽視するという青年の風潮を、著者はどのようだと言っていますか。 | 著者は、青年層の人格的衰弱の徴候と言っています。その人の美の感覚に比して善の感覚が鈍いことの証左となり、
その人の人間としての素質のある低さと、頽廃への傾向を示すものであるとも言っています。 |
JCRRAG_007119 | 国語 | 大阪は「だす」であり、京都は「どす」である。大阪から京都へ行く途中、山崎あたりへ来ると、急に気温が下って、ああ京都へはいったんだなと感ずるという意味の谷崎潤一郎氏の文章を、どこかで読んだことがあるが、大阪の「DAS」が京都の「DOS」と擦れ合っているのも山崎あたりであり、大阪の「DAS」という音は、山崎に近づくにつれて、次第に「A」の強さが薄れて行き、山崎あたりでは「A」と「O」との重なり合った音になって、やがて京都へ近づくにつれて、「O」の音が強くなり、「DOS」となるのである。山崎あたりに住んでいる人たちの言葉をきいていると、「そうだす」と言っているのか、「そうどす」と言っているのか、はっきり区別がつかない。
字で書けば、「だす... | 大阪の「DAS」という音が次第に「A」の強さが薄れていく場所はどのあたりですか。 | 次第に「A」の強さが薄れていく場所は、山崎あたりです。 |
JCRRAG_007120 | 国語 | 大阪は「だす」であり、京都は「どす」である。大阪から京都へ行く途中、山崎あたりへ来ると、急に気温が下って、ああ京都へはいったんだなと感ずるという意味の谷崎潤一郎氏の文章を、どこかで読んだことがあるが、大阪の「DAS」が京都の「DOS」と擦れ合っているのも山崎あたりであり、大阪の「DAS」という音は、山崎に近づくにつれて、次第に「A」の強さが薄れて行き、山崎あたりでは「A」と「O」との重なり合った音になって、やがて京都へ近づくにつれて、「O」の音が強くなり、「DOS」となるのである。山崎あたりに住んでいる人たちの言葉をきいていると、「そうだす」と言っているのか、「そうどす」と言っているのか、はっきり区別がつかない。
字で書けば、「だす... | 京都の言葉は、周りにどのように思われていますか。 | 京都の言葉は、大阪の言葉より柔かく上品で、美しいと思われています。 |
JCRRAG_007121 | 国語 | 大阪は「だす」であり、京都は「どす」である。大阪から京都へ行く途中、山崎あたりへ来ると、急に気温が下って、ああ京都へはいったんだなと感ずるという意味の谷崎潤一郎氏の文章を、どこかで読んだことがあるが、大阪の「DAS」が京都の「DOS」と擦れ合っているのも山崎あたりであり、大阪の「DAS」という音は、山崎に近づくにつれて、次第に「A」の強さが薄れて行き、山崎あたりでは「A」と「O」との重なり合った音になって、やがて京都へ近づくにつれて、「O」の音が強くなり、「DOS」となるのである。山崎あたりに住んでいる人たちの言葉をきいていると、「そうだす」と言っているのか、「そうどす」と言っているのか、はっきり区別がつかない。
字で書けば、「だす... | 私はなぜ京都弁に魅力を感じないのでしょうか。 | 京都弁は、京都弁そのものが豊富ではなく、京都弁を話す人もただ教えられた数少い言葉を紋切型のように使っている。また、京都弁は個性的な表現ではなく簡素で単純なので、新しい言葉の生れる可能性は皆無だと考えているから。 |
JCRRAG_007122 | 国語 | 大阪は「だす」であり、京都は「どす」である。大阪から京都へ行く途中、山崎あたりへ来ると、急に気温が下って、ああ京都へはいったんだなと感ずるという意味の谷崎潤一郎氏の文章を、どこかで読んだことがあるが、大阪の「DAS」が京都の「DOS」と擦れ合っているのも山崎あたりであり、大阪の「DAS」という音は、山崎に近づくにつれて、次第に「A」の強さが薄れて行き、山崎あたりでは「A」と「O」との重なり合った音になって、やがて京都へ近づくにつれて、「O」の音が強くなり、「DOS」となるのである。山崎あたりに住んでいる人たちの言葉をきいていると、「そうだす」と言っているのか、「そうどす」と言っているのか、はっきり区別がつかない。
字で書けば、「だす... | 桃子の言った「あて、かなわんのどっせ。かんにんどっせ」は、どのような意味ですか。 | この言葉の意味は、自分はオーさんと泊ることは困る、勘弁してくれという意味です。 |
JCRRAG_007123 | 国語 | 今日の日本の反動形態は、総てが日本型ファッシズムに集中していると見做すことが出来る。
日本のファッシズムがイタリヤやドイツ、オーストリアのファッシズムと同じ現象上の規定を持っていないことは明らかで、日本に特有な根本規定がそこでも無論大切であるが、そうだからと云って、日本型ファッシズムがファッシズム一般に属するということを見逃すならば、夫は由々しい誤算である。人によってはファッシズムを日本に於ける封建的勢力の増大から区別しようとするが、併し抑々封建的勢力を原則的に利用して初めて発達し得たし又得るということこそが、日本型ファッシズムの固有な根本特色なのである。
吾々が最も期待するものは、この日本ファッシズムの歴史的な且つ時事的な分析的批... | 日本型ファッシズム固有の根本特色は何ですか。 | 日本型ファッシズム固有の根本特色は、封建的勢力を原則的に利用して初めて発達し得たし又得るということです。 |
JCRRAG_007124 | 国語 | 今日の日本の反動形態は、総てが日本型ファッシズムに集中していると見做すことが出来る。
日本のファッシズムがイタリヤやドイツ、オーストリアのファッシズムと同じ現象上の規定を持っていないことは明らかで、日本に特有な根本規定がそこでも無論大切であるが、そうだからと云って、日本型ファッシズムがファッシズム一般に属するということを見逃すならば、夫は由々しい誤算である。人によってはファッシズムを日本に於ける封建的勢力の増大から区別しようとするが、併し抑々封建的勢力を原則的に利用して初めて発達し得たし又得るということこそが、日本型ファッシズムの固有な根本特色なのである。
吾々が最も期待するものは、この日本ファッシズムの歴史的な且つ時事的な分析的批... | 日本ファッシズムの本質を明るみにするために、何をしますか。 | 日本ファッシズムの本質を明るみにするためには、時代の時事的な洞察と、国史の歴史科学的分析を行います。 |
JCRRAG_007125 | 国語 | グリム童話は、2005年にユネスコ世界記憶遺産に登録されました。2012年、その第1巻初版刊行200年を記念した国際シンポジウム「グリム童話200年のあゆみ―日本とドイツの架け橋として―」を、東洋大学創立125周年記念行事の1つとして開催しました。グリム童話は、実は創作童話ではありません。グリム兄弟が収集した民間伝承です。
『グリム童話』の本当の名前は『子供と家庭のメルヒェン集』といい、もともとはドイツ語で書かれ、第1巻初版は1812年に、第2巻初版は1815年に出版されました。しかし、実はそこには、挿絵がまったく付いてはいなかったのです。
兄のヤーコプ・グリムと弟のヴィルヘルム・グリムは、司書を経て大学教授となり、文学、言語学、法... | グリム童話は、何年にユネスコ世界記憶遺産に登録されましたか。 | グリム童話がユネスコ世界記憶遺産に登録されたのは、2005年です。 |
JCRRAG_007126 | 国語 | 白雪姫の物語は、もともとはドイツのヘッセン州バート・ヴィルドゥンゲンの民話といわれています。
ドイツの郷土史家エックハルト・ザンダーは、白雪姫のモデルは1554年に亡くなったマルガレータ・フォン・ヴァルデックとしています。
継母のカタリーナからその美貌を嫉妬されたマルガレータは、城から追い出され、ベルギー・ブリュッセルで亡くなります。
彼女の人生と、バート・ヴィルドゥンゲンの廃坑となった銅鉱山、その近くの廃村にこびとたちが住み着いたという伝説が結びついて、白雪姫の原型ができました。
その民話をマリー・ハッセンプフルークという女性がグリム兄弟に話して聞かせ、「グリム童話」の白雪姫が誕生します。
初版が1812年に発行され、現在知られて... | 白雪姫の物語の類話は、ドイツやゲルマン語圏よりも、何圏に多く残っているのが一番の特徴ですか。 | 白雪姫の物語の類話は、ドイツやゲルマン語圏よりも、ゲール語圏(ケルト系)、ラテン語圏(ラテン系)に多く残っているのが一番の特徴です。 |
JCRRAG_007127 | 国語 | グリム童話は、2005年にユネスコ世界記憶遺産に登録されました。2012年、その第1巻初版刊行200年を記念した国際シンポジウム「グリム童話200年のあゆみ―日本とドイツの架け橋として―」を、東洋大学創立125周年記念行事の1つとして開催しました。グリム童話は、実は創作童話ではありません。グリム兄弟が収集した民間伝承です。
『グリム童話』の本当の名前は『子供と家庭のメルヒェン集』といい、もともとはドイツ語で書かれ、第1巻初版は1812年に、第2巻初版は1815年に出版されました。しかし、実はそこには、挿絵がまったく付いてはいなかったのです。
兄のヤーコプ・グリムと弟のヴィルヘルム・グリムは、司書を経て大学教授となり、文学、言語学、法... | 『グリム童話』の本当の名前は何ですか。 | 『グリム童話』の本当の名前は、『子供と家庭のメルヒェン集』といいます。 |
JCRRAG_007128 | 国語 | グリム童話は、2005年にユネスコ世界記憶遺産に登録されました。2012年、その第1巻初版刊行200年を記念した国際シンポジウム「グリム童話200年のあゆみ―日本とドイツの架け橋として―」を、東洋大学創立125周年記念行事の1つとして開催しました。グリム童話は、実は創作童話ではありません。グリム兄弟が収集した民間伝承です。
『グリム童話』の本当の名前は『子供と家庭のメルヒェン集』といい、もともとはドイツ語で書かれ、第1巻初版は1812年に、第2巻初版は1815年に出版されました。しかし、実はそこには、挿絵がまったく付いてはいなかったのです。
兄のヤーコプ・グリムと弟のヴィルヘルム・グリムは、司書を経て大学教授となり、文学、言語学、法... | グリム童話はもともとは何語で書かれ、第1巻の初版は何年に出版されましたか。 | グリム童話はもともとは、ドイツ語で書かれ、第1巻の初版は、1812年に出版されました。 |
JCRRAG_007129 | 国語 | グリム童話は、2005年にユネスコ世界記憶遺産に登録されました。2012年、その第1巻初版刊行200年を記念した国際シンポジウム「グリム童話200年のあゆみ―日本とドイツの架け橋として―」を、東洋大学創立125周年記念行事の1つとして開催しました。グリム童話は、実は創作童話ではありません。グリム兄弟が収集した民間伝承です。
『グリム童話』の本当の名前は『子供と家庭のメルヒェン集』といい、もともとはドイツ語で書かれ、第1巻初版は1812年に、第2巻初版は1815年に出版されました。しかし、実はそこには、挿絵がまったく付いてはいなかったのです。
兄のヤーコプ・グリムと弟のヴィルヘルム・グリムは、司書を経て大学教授となり、文学、言語学、法... | ドイツ語のメルヒェンとは、もともとはどういった意味ですか。 | メルヒェンとは、もともとは、短い報告といった意味です。 |
JCRRAG_007130 | 国語 | グリム童話は、2005年にユネスコ世界記憶遺産に登録されました。2012年、その第1巻初版刊行200年を記念した国際シンポジウム「グリム童話200年のあゆみ―日本とドイツの架け橋として―」を、東洋大学創立125周年記念行事の1つとして開催しました。グリム童話は、実は創作童話ではありません。グリム兄弟が収集した民間伝承です。
『グリム童話』の本当の名前は『子供と家庭のメルヒェン集』といい、もともとはドイツ語で書かれ、第1巻初版は1812年に、第2巻初版は1815年に出版されました。しかし、実はそこには、挿絵がまったく付いてはいなかったのです。
兄のヤーコプ・グリムと弟のヴィルヘルム・グリムは、司書を経て大学教授となり、文学、言語学、法... | グリム童話は、グリム兄弟が生きている間に第何版まで刊行され、またそれは何年ですか。 | グリム兄弟が生きている間は、第7版まで刊行され、刊行年は1857年です。 |
JCRRAG_007131 | 国語 | 白雪姫の物語は、もともとはドイツのヘッセン州バート・ヴィルドゥンゲンの民話といわれています。
ドイツの郷土史家エックハルト・ザンダーは、白雪姫のモデルは1554年に亡くなったマルガレータ・フォン・ヴァルデックとしています。
継母のカタリーナからその美貌を嫉妬されたマルガレータは、城から追い出され、ベルギー・ブリュッセルで亡くなります。
彼女の人生と、バート・ヴィルドゥンゲンの廃坑となった銅鉱山、その近くの廃村にこびとたちが住み着いたという伝説が結びついて、白雪姫の原型ができました。
その民話をマリー・ハッセンプフルークという女性がグリム兄弟に話して聞かせ、「グリム童話」の白雪姫が誕生します。
初版が1812年に発行され、現在知られて... | 白雪姫の物語は、もともとはドイツのどこの民話といわれていますか。 | 白雪姫の物語は、もともとは、ドイツのヘッセン州バート・ヴィルドゥンゲンの民話といわれています。 |
JCRRAG_007132 | 国語 | 白雪姫の物語は、もともとはドイツのヘッセン州バート・ヴィルドゥンゲンの民話といわれています。
ドイツの郷土史家エックハルト・ザンダーは、白雪姫のモデルは1554年に亡くなったマルガレータ・フォン・ヴァルデックとしています。
継母のカタリーナからその美貌を嫉妬されたマルガレータは、城から追い出され、ベルギー・ブリュッセルで亡くなります。
彼女の人生と、バート・ヴィルドゥンゲンの廃坑となった銅鉱山、その近くの廃村にこびとたちが住み着いたという伝説が結びついて、白雪姫の原型ができました。
その民話をマリー・ハッセンプフルークという女性がグリム兄弟に話して聞かせ、「グリム童話」の白雪姫が誕生します。
初版が1812年に発行され、現在知られて... | 1554年に亡くなった白雪姫のモデル、マルガレータは、誰に城から追い出され、どこで亡くなりましたか。 | マルガレータは、継母に城から追い出され、ベルギー・ブリュッセルで亡くなりました。 |
JCRRAG_007133 | 国語 | 白雪姫の物語は、もともとはドイツのヘッセン州バート・ヴィルドゥンゲンの民話といわれています。
ドイツの郷土史家エックハルト・ザンダーは、白雪姫のモデルは1554年に亡くなったマルガレータ・フォン・ヴァルデックとしています。
継母のカタリーナからその美貌を嫉妬されたマルガレータは、城から追い出され、ベルギー・ブリュッセルで亡くなります。
彼女の人生と、バート・ヴィルドゥンゲンの廃坑となった銅鉱山、その近くの廃村にこびとたちが住み着いたという伝説が結びついて、白雪姫の原型ができました。
その民話をマリー・ハッセンプフルークという女性がグリム兄弟に話して聞かせ、「グリム童話」の白雪姫が誕生します。
初版が1812年に発行され、現在知られて... | 民話・初版に出てくるお后は、「継母」ではなく誰ですか。 | 民話・初版に出てくるお后は、「継母」ではなく、「実母」です。 |
JCRRAG_007134 | 国語 | 白雪姫の物語は、もともとはドイツのヘッセン州バート・ヴィルドゥンゲンの民話といわれています。
ドイツの郷土史家エックハルト・ザンダーは、白雪姫のモデルは1554年に亡くなったマルガレータ・フォン・ヴァルデックとしています。
継母のカタリーナからその美貌を嫉妬されたマルガレータは、城から追い出され、ベルギー・ブリュッセルで亡くなります。
彼女の人生と、バート・ヴィルドゥンゲンの廃坑となった銅鉱山、その近くの廃村にこびとたちが住み着いたという伝説が結びついて、白雪姫の原型ができました。
その民話をマリー・ハッセンプフルークという女性がグリム兄弟に話して聞かせ、「グリム童話」の白雪姫が誕生します。
初版が1812年に発行され、現在知られて... | 白雪姫が毒リンゴを吐き出して生き返る描写は、最終版ではどのようになっていますか。 | 最終版では、召使が木に足をとられて棺が揺れたために、毒リンゴがのどから出てきます。 |
JCRRAG_007135 | 国語 | 青水仙、赤水仙
夢野久作
うた子さんは友達に教わって、水仙の根を切り割って、赤い絵の具と青い絵の具を入れて、お庭の隅に埋めておきました。早く芽が出て、赤と青の水仙の花が咲けばいいと、毎日水をやっておりましたが、いつまでも芽が出ません。
ある日、学校から帰ってすぐにお庭に来てみると、大変です。お父様がお庭中をすっかり掘り返して、畠にしておいでになります。そうしてうた子さんを見ると、
「やあ、うた子か。お父さんはうっかりして悪い事をした。お前の大切な水仙を二つとも鍬くわで半分に切ってしまったから、裏の草原くさはらへ棄ててしまった。勘弁してくれ。その代り、今度水仙の花が咲く頃になったら、大きな支那水仙を買ってやるから」
とおあやまり... | うた子さんは、どれくらいの頻度で水仙に水をあげ、絵の具のことは誰に教えてもらったのですか。 | うた子さんは、毎日水仙に水を上げ、絵の具のことは友達に教わりました。 |
JCRRAG_007136 | 国語 | 秋場所から
平野零児
仕事に忙しい尾崎士郎君だが、東京場所で、蔵前国技館に、ヤグラ太鼓が鳴り響いている間の、十五日間は、完全に書斎を離れて土俵の脇で過ごさないではいられない人物である。
彼が初めて相撲を見たのは、大正九年で、たまたま相撲史上の名勝負の一つに数えられる栃木山(現春日野)と朝汐(先代の高砂)との一番を見「力の調和というものが、こんなに美しいものであるかを知らなかった」といっている。無論彼は、花相撲はそれまでに、七つ八つのころから見てはいる。
私とは一つ違いの年齢だから、私も幼年のころ門司にいて、梅ケ谷や常陸山の全盛時代の相撲を見、父から錦絵を買ってもらった記憶があるから、ほぼ同時代に、彼は郷里の三河辺の花相撲を見て... | 尾崎士郎君が初めて相撲を見たのは、いつで、初めて見た相撲について、なんと言ってますか。 | 尾崎士郎君が初めて相撲を見たのは、大正九年で、相撲史上の名勝負の一つに数えられる栃木山(現春日野)と朝汐(先代の高砂)との一番を見ました。相撲を初めて見て「力の調和というものが、こんなに美しいものであるかを知らなかった」といっています。 |
JCRRAG_007137 | 国語 | 青田は果なし
宮本百合子
用事があって、岩手県の盛岡と秋田市とへ数日出かけた。帰途は新潟まわりの汽車で上野へついた。
秋田へ行ったのもはじめてであったし、山形から新潟を通ったのもはじめてであった。夏も末に近い日本海の眺めは美しくて、私をおどろかした。が、それよりも身に沁みじみと感じて見てとおったのは秋田から山形に及ぶ広大な稲田の景色であった。
汽車が秋田市を出発して間もなく、窓の左右は目もはるかな稲田ばかりの眺めとなった。はるか左側に雄大な奥羽山脈をひかえ、右手に秋田の山々が見える。その間の盆地数十里の間、行けど、行けど、青々と茂った稲ばかりである。
関東の農村は、汽車でとおっても、雑木林をぬけたところには畑があり、そこでヒ... | 汽車が秋田市を出発した間もなく見えたのは、どんな景色でしたか。 | 窓の左右は稲田ばかりの眺めでした。左側に雄大な奥羽山脈をひかえ、右手に秋田の山々が見えました。その間の盆地数十里の間、青々と茂った稲ばかりでした。 |
JCRRAG_007138 | 国語 | 赤い牛
田中貢太郎
長野県の上田市にある上田城は、名将真田幸村の居城として知られているが、その上田城の濠の水を明治初年になって、替え乾ほそうと云う事になった。そして、いよいよその日になると、附近の人びとは好奇心に駆られて、早朝から手伝いやら見物やらで押しかけて来た。
その日は朝からからっと晴れた好天気で、気候も初夏らしく温い日だったので、人びとはお祭り騒ぎで替え乾ぼしをはじめた。そのために作業はずんずんはかどって、水が減るに従って大きな鯉が躍りあがったり、大鯰が浮いたりして、濠の周囲まわりには至るところに喊声かんせいがあがった。
その日私の父も、面白半分その手伝いに往っていたが、正午近くなって濠の水が膝の下ぐらいに減った時、父... | 全身真紅の色をした動物とは何ですか。 | その動物は、額に太い二本の角のある大きな牛でした。 |
JCRRAG_007139 | 国語 | 赤い蝋燭
新美南吉
山から里の方へ遊びにいった猿さるが一本の赤い蝋燭を拾いました。赤い蝋燭は沢山あるものではありません。それで猿は赤い蝋燭を花火だと思い込んでしまいました。
猿は拾った赤い蝋燭を大事に山へ持って帰りました。
山では大へんな騒さわぎになりました。何しろ花火などというものは、鹿にしても猪にしても兎にしても、亀にしても、鼬にしても、狸にしても、狐にしても、まだ一度も見たことがありません。その花火を猿が拾って来たというのであります。
「ほう、すばらしい」
「これは、すてきなものだ」
鹿や猪や兎や亀や鼬や狸や狐が押合いへしあいして赤い蝋燭を覗のぞきました。すると猿が、
「危あぶない危い。そんなに近よってはいけない。爆発... | 蝋燭に火をつけたのは誰ですか。 | 猪が火をつけました。 |
JCRRAG_007140 | 国語 | 大路魯山人
鯛について、京都、大阪で、子ども時分から聞きこんでいることは、玄海灘を越してきた鯛でなくては美味くないということだ。玄海灘を通過してきた鯛には、その骨にイボのような珠み鯛なものができていると聞かされた。
私は昭和三年、朝鮮へ古窯跡の探査と、陶器原料の蒐集の目的で渡った。その時季がちょうど五月一日から三十日までであった。行程は朝鮮半島の京城から以東をおよそ全部旅行した。その折、太口面(康津郡)すなわち木浦から少し手前、康津で高麗青磁の窯跡を探って、たくさんの資料を蒐集し、帰途、岩礁の多い海岸に沿って、曲浦渚汀を、順天・馬山・釜山方面へと巡遊した。ところが、これらの地方で、はからずも非常に美味い鯛の刺身をふんだんに食わさ... | 加賀の海で明石鯛と同じような美味しいたいが獲れるのは何月ですか。 | 加賀の海で明石鯛と同じようなたいが獲れるのは、5月、6月頃です。 |
JCRRAG_007141 | 国語 | 秋霧
宮本百合子
一面、かなり深い秋霧が降りて水を流した様なゆるい傾斜のトタン屋根に星がまたたく。
隣の家の塀内にある桜の並木が、霧と光線の工合で、花時分の通りの美くしい形に見える。
白いサヤサヤと私が通ると左右に分れる音の聞える様な霧に包まれた静かな景色は、熱い頬や頭を快くひやして行く。
霞が深く掛った姿はまだはっきり覚えて居るほど新らしい時に見た事はないが秋霧の何とも云えない物静かな姿は霞の美くしさに劣るまい。
霞は人の心を引きくるめて沙婆のまんなかへつれて来る。霧は禁慾的な、隠遁的な気分に満ちて居る。
私は今の処は霧の方を好すいて居る。
冷静な頭に折々はなりたいと思うからだ。
霧の立ちこめた中に只一人立って、足... | かすかに泣いている虫はなんですか。 | 土虫が、かすかに泣いています。 |
JCRRAG_007142 | 国語 | 秋と漫歩
萩原朔太郎
四季を通じて、私は秋という季節が一番好きである。もっともこれは、たいていの人に共通の好みであろう。元来日本という国は、気候的にあまり住みよい国ではない。夏は湿気が多く、蒸暑いことで世界無比といわれているし、春は空が低く憂鬱であり、冬は紙の家の設備に対して、寒さがすこしひどすぎる。(しかもその紙の家でなければ、夏の暑さがしのげないのだ。)日本の気候では、ただ秋だけが快適であり、よく人間の生活環境に適している。
だが私が秋を好むのは、こうした一般的の理由以外に、特殊な個人的の意味もあるのだ。というのは、秋が戸外の散歩に適しているからである。元来、私は甚はなはだ趣味や道楽のない人間である。釣魚つりとか、ゴルフとか... | 竹の実家は、どんな家ですか。 | 竹の実家は、相当な暮しをしている農家です。 |
JCRRAG_007143 | 国語 | 秋の鮎
佐藤垢石
秋がくると食べものがおいしい。私のように冬でも夏でも年中川や海へ釣の旅をして、鮮あたらしい魚を嗜たしなんでいるものでも、秋がくると特に魚漿にうま味が出てくるのを感ずるのである。
殊に、今年の立秋からの鮎はおいしかったように思う。一体今年位鮎の育ちの遅れていた年はなかった。例年ならば、土用あけには肥育ちの絶頂に達し、丈も伸び肉も円みもついて八月中旬過ぎには腹に片子を持つのであるが、今年は土用があけても稚鮎の姿をしていた。随って、腹に片子を持っている鮎も、まれであった。
陽気も一体に遅れているように感ずる。いつもの年には、秋が立つと日中は暑いけれど、朝夕には爽やかな北の風が忍び吹いて肌に清涼を覚えるのであるが、空... | 茨城県の久慈川は、なぜ鮎の質が低くなったのですか。 | 茨城県の久慈川は、水電工事や鉄道工事、道路工事等で河底の石を荒らしたため、鮎の質が低くなりました。 |
JCRRAG_007144 | 国語 | 秋の歌
寺田寅彦
チャイコフスキーの「秋の歌」という小曲がある。私はジンバリストの演奏したこの曲のレコードを持っている。そして、折にふれて、これを取り出して、独り静かにこの曲の呼び出す幻想の世界にわけ入る。
北欧の、果てもなき平野の奥に、白樺の森がある。歎くように垂れた木々の梢は、もう黄金色に色づいている。傾く夕日の空から、淋しい風が吹き渡ると、落葉が、美しい美しい涙のようにふり注ぐ。
私は、森の中を縫う、荒れ果てた小径こみちを、あてもなく彷徨さまよい歩く。私と並んで、マリアナ・ミハイロウナが歩いている。
二人は黙って歩いている。しかし、二人の胸の中に行ゆき交かう想いは、ヴァイオリンの音になって、高く低く聞こえている。その音... | 白樺の森は、どこにありますか。 | 白樺の森は、北欧の果てもなき平野の奥にあります。 |
JCRRAG_007145 | 国語 | 家中寝鎮まったものと思って足音を忍ばせ、そーッと階下へおりて行ったら、茶の間に灯がついていて、そこに従弟が一人中腰で茶を飲んでいた。どうしたの今時分まで、というと、鼠退治さ。栗のいがってどこにあるんだい。さア、私も知らないけど。そう答える私は元禄袖のどてら姿、従弟はその辺にあった膝掛けを洋服の上から羽織った恰好で、お茶を注ぎ、寝ようよ寝ようよと云いながらつい話が弾んで明方近くになってしまった。
若いサラリーマンである従弟の話の中に、この頃の若い女のひとで結婚はしたくないが子供だけは欲しいって云うのが随分あるねということがあった。或る気質の女のひとが男などと話しているときの一つの姿態としてそういう表現でものを云うようなことも少なくはな... | 従弟の話の中で、若い女のひとが欲しいと言っているものは何ですか。 | 従弟の話の中で、若い女のひとが欲しいと言っているものは、子供です。 |
JCRRAG_007146 | 国語 | 高度文化国建設のため、今や新たな出発をなさなければならない時に当って、吾々は三木清の知性を想う。彼の広い高い知性、そこに到着することさえ容易でないが、更に、そこから出発することが出来たらと翹望されるのである。この思いは、彼の死を悼むの念を、私情的のみならず公情的にも深める。――だが私は茲に、主として私情的な面からの文を綴ろう。身近に感ぜられる三木清のことを語ろう。
三木の死は、私には驚愕であった。吾々の多くにとっても、驚愕であった。三木はつまらないことが機縁となり、豊多摩刑務所に拘置されていたのだが、間もなく釈放されるだろうと吾々は待望していた。あの元気な姿を今にも見せるだろうと、そう思う日が長く続いた。そこへ、突然に獄死の報なので... | 三木清は、拘置所内で罹った病気は何ですか。 | 病気は、疥癬、栄養失調、急性腎臓炎です。 |
JCRRAG_007147 | 国語 | 家中寝鎮まったものと思って足音を忍ばせ、そーッと階下へおりて行ったら、茶の間に灯がついていて、そこに従弟が一人中腰で茶を飲んでいた。どうしたの今時分まで、というと、鼠退治さ。栗のいがってどこにあるんだい。さア、私も知らないけど。そう答える私は元禄袖のどてら姿、従弟はその辺にあった膝掛けを洋服の上から羽織った恰好で、お茶を注ぎ、寝ようよ寝ようよと云いながらつい話が弾んで明方近くになってしまった。
若いサラリーマンである従弟の話の中に、この頃の若い女のひとで結婚はしたくないが子供だけは欲しいって云うのが随分あるねということがあった。或る気質の女のひとが男などと話しているときの一つの姿態としてそういう表現でものを云うようなことも少なくはな... | 「ジャン・クリストフ」の作者は誰ですか。 | 作者は、ロマン・ローランです。 |
JCRRAG_007148 | 国語 | 家中寝鎮まったものと思って足音を忍ばせ、そーッと階下へおりて行ったら、茶の間に灯がついていて、そこに従弟が一人中腰で茶を飲んでいた。どうしたの今時分まで、というと、鼠退治さ。栗のいがってどこにあるんだい。さア、私も知らないけど。そう答える私は元禄袖のどてら姿、従弟はその辺にあった膝掛けを洋服の上から羽織った恰好で、お茶を注ぎ、寝ようよ寝ようよと云いながらつい話が弾んで明方近くになってしまった。
若いサラリーマンである従弟の話の中に、この頃の若い女のひとで結婚はしたくないが子供だけは欲しいって云うのが随分あるねということがあった。或る気質の女のひとが男などと話しているときの一つの姿態としてそういう表現でものを云うようなことも少なくはな... | アンネットは婚約の青年との通常の結婚生活に入ることを拒んだ理由は何ですか。 | 理由は、個性的な特色が互に減殺しあうことと愛情が見せかけの仕草や慣習の一つに堕すことなどを嫌ったからです。 |
JCRRAG_007149 | 国語 | 家中寝鎮まったものと思って足音を忍ばせ、そーッと階下へおりて行ったら、茶の間に灯がついていて、そこに従弟が一人中腰で茶を飲んでいた。どうしたの今時分まで、というと、鼠退治さ。栗のいがってどこにあるんだい。さア、私も知らないけど。そう答える私は元禄袖のどてら姿、従弟はその辺にあった膝掛けを洋服の上から羽織った恰好で、お茶を注ぎ、寝ようよ寝ようよと云いながらつい話が弾んで明方近くになってしまった。
若いサラリーマンである従弟の話の中に、この頃の若い女のひとで結婚はしたくないが子供だけは欲しいって云うのが随分あるねということがあった。或る気質の女のひとが男などと話しているときの一つの姿態としてそういう表現でものを云うようなことも少なくはな... | ジュネヴィエヴからの申し出をマルシャルが拒んだ理由は何ですか。 | 理由は、マルシャルは妻を愛しているからです。 |
JCRRAG_007150 | 国語 | 家中寝鎮まったものと思って足音を忍ばせ、そーッと階下へおりて行ったら、茶の間に灯がついていて、そこに従弟が一人中腰で茶を飲んでいた。どうしたの今時分まで、というと、鼠退治さ。栗のいがってどこにあるんだい。さア、私も知らないけど。そう答える私は元禄袖のどてら姿、従弟はその辺にあった膝掛けを洋服の上から羽織った恰好で、お茶を注ぎ、寝ようよ寝ようよと云いながらつい話が弾んで明方近くになってしまった。
若いサラリーマンである従弟の話の中に、この頃の若い女のひとで結婚はしたくないが子供だけは欲しいって云うのが随分あるねということがあった。或る気質の女のひとが男などと話しているときの一つの姿態としてそういう表現でものを云うようなことも少なくはな... | アンネットとジュネヴィエヴに共通するものは何ですか。 | 共通するものは、旧来の結婚の形式が偽善と心ならぬ犠牲、真実の愛の感情さえ殺すような重しを女にかけることに抗議する心持です。 |
JCRRAG_007151 | 国語 | 高度文化国建設のため、今や新たな出発をなさなければならない時に当って、吾々は三木清の知性を想う。彼の広い高い知性、そこに到着することさえ容易でないが、更に、そこから出発することが出来たらと翹望されるのである。この思いは、彼の死を悼むの念を、私情的のみならず公情的にも深める。――だが私は茲に、主として私情的な面からの文を綴ろう。身近に感ぜられる三木清のことを語ろう。
三木の死は、私には驚愕であった。吾々の多くにとっても、驚愕であった。三木はつまらないことが機縁となり、豊多摩刑務所に拘置されていたのだが、間もなく釈放されるだろうと吾々は待望していた。あの元気な姿を今にも見せるだろうと、そう思う日が長く続いた。そこへ、突然に獄死の報なので... | 吾々はどのようなときに三木清の知性を想いますか。 | 木清の知性を想うときは、高度文化国建設のため、今や新たな出発をなさなければならない時です。 |
JCRRAG_007152 | 国語 | 高度文化国建設のため、今や新たな出発をなさなければならない時に当って、吾々は三木清の知性を想う。彼の広い高い知性、そこに到着することさえ容易でないが、更に、そこから出発することが出来たらと翹望されるのである。この思いは、彼の死を悼むの念を、私情的のみならず公情的にも深める。――だが私は茲に、主として私情的な面からの文を綴ろう。身近に感ぜられる三木清のことを語ろう。
三木の死は、私には驚愕であった。吾々の多くにとっても、驚愕であった。三木はつまらないことが機縁となり、豊多摩刑務所に拘置されていたのだが、間もなく釈放されるだろうと吾々は待望していた。あの元気な姿を今にも見せるだろうと、そう思う日が長く続いた。そこへ、突然に獄死の報なので... | 三木清はどこで亡くなり、死んだ日はいつですか。 | 三木清は、豊多摩刑務所で獄死しました。死んだ日は、昭和二十年九月二十六日です。 |
JCRRAG_007153 | 国語 | 高度文化国建設のため、今や新たな出発をなさなければならない時に当って、吾々は三木清の知性を想う。彼の広い高い知性、そこに到着することさえ容易でないが、更に、そこから出発することが出来たらと翹望されるのである。この思いは、彼の死を悼むの念を、私情的のみならず公情的にも深める。――だが私は茲に、主として私情的な面からの文を綴ろう。身近に感ぜられる三木清のことを語ろう。
三木の死は、私には驚愕であった。吾々の多くにとっても、驚愕であった。三木はつまらないことが機縁となり、豊多摩刑務所に拘置されていたのだが、間もなく釈放されるだろうと吾々は待望していた。あの元気な姿を今にも見せるだろうと、そう思う日が長く続いた。そこへ、突然に獄死の報なので... | 高倉テル君は何の法律にひっかかり、警視庁に留置されましたか。 | 高倉テル君がひっかかった法律は、治安維持法です。 |
JCRRAG_007154 | 国語 | 高度文化国建設のため、今や新たな出発をなさなければならない時に当って、吾々は三木清の知性を想う。彼の広い高い知性、そこに到着することさえ容易でないが、更に、そこから出発することが出来たらと翹望されるのである。この思いは、彼の死を悼むの念を、私情的のみならず公情的にも深める。――だが私は茲に、主として私情的な面からの文を綴ろう。身近に感ぜられる三木清のことを語ろう。
三木の死は、私には驚愕であった。吾々の多くにとっても、驚愕であった。三木はつまらないことが機縁となり、豊多摩刑務所に拘置されていたのだが、間もなく釈放されるだろうと吾々は待望していた。あの元気な姿を今にも見せるだろうと、そう思う日が長く続いた。そこへ、突然に獄死の報なので... | 三木清が拘置された期間はどれほどですか。 | 拘置された期間は、まる六ヶ月です。 |
JCRRAG_007155 | 国語 | 惚れた目から見れば痘痕も笑窪に見えるという諺があるが、反対に、いやと思う眼から観れば笑窪も時に痘痕に見えようというもの。余輩が昨年〔(昭和一〇年)〕癌腫保持者たるの宣告を受けて、懇意な人の中には手術をすすめてくれる者もあったが、多数は反対の意見に傾いて、「何分お年がお年だから、それに心臓も丈夫でないようだから」などと、医者からまでも非観説を[#「非観説を」はママ]聞かされてみると、自分もつい臆病になって来る。見舞客から親切に知らせてくれる幾多の先例、自身の記憶から考えてみる若干の見聞、とかく手術の結果のよくなかったもののみがしきりにあらわれて来る。念のために医学者の発表した癌に関する文献などをあさってみても、とかく悲観的のもののみが... | 余輩は癌に対して何の手段を取りましたか。 | 余輩は、手術をして患部を除去してもらった。 |
JCRRAG_007156 | 国語 | 近藤君は漫画家として有名であった。今は正道を踏んだ日本画家としても有名である。
が、これは偶然ではない。漫画には落想の滑稽な漫画がある。画そのものの滑稽な漫画がある。或は二者を兼ねた漫画がある。近藤君の漫画の多くは、この二者を兼ねた漫画でなければ、画そのものの滑稽な漫画であった。唯、威儀を正しさえすれば、一頁の漫画が忽ちに、一幅の山水となるのは当然である。
近藤君の画は枯淡ではない。南画じみた山水の中にも、何処か肉の臭いのする、しつこい所が潜んでいる。其処に芸術家としての貪婪が、あらゆるものから養分を吸収しようとする欲望が、露骨に感ぜられるのは愉快である。
今日の流俗は昨日の流俗ではない。昨日の流俗は、反抗的な一切に冷淡なのが常であ... | 近藤君に始めて会ったとき、近藤君が手にしていたものは何ですか。 | 手にしていたものは、殆丸太のような桜のステッキです。 |
JCRRAG_007157 | 国語 | 惚れた目から見れば痘痕も笑窪に見えるという諺があるが、反対に、いやと思う眼から観れば笑窪も時に痘痕に見えようというもの。余輩が昨年〔(昭和一〇年)〕癌腫保持者たるの宣告を受けて、懇意な人の中には手術をすすめてくれる者もあったが、多数は反対の意見に傾いて、「何分お年がお年だから、それに心臓も丈夫でないようだから」などと、医者からまでも非観説を[#「非観説を」はママ]聞かされてみると、自分もつい臆病になって来る。見舞客から親切に知らせてくれる幾多の先例、自身の記憶から考えてみる若干の見聞、とかく手術の結果のよくなかったもののみがしきりにあらわれて来る。念のために医学者の発表した癌に関する文献などをあさってみても、とかく悲観的のもののみが... | 「痘痕も笑窪に見えるとはここのことだ」とは、どのような意味ですか。 | 「痘痕も笑窪に見えるとはここのことだ」とは、自分の好むところのものがしきりに目について、好まぬところのものはつい軽々に看過してしまうという意味です。 |
JCRRAG_007158 | 国語 | 惚れた目から見れば痘痕も笑窪に見えるという諺があるが、反対に、いやと思う眼から観れば笑窪も時に痘痕に見えようというもの。余輩が昨年〔(昭和一〇年)〕癌腫保持者たるの宣告を受けて、懇意な人の中には手術をすすめてくれる者もあったが、多数は反対の意見に傾いて、「何分お年がお年だから、それに心臓も丈夫でないようだから」などと、医者からまでも非観説を[#「非観説を」はママ]聞かされてみると、自分もつい臆病になって来る。見舞客から親切に知らせてくれる幾多の先例、自身の記憶から考えてみる若干の見聞、とかく手術の結果のよくなかったもののみがしきりにあらわれて来る。念のために医学者の発表した癌に関する文献などをあさってみても、とかく悲観的のもののみが... | 山内清男君の「日本考古学の秩序」は、何の小説をきっかけに書かれたものですか。 | きっかけになった小説は、余輩が書いた「日本石器時代の終末期について」です。 |
JCRRAG_007159 | 国語 | 惚れた目から見れば痘痕も笑窪に見えるという諺があるが、反対に、いやと思う眼から観れば笑窪も時に痘痕に見えようというもの。余輩が昨年〔(昭和一〇年)〕癌腫保持者たるの宣告を受けて、懇意な人の中には手術をすすめてくれる者もあったが、多数は反対の意見に傾いて、「何分お年がお年だから、それに心臓も丈夫でないようだから」などと、医者からまでも非観説を[#「非観説を」はママ]聞かされてみると、自分もつい臆病になって来る。見舞客から親切に知らせてくれる幾多の先例、自身の記憶から考えてみる若干の見聞、とかく手術の結果のよくなかったもののみがしきりにあらわれて来る。念のために医学者の発表した癌に関する文献などをあさってみても、とかく悲観的のもののみが... | 山内清男君の「日本考古学の秩序」に書かれている内容で、閑却に附せられている内容は何ですか。 | 閑却に附せられている内容は、余輩が「日本石器時代の終末期について」の中で提示した石鏃の脚有無の問題などです。 |
JCRRAG_007160 | 国語 | 惚れた目から見れば痘痕も笑窪に見えるという諺があるが、反対に、いやと思う眼から観れば笑窪も時に痘痕に見えようというもの。余輩が昨年〔(昭和一〇年)〕癌腫保持者たるの宣告を受けて、懇意な人の中には手術をすすめてくれる者もあったが、多数は反対の意見に傾いて、「何分お年がお年だから、それに心臓も丈夫でないようだから」などと、医者からまでも非観説を[#「非観説を」はママ]聞かされてみると、自分もつい臆病になって来る。見舞客から親切に知らせてくれる幾多の先例、自身の記憶から考えてみる若干の見聞、とかく手術の結果のよくなかったもののみがしきりにあらわれて来る。念のために医学者の発表した癌に関する文献などをあさってみても、とかく悲観的のもののみが... | 有脚鏃が存在しない地域はどこですか。 | 有脚鏃が存在しない地域は、中国・九州方面です。 |
JCRRAG_007161 | 国語 | 近藤君は漫画家として有名であった。今は正道を踏んだ日本画家としても有名である。
が、これは偶然ではない。漫画には落想の滑稽な漫画がある。画そのものの滑稽な漫画がある。或は二者を兼ねた漫画がある。近藤君の漫画の多くは、この二者を兼ねた漫画でなければ、画そのものの滑稽な漫画であった。唯、威儀を正しさえすれば、一頁の漫画が忽ちに、一幅の山水となるのは当然である。
近藤君の画は枯淡ではない。南画じみた山水の中にも、何処か肉の臭いのする、しつこい所が潜んでいる。其処に芸術家としての貪婪が、あらゆるものから養分を吸収しようとする欲望が、露骨に感ぜられるのは愉快である。
今日の流俗は昨日の流俗ではない。昨日の流俗は、反抗的な一切に冷淡なのが常であ... | 近藤君は、何として有名でしたか。 | 近藤君は、漫画家と日本画家として有名でした。 |
JCRRAG_007162 | 国語 | 近藤君は漫画家として有名であった。今は正道を踏んだ日本画家としても有名である。
が、これは偶然ではない。漫画には落想の滑稽な漫画がある。画そのものの滑稽な漫画がある。或は二者を兼ねた漫画がある。近藤君の漫画の多くは、この二者を兼ねた漫画でなければ、画そのものの滑稽な漫画であった。唯、威儀を正しさえすれば、一頁の漫画が忽ちに、一幅の山水となるのは当然である。
近藤君の画は枯淡ではない。南画じみた山水の中にも、何処か肉の臭いのする、しつこい所が潜んでいる。其処に芸術家としての貪婪が、あらゆるものから養分を吸収しようとする欲望が、露骨に感ぜられるのは愉快である。
今日の流俗は昨日の流俗ではない。昨日の流俗は、反抗的な一切に冷淡なのが常であ... | 近藤君の漫画はどのような漫画でしたか。 | 近藤君の漫画は、落想の滑稽な漫画と画そのものの滑稽な漫画を兼ねた漫画又は画そのものの滑稽な漫画です。 |
JCRRAG_007163 | 国語 | 近藤君は漫画家として有名であった。今は正道を踏んだ日本画家としても有名である。
が、これは偶然ではない。漫画には落想の滑稽な漫画がある。画そのものの滑稽な漫画がある。或は二者を兼ねた漫画がある。近藤君の漫画の多くは、この二者を兼ねた漫画でなければ、画そのものの滑稽な漫画であった。唯、威儀を正しさえすれば、一頁の漫画が忽ちに、一幅の山水となるのは当然である。
近藤君の画は枯淡ではない。南画じみた山水の中にも、何処か肉の臭いのする、しつこい所が潜んでいる。其処に芸術家としての貪婪が、あらゆるものから養分を吸収しようとする欲望が、露骨に感ぜられるのは愉快である。
今日の流俗は昨日の流俗ではない。昨日の流俗は、反抗的な一切に冷淡なのが常であ... | 作者は近藤君の画からどのような欲望を感じていますか。 | 近藤君の画から作者が感じる欲望は、其処に芸術家としての貪婪とあらゆるものから養分を吸収しようとする欲望です。 |
JCRRAG_007164 | 国語 | 近藤君は漫画家として有名であった。今は正道を踏んだ日本画家としても有名である。
が、これは偶然ではない。漫画には落想の滑稽な漫画がある。画そのものの滑稽な漫画がある。或は二者を兼ねた漫画がある。近藤君の漫画の多くは、この二者を兼ねた漫画でなければ、画そのものの滑稽な漫画であった。唯、威儀を正しさえすれば、一頁の漫画が忽ちに、一幅の山水となるのは当然である。
近藤君の画は枯淡ではない。南画じみた山水の中にも、何処か肉の臭いのする、しつこい所が潜んでいる。其処に芸術家としての貪婪が、あらゆるものから養分を吸収しようとする欲望が、露骨に感ぜられるのは愉快である。
今日の流俗は昨日の流俗ではない。昨日の流俗は、反抗的な一切に冷淡なのが常であ... | 今日の流俗とは、どのようなものですか。 | 今日の流俗とは、反抗的ならざる一切に冷淡なのを常としているものです。 |
JCRRAG_007165 | 国語 | 一 カールの持った「三人の聖者」
ドイツの南の小さい一つの湖から注ぎ出て、深い峡谷の間を流れ、やがて葡萄の美しく実る地方を通って、遠くオランダの海に河口を開いている大きい河がある。それは有名なライン河である。太古の文明はこのライン河の水脈にそって中部ヨーロッパにもたらされた。ライン沿岸地方は、未開なその時代のゲルマン人の間にまず文明をうけ入れ、ついで近代ドイツの発達と、世界の社会運動史の上に大切な役割りを持つ地方となった。早くから商業が発達し、学問が進み、人間の独立と自由とを愛する気風が培われていたライン州では、一七八九年にフランスの大革命が起った時、ジャコバン党の支部が出来、ドイツ人でフランス革命のために努力した人々が沢山あった。... | ライン河の水脈にそって、文明がもたらされた地域はどこで、その地域はどのような役割を持ちましたか。 | ライン河の水脈にそって文明がもたらされた地域は、中部ヨーロッパで、その地域は、太古の文明を受け入れたのち、近代ドイツの発達と世界の社会運動史の上に大切な役割りを持ちました。 |
JCRRAG_007166 | 国語 | 五月の大事変(注・昭和七年五月十五日、陸海軍将校ら首相官邸などを襲撃、犬養首相を射殺した、世に言う五・一五事件)直後、
緊張しきっている帝都へ、興津の坐漁荘を出て乗り込まれた西園寺公の駿河台における警戒裡の日常嗜好の一端が、去る五月二十八日の「東京朝日新聞」紙上に、如上のような三段抜きの見出しの下に、
「園公滞京中、駿河台付近の人々の不思議がったのは、園公邸から時折田舎めいた煙の立ち上る事で、
これは老公が松薪でたいた飯でなければ口にせぬからで、
また魚屋などへの注文もたひの目玉だけとか、たひのわき腹一寸四方だけとか、おかぶ三銭とかいふ鳥のすり餌のやうな微妙な御注文なので、
“光栄”とは感じながらも、いささか恐れいってゐたのは園公の... | 脂肪とゼラチン質に富んでいて、脇腹の薄身以上に美味いと作者が考えるたいの部位はどこですか。 | 作者が考えるたいの部分は、唇です。 |
JCRRAG_007167 | 国語 | 一 カールの持った「三人の聖者」
ドイツの南の小さい一つの湖から注ぎ出て、深い峡谷の間を流れ、やがて葡萄の美しく実る地方を通って、遠くオランダの海に河口を開いている大きい河がある。それは有名なライン河である。太古の文明はこのライン河の水脈にそって中部ヨーロッパにもたらされた。ライン沿岸地方は、未開なその時代のゲルマン人の間にまず文明をうけ入れ、ついで近代ドイツの発達と、世界の社会運動史の上に大切な役割りを持つ地方となった。早くから商業が発達し、学問が進み、人間の独立と自由とを愛する気風が培われていたライン州では、一七八九年にフランスの大革命が起った時、ジャコバン党の支部が出来、ドイツ人でフランス革命のために努力した人々が沢山あった。... | フランスの大革命はいつ起こりましたか。 | フランスの大革命が起きたのは、一七八九年です。 |
JCRRAG_007168 | 国語 | 一 カールの持った「三人の聖者」
ドイツの南の小さい一つの湖から注ぎ出て、深い峡谷の間を流れ、やがて葡萄の美しく実る地方を通って、遠くオランダの海に河口を開いている大きい河がある。それは有名なライン河である。太古の文明はこのライン河の水脈にそって中部ヨーロッパにもたらされた。ライン沿岸地方は、未開なその時代のゲルマン人の間にまず文明をうけ入れ、ついで近代ドイツの発達と、世界の社会運動史の上に大切な役割りを持つ地方となった。早くから商業が発達し、学問が進み、人間の独立と自由とを愛する気風が培われていたライン州では、一七八九年にフランスの大革命が起った時、ジャコバン党の支部が出来、ドイツ人でフランス革命のために努力した人々が沢山あった。... | ライン同盟を結んだことで、ライン十六州は何が守られましたか。 | ライン十六州は、商工業の自由が守られ、ドイツの反動政策の圧迫にかかわらず、進歩的な自由思想が充ちていました。 |
JCRRAG_007169 | 国語 | 一 カールの持った「三人の聖者」
ドイツの南の小さい一つの湖から注ぎ出て、深い峡谷の間を流れ、やがて葡萄の美しく実る地方を通って、遠くオランダの海に河口を開いている大きい河がある。それは有名なライン河である。太古の文明はこのライン河の水脈にそって中部ヨーロッパにもたらされた。ライン沿岸地方は、未開なその時代のゲルマン人の間にまず文明をうけ入れ、ついで近代ドイツの発達と、世界の社会運動史の上に大切な役割りを持つ地方となった。早くから商業が発達し、学問が進み、人間の独立と自由とを愛する気風が培われていたライン州では、一七八九年にフランスの大革命が起った時、ジャコバン党の支部が出来、ドイツ人でフランス革命のために努力した人々が沢山あった。... | ハインリッヒ・マルクスが影響を受けたフランス哲学者は誰ですか。 | 影響を受けたフランス哲学者はディドローやヴォルテールです。 |
JCRRAG_007170 | 国語 | 一 カールの持った「三人の聖者」
ドイツの南の小さい一つの湖から注ぎ出て、深い峡谷の間を流れ、やがて葡萄の美しく実る地方を通って、遠くオランダの海に河口を開いている大きい河がある。それは有名なライン河である。太古の文明はこのライン河の水脈にそって中部ヨーロッパにもたらされた。ライン沿岸地方は、未開なその時代のゲルマン人の間にまず文明をうけ入れ、ついで近代ドイツの発達と、世界の社会運動史の上に大切な役割りを持つ地方となった。早くから商業が発達し、学問が進み、人間の独立と自由とを愛する気風が培われていたライン州では、一七八九年にフランスの大革命が起った時、ジャコバン党の支部が出来、ドイツ人でフランス革命のために努力した人々が沢山あった。... | カールは父の五十五回目の誕生日のとき、何を贈りましたか。 | 贈ったものは、四十篇の詩と悲劇の一幕と喜劇小説の数章とをまとめたものです。 |
JCRRAG_007171 | 国語 | 五月の大事変(注・昭和七年五月十五日、陸海軍将校ら首相官邸などを襲撃、犬養首相を射殺した、世に言う五・一五事件)直後、
緊張しきっている帝都へ、興津の坐漁荘を出て乗り込まれた西園寺公の駿河台における警戒裡の日常嗜好の一端が、去る五月二十八日の「東京朝日新聞」紙上に、如上のような三段抜きの見出しの下に、
「園公滞京中、駿河台付近の人々の不思議がったのは、園公邸から時折田舎めいた煙の立ち上る事で、
これは老公が松薪でたいた飯でなければ口にせぬからで、
また魚屋などへの注文もたひの目玉だけとか、たひのわき腹一寸四方だけとか、おかぶ三銭とかいふ鳥のすり餌のやうな微妙な御注文なので、
“光栄”とは感じながらも、いささか恐れいってゐたのは園公の... | 「鳥のすり餌のやうな」とありますが、西園寺公に対してははどのような意味ですか。 | 西園寺公に対しての意味は、西園寺公は食道楽があるようだという意味です。 |
JCRRAG_007172 | 国語 | 五月の大事変(注・昭和七年五月十五日、陸海軍将校ら首相官邸などを襲撃、犬養首相を射殺した、世に言う五・一五事件)直後、
緊張しきっている帝都へ、興津の坐漁荘を出て乗り込まれた西園寺公の駿河台における警戒裡の日常嗜好の一端が、去る五月二十八日の「東京朝日新聞」紙上に、如上のような三段抜きの見出しの下に、
「園公滞京中、駿河台付近の人々の不思議がったのは、園公邸から時折田舎めいた煙の立ち上る事で、
これは老公が松薪でたいた飯でなければ口にせぬからで、
また魚屋などへの注文もたひの目玉だけとか、たひのわき腹一寸四方だけとか、おかぶ三銭とかいふ鳥のすり餌のやうな微妙な御注文なので、
“光栄”とは感じながらも、いささか恐れいってゐたのは園公の... | 「たひの目玉」と「たひのわき腹一寸四方」を魚屋に注文する人は、どのような人ですか。 | その人は、たいの美味いところだけを確かに知っている人です。 |
JCRRAG_007173 | 国語 | 五月の大事変(注・昭和七年五月十五日、陸海軍将校ら首相官邸などを襲撃、犬養首相を射殺した、世に言う五・一五事件)直後、
緊張しきっている帝都へ、興津の坐漁荘を出て乗り込まれた西園寺公の駿河台における警戒裡の日常嗜好の一端が、去る五月二十八日の「東京朝日新聞」紙上に、如上のような三段抜きの見出しの下に、
「園公滞京中、駿河台付近の人々の不思議がったのは、園公邸から時折田舎めいた煙の立ち上る事で、
これは老公が松薪でたいた飯でなければ口にせぬからで、
また魚屋などへの注文もたひの目玉だけとか、たひのわき腹一寸四方だけとか、おかぶ三銭とかいふ鳥のすり餌のやうな微妙な御注文なので、
“光栄”とは感じながらも、いささか恐れいってゐたのは園公の... | たいは目玉に適した料理方法は何がありますか。 | たいは目玉は、焼く、煮る、潮の吸いものにするという料理方法があります。 |
JCRRAG_007174 | 国語 | 或時、横須賀から東京に向う省線に逗子駅から乗ったことがあった。ところがその電車が非常に混んでいて、空いた座席が殆どなかった。丁度その時、どこかの地方の青年団の人々が乗っていたが、その中の一人が、私の乗り込んだのを見てか「おい、起て起て」と言ったら、腰かけていた人たちがみな起ちあがって、私たちに席を与えてくれた。
もしその場合に、私が目が見えていたら辞退するのであるが、私は盲人なので折角の親切を無にしては悪いと思ったので、腰かけさせてもらった。
私は初めその青年団の人たちが、つい近くへでも行くのかと思っていたら、やはり私たちと同様に東京へ行くらしいのである。そして、独り言のように「なあに、我々は起っていたっていいのだ」と言ってい... | 私は逗子駅から、電車でどこに向かっていたのですか。 | 私は逗子駅から、電車で東京に向かっていました。 |
JCRRAG_007175 | 国語 | 或時、横須賀から東京に向う省線に逗子駅から乗ったことがあった。ところがその電車が非常に混んでいて、空いた座席が殆どなかった。丁度その時、どこかの地方の青年団の人々が乗っていたが、その中の一人が、私の乗り込んだのを見てか「おい、起て起て」と言ったら、腰かけていた人たちがみな起ちあがって、私たちに席を与えてくれた。
もしその場合に、私が目が見えていたら辞退するのであるが、私は盲人なので折角の親切を無にしては悪いと思ったので、腰かけさせてもらった。
私は初めその青年団の人たちが、つい近くへでも行くのかと思っていたら、やはり私たちと同様に東京へ行くらしいのである。そして、独り言のように「なあに、我々は起っていたっていいのだ」と言ってい... | 或る人が上著を脱ぎ、はだかになって尺八を吹き出したのはなぜですか。 | 或る人がはだかになって尺八を吹き出したのは、夏の暑い時で丁度その時は誰も居合わせなかったからです。 |
JCRRAG_007176 | 国語 | 作家・司馬遼太郎、国民作家が紡いだ歴史物語の数々は、多くの日本人に影響を与えるだけでなく、議論も生んできた。その一つが「司馬史観」をめぐるものだ。「司馬遼太郎の時代」の著書がある福間良明・立命館大教授(歴史社会学)に聞く。
司馬史観とはどういう歴史観なのか。
司馬史観の定義はなく、論者によってとらえ方は様々だと思います。強いて言えば、明治を好意的にとらえる歴史の見方でしょうか。司馬は幕末から明治にかけての時期を、総じて希望に満ちた成功物語として描きました。
裏を返せば、司馬史観として評価や批判の対象になるのは司馬の明治認識であって、戦国時代や古代史・アジア史の認識が議論されることは少ないように思います。
明治を成功物語として... | 司馬史観の定義はありますか、また、強いて言えば、どのような歴史の見方ですか。 | 司馬史観の定義は、なく、強いて言えば、明治を好意的にとらえる歴史の見方です。 |
JCRRAG_007177 | 国語 | 作家・司馬遼太郎、国民作家が紡いだ歴史物語の数々は、多くの日本人に影響を与えるだけでなく、議論も生んできた。その一つが「司馬史観」をめぐるものだ。「司馬遼太郎の時代」の著書がある福間良明・立命館大教授(歴史社会学)に聞く。
司馬史観とはどういう歴史観なのか。
司馬史観の定義はなく、論者によってとらえ方は様々だと思います。強いて言えば、明治を好意的にとらえる歴史の見方でしょうか。司馬は幕末から明治にかけての時期を、総じて希望に満ちた成功物語として描きました。
裏を返せば、司馬史観として評価や批判の対象になるのは司馬の明治認識であって、戦国時代や古代史・アジア史の認識が議論されることは少ないように思います。
明治を成功物語として... | 司馬は幕末から明治にかけての時期を、総じてどのような物語として描きましたか。 | 司馬は、幕末から明治にかけての時期を、総じて希望に満ちた成功物語として描きました。 |
JCRRAG_007178 | 国語 | 作家・司馬遼太郎、国民作家が紡いだ歴史物語の数々は、多くの日本人に影響を与えるだけでなく、議論も生んできた。その一つが「司馬史観」をめぐるものだ。「司馬遼太郎の時代」の著書がある福間良明・立命館大教授(歴史社会学)に聞く。
司馬史観とはどういう歴史観なのか。
司馬史観の定義はなく、論者によってとらえ方は様々だと思います。強いて言えば、明治を好意的にとらえる歴史の見方でしょうか。司馬は幕末から明治にかけての時期を、総じて希望に満ちた成功物語として描きました。
裏を返せば、司馬史観として評価や批判の対象になるのは司馬の明治認識であって、戦国時代や古代史・アジア史の認識が議論されることは少ないように思います。
明治を成功物語として... | 司馬史観として評価や批判の対象になるのは司馬の何認識ですか。 | 評価や批判の対象になるのは、司馬の明治認識です。 |
JCRRAG_007179 | 国語 | 作家・司馬遼太郎、国民作家が紡いだ歴史物語の数々は、多くの日本人に影響を与えるだけでなく、議論も生んできた。その一つが「司馬史観」をめぐるものだ。「司馬遼太郎の時代」の著書がある福間良明・立命館大教授(歴史社会学)に聞く。
司馬史観とはどういう歴史観なのか。
司馬史観の定義はなく、論者によってとらえ方は様々だと思います。強いて言えば、明治を好意的にとらえる歴史の見方でしょうか。司馬は幕末から明治にかけての時期を、総じて希望に満ちた成功物語として描きました。
裏を返せば、司馬史観として評価や批判の対象になるのは司馬の明治認識であって、戦国時代や古代史・アジア史の認識が議論されることは少ないように思います。
明治を成功物語として... | 司馬作品の中でも圧倒的に読まれているのは「竜馬がゆく」と何ですか。 | 圧倒的に読まれているのは、「竜馬がゆく」と「坂の上の雲」です。 |
JCRRAG_007180 | 国語 | 作家・司馬遼太郎、国民作家が紡いだ歴史物語の数々は、多くの日本人に影響を与えるだけでなく、議論も生んできた。その一つが「司馬史観」をめぐるものだ。「司馬遼太郎の時代」の著書がある福間良明・立命館大教授(歴史社会学)に聞く。
司馬史観とはどういう歴史観なのか。
司馬史観の定義はなく、論者によってとらえ方は様々だと思います。強いて言えば、明治を好意的にとらえる歴史の見方でしょうか。司馬は幕末から明治にかけての時期を、総じて希望に満ちた成功物語として描きました。
裏を返せば、司馬史観として評価や批判の対象になるのは司馬の明治認識であって、戦国時代や古代史・アジア史の認識が議論されることは少ないように思います。
明治を成功物語として... | 司馬史観という言葉が特に多く使われ、議論の対象となったのは、何年代に入ってからですか。 | 司馬史観という言葉が特に多く使われ、議論の対象となったのは、1990年代に入ってからです。 |
JCRRAG_007181 | 国語 | 2月12日は、戦後、明治から昭和に至る時代を俯瞰し、数々の話題作で戦後の国民的歴史小説家と称された司馬遼太郎が1996(平成8年)にこの世を去った忌日「菜の花忌」。司馬遼太郎は「司馬史観」といわれる歴史の見方を提示して、戦後の歴史マニアのみならず、日本人論の教祖とも言える存在となった。
司馬遼太郎(本名・福田定一)は、1923(大正12年)年8月7日、大阪市に生まれた。太平洋戦争さなかの昭和17年、旧制大阪外国語学校(新制大阪外国語大学の前身、現在の大阪大学外国語学部蒙古語学科)に入学。昭和19年、陸軍久留米戦車第一連隊に小隊長として配属、関東地方の栃木県で本土決戦に備えていたとき終戦を迎えている。復員後、地方新聞社を経て産経新聞... | 司馬遼太郎が1996(平成8年)にこの世を去った忌日は「何忌」ですか。 | 忌日は、「菜の花忌」です。 |
JCRRAG_007182 | 国語 | 2月12日は、戦後、明治から昭和に至る時代を俯瞰し、数々の話題作で戦後の国民的歴史小説家と称された司馬遼太郎が1996(平成8年)にこの世を去った忌日「菜の花忌」。司馬遼太郎は「司馬史観」といわれる歴史の見方を提示して、戦後の歴史マニアのみならず、日本人論の教祖とも言える存在となった。
司馬遼太郎(本名・福田定一)は、1923(大正12年)年8月7日、大阪市に生まれた。太平洋戦争さなかの昭和17年、旧制大阪外国語学校(新制大阪外国語大学の前身、現在の大阪大学外国語学部蒙古語学科)に入学。昭和19年、陸軍久留米戦車第一連隊に小隊長として配属、関東地方の栃木県で本土決戦に備えていたとき終戦を迎えている。復員後、地方新聞社を経て産経新聞... | 忍者を主人公にした歴史小説「梟の城」で受賞した賞は何ですか。 | 受賞した賞は、直木賞です。 |
JCRRAG_007183 | 国語 | 2月12日は、戦後、明治から昭和に至る時代を俯瞰し、数々の話題作で戦後の国民的歴史小説家と称された司馬遼太郎が1996(平成8年)にこの世を去った忌日「菜の花忌」。司馬遼太郎は「司馬史観」といわれる歴史の見方を提示して、戦後の歴史マニアのみならず、日本人論の教祖とも言える存在となった。
司馬遼太郎(本名・福田定一)は、1923(大正12年)年8月7日、大阪市に生まれた。太平洋戦争さなかの昭和17年、旧制大阪外国語学校(新制大阪外国語大学の前身、現在の大阪大学外国語学部蒙古語学科)に入学。昭和19年、陸軍久留米戦車第一連隊に小隊長として配属、関東地方の栃木県で本土決戦に備えていたとき終戦を迎えている。復員後、地方新聞社を経て産経新聞... | 1971年にスタートさせた「街道をゆく」は、何年まで書き継がれましたか。 | 「街道をゆく」は、1996年まで書き継がれました。 |
JCRRAG_007184 | 国語 | 2月12日は、戦後、明治から昭和に至る時代を俯瞰し、数々の話題作で戦後の国民的歴史小説家と称された司馬遼太郎が1996(平成8年)にこの世を去った忌日「菜の花忌」。司馬遼太郎は「司馬史観」といわれる歴史の見方を提示して、戦後の歴史マニアのみならず、日本人論の教祖とも言える存在となった。
司馬遼太郎(本名・福田定一)は、1923(大正12年)年8月7日、大阪市に生まれた。太平洋戦争さなかの昭和17年、旧制大阪外国語学校(新制大阪外国語大学の前身、現在の大阪大学外国語学部蒙古語学科)に入学。昭和19年、陸軍久留米戦車第一連隊に小隊長として配属、関東地方の栃木県で本土決戦に備えていたとき終戦を迎えている。復員後、地方新聞社を経て産経新聞... | 史実を大きく逸脱したエピソードはたびたび批判もされ、小説内で書かれていることは事実なのか、と質問されることのあった司馬は、何と反論していますか。 | 司馬は、「自分は歴史学者ではなく小説家であり、答える必要はない」と反論しています。 |
JCRRAG_007185 | 国語 | 2月12日は、戦後、明治から昭和に至る時代を俯瞰し、数々の話題作で戦後の国民的歴史小説家と称された司馬遼太郎が1996(平成8年)にこの世を去った忌日「菜の花忌」。司馬遼太郎は「司馬史観」といわれる歴史の見方を提示して、戦後の歴史マニアのみならず、日本人論の教祖とも言える存在となった。
司馬遼太郎(本名・福田定一)は、1923(大正12年)年8月7日、大阪市に生まれた。太平洋戦争さなかの昭和17年、旧制大阪外国語学校(新制大阪外国語大学の前身、現在の大阪大学外国語学部蒙古語学科)に入学。昭和19年、陸軍久留米戦車第一連隊に小隊長として配属、関東地方の栃木県で本土決戦に備えていたとき終戦を迎えている。復員後、地方新聞社を経て産経新聞... | 司馬史観の特徴は、明治維新政府、明治時代の日本人への何と、昭和に起きた太平洋戦争を引き起こした、とりわけ日本陸軍に対する何ですか。 | 司馬史観の特徴は、明治維新政府、明治時代の日本人への賛美と、昭和に起きた太平洋戦争を引き起こした、とりわけ日本陸軍に対する嫌悪と憎悪です。 |
JCRRAG_007186 | 国語 | 中世ヨーロッパは長い争乱の時代であったこともあり、救世主が待望されてキリスト教がヨーロッパ全土に浸透していきます。各地に教会や修道院が出来て、朝昼夜の1日3回、あるいは3時間おきごとに、手で突いて鐘を鳴らす習慣も始まりました。
時刻ごとに祈祷時間や労働、読書などが厳格に決められていた修道院では、そういった宗教行事の戒律・作法を修道僧にきっちりと守らせる必要がありました。号令をかける時刻を知らせるために、クルプシドラ(水時計)や、日時計、砂時計、目盛りのついたろうそく時計などを広く使用して時間を測り、15分や30分単位で鐘や呼鈴を鳴らしていたようですが、手間がかかるので、時間がくれば自動的に鐘のなる時計への要望が高まっていきます。
... | 各地に教会や修道院が出来て、朝昼夜の1日3回、あるいは3時間おきごとに、どのような習慣も始まりましたか。 | 始まった習慣は、手で突いて鐘を鳴らすことです。 |
JCRRAG_007187 | 国語 | 中世ヨーロッパは長い争乱の時代であったこともあり、救世主が待望されてキリスト教がヨーロッパ全土に浸透していきます。各地に教会や修道院が出来て、朝昼夜の1日3回、あるいは3時間おきごとに、手で突いて鐘を鳴らす習慣も始まりました。
時刻ごとに祈祷時間や労働、読書などが厳格に決められていた修道院では、そういった宗教行事の戒律・作法を修道僧にきっちりと守らせる必要がありました。号令をかける時刻を知らせるために、クルプシドラ(水時計)や、日時計、砂時計、目盛りのついたろうそく時計などを広く使用して時間を測り、15分や30分単位で鐘や呼鈴を鳴らしていたようですが、手間がかかるので、時間がくれば自動的に鐘のなる時計への要望が高まっていきます。
... | 時刻ごとに祈祷時間や労働、読書などが厳格に決められていた修道院では、そういった宗教行事の何を修道僧にきっちりと守らせる必要がありましたか。 | 修道院では、宗教行事の戒律・作法を修道僧にきっちりと守らせる必要がありました。 |
JCRRAG_007188 | 国語 | 中世ヨーロッパは長い争乱の時代であったこともあり、救世主が待望されてキリスト教がヨーロッパ全土に浸透していきます。各地に教会や修道院が出来て、朝昼夜の1日3回、あるいは3時間おきごとに、手で突いて鐘を鳴らす習慣も始まりました。
時刻ごとに祈祷時間や労働、読書などが厳格に決められていた修道院では、そういった宗教行事の戒律・作法を修道僧にきっちりと守らせる必要がありました。号令をかける時刻を知らせるために、クルプシドラ(水時計)や、日時計、砂時計、目盛りのついたろうそく時計などを広く使用して時間を測り、15分や30分単位で鐘や呼鈴を鳴らしていたようですが、手間がかかるので、時間がくれば自動的に鐘のなる時計への要望が高まっていきます。
... | 塔の上から大きな鐘の音が辺りに響きわたったことで、修道院での時刻がその周りに住んでいる人たちにとっての何の時刻となり、やがて何全体の時刻に変わっていきますか。 | 修道院での時刻は、その周りに住んでいる人たちにとっての公共の時刻となり、やがて社会全体の時刻に変わっていきます。 |
JCRRAG_007189 | 国語 | 中世ヨーロッパは長い争乱の時代であったこともあり、救世主が待望されてキリスト教がヨーロッパ全土に浸透していきます。各地に教会や修道院が出来て、朝昼夜の1日3回、あるいは3時間おきごとに、手で突いて鐘を鳴らす習慣も始まりました。
時刻ごとに祈祷時間や労働、読書などが厳格に決められていた修道院では、そういった宗教行事の戒律・作法を修道僧にきっちりと守らせる必要がありました。号令をかける時刻を知らせるために、クルプシドラ(水時計)や、日時計、砂時計、目盛りのついたろうそく時計などを広く使用して時間を測り、15分や30分単位で鐘や呼鈴を鳴らしていたようですが、手間がかかるので、時間がくれば自動的に鐘のなる時計への要望が高まっていきます。
... | キリスト教における時間とはどういうものですか。 | キリスト教における時間とは、神が支配するものです。 |
JCRRAG_007190 | 国語 | 中世ヨーロッパは長い争乱の時代であったこともあり、救世主が待望されてキリスト教がヨーロッパ全土に浸透していきます。各地に教会や修道院が出来て、朝昼夜の1日3回、あるいは3時間おきごとに、手で突いて鐘を鳴らす習慣も始まりました。
時刻ごとに祈祷時間や労働、読書などが厳格に決められていた修道院では、そういった宗教行事の戒律・作法を修道僧にきっちりと守らせる必要がありました。号令をかける時刻を知らせるために、クルプシドラ(水時計)や、日時計、砂時計、目盛りのついたろうそく時計などを広く使用して時間を測り、15分や30分単位で鐘や呼鈴を鳴らしていたようですが、手間がかかるので、時間がくれば自動的に鐘のなる時計への要望が高まっていきます。
... | 資本主義とは、どういう社会システムですか。 | 資本主義とは、生産手段を持つ資本家が、生産手段を持たない賃金労働者を使用して利潤を追求する社会システムです。 |
JCRRAG_007191 | 国語 | 『時そば』は、そばの代金を誤魔化そうとした男の失敗を描いた滑稽噺です。
江戸っ子の威勢の良さや、そばの屋台という風習、人真似の末の失敗というわかりやすいストーリーなど、落語の入門に最適な演目です。
≪あらすじ≫
とある夜、男が二八そばの屋台を呼び止め、そばを注文する。男はそば屋の屋号が良いと褒め、割り箸はきれいで良いと褒め、さらに器、汁、そばの細さ、ちくわの厚さなどを次々に褒めながら、うまそうにそばを啜る。
食べ終わった男は、一文銭を一枚一枚数えながらそば屋の手の上に乗せていく。「一、二、三、四、五、六、七、八・・」と数えたところで、「今何時だい?」と時を尋ねる。そば屋が「九つです。」と答えると、「十、十一、十二、十三、十四、十... | 『時そば』は、どのような男の失敗を描いた滑稽噺ですか。 | 『時そば』は、そばの代金を誤魔化そうとした男の失敗を描いた滑稽噺です。 |
JCRRAG_007192 | 国語 | 『時そば』は、そばの代金を誤魔化そうとした男の失敗を描いた滑稽噺です。
江戸っ子の威勢の良さや、そばの屋台という風習、人真似の末の失敗というわかりやすいストーリーなど、落語の入門に最適な演目です。
≪あらすじ≫
とある夜、男が二八そばの屋台を呼び止め、そばを注文する。男はそば屋の屋号が良いと褒め、割り箸はきれいで良いと褒め、さらに器、汁、そばの細さ、ちくわの厚さなどを次々に褒めながら、うまそうにそばを啜る。
食べ終わった男は、一文銭を一枚一枚数えながらそば屋の手の上に乗せていく。「一、二、三、四、五、六、七、八・・」と数えたところで、「今何時だい?」と時を尋ねる。そば屋が「九つです。」と答えると、「十、十一、十二、十三、十四、十... | 代金の何文を誤魔化しましたか。 | 誤魔化したのは、一文です。 |
JCRRAG_007193 | 国語 | 『時そば』は、そばの代金を誤魔化そうとした男の失敗を描いた滑稽噺です。
江戸っ子の威勢の良さや、そばの屋台という風習、人真似の末の失敗というわかりやすいストーリーなど、落語の入門に最適な演目です。
≪あらすじ≫
とある夜、男が二八そばの屋台を呼び止め、そばを注文する。男はそば屋の屋号が良いと褒め、割り箸はきれいで良いと褒め、さらに器、汁、そばの細さ、ちくわの厚さなどを次々に褒めながら、うまそうにそばを啜る。
食べ終わった男は、一文銭を一枚一枚数えながらそば屋の手の上に乗せていく。「一、二、三、四、五、六、七、八・・」と数えたところで、「今何時だい?」と時を尋ねる。そば屋が「九つです。」と答えると、「十、十一、十二、十三、十四、十... | 『時そば』に登場するそば屋は店舗型ではなく、夕刻から深夜にかけて屋台を担いで蕎麦を売り歩く「何そば」ですか。 | 『時そば』に登場するそば屋は、「夜鷹そば」です。 |
JCRRAG_007194 | 国語 | 『時そば』は、そばの代金を誤魔化そうとした男の失敗を描いた滑稽噺です。
江戸っ子の威勢の良さや、そばの屋台という風習、人真似の末の失敗というわかりやすいストーリーなど、落語の入門に最適な演目です。
≪あらすじ≫
とある夜、男が二八そばの屋台を呼び止め、そばを注文する。男はそば屋の屋号が良いと褒め、割り箸はきれいで良いと褒め、さらに器、汁、そばの細さ、ちくわの厚さなどを次々に褒めながら、うまそうにそばを啜る。
食べ終わった男は、一文銭を一枚一枚数えながらそば屋の手の上に乗せていく。「一、二、三、四、五、六、七、八・・」と数えたところで、「今何時だい?」と時を尋ねる。そば屋が「九つです。」と答えると、「十、十一、十二、十三、十四、十... | 『時そば』のオチは、不定時法を前提としており、前日の男が「九つ」の時刻に勘定をしたのに対し、翌日の男は少し早く通りに出てしまったために「いつ」の時刻に勘定をして失敗することになりますか。 | 翌日の男は、「四つ」の時刻に勘定をして失敗することになります。 |
JCRRAG_007195 | 国語 | 朝起きると、ひどく咳が出る。烟草で咽喉を痛めているせいだ。おそく起きた朝ほど咳がひどいのは、その前夜おそくまで仕事をして烟草の量を過した兆しである。私の咳はかなり有名で、近所の子供はコンコンのおじさんと呼んでいる。老人臭くていけないが、烟草の量はなかなか減らないで困る。私が外出先から帰って来るときには、家に入らない前に咳でわかる、と亡妻はいっていたし、私が在宅か否かは咳が聞えるかどうかで判断することができる、と隣の人たちはいっている。そんなに咳をしていながら自分自身ではあまり気づかないということは、修身講話のひとつの例となり得る事実である。
二階の仕事部屋からふと外を見ると、凧がひとつ空に高く上っている。飛んでいるようでもあり、... | 朝起きて、ひどく咳が出たのは何のせいですか。 | 朝起きて、ひどく咳が出たのは、烟草で咽喉を痛めているせいです。 |
JCRRAG_007196 | 国語 | 朝起きると、ひどく咳が出る。烟草で咽喉を痛めているせいだ。おそく起きた朝ほど咳がひどいのは、その前夜おそくまで仕事をして烟草の量を過した兆しである。私の咳はかなり有名で、近所の子供はコンコンのおじさんと呼んでいる。老人臭くていけないが、烟草の量はなかなか減らないで困る。私が外出先から帰って来るときには、家に入らない前に咳でわかる、と亡妻はいっていたし、私が在宅か否かは咳が聞えるかどうかで判断することができる、と隣の人たちはいっている。そんなに咳をしていながら自分自身ではあまり気づかないということは、修身講話のひとつの例となり得る事実である。
二階の仕事部屋からふと外を見ると、凧がひとつ空に高く上っている。飛んでいるようでもあり、... | 近所の子供は私のことを何と読んでいますか。 | 近所の子供は私のことをコンコンのおじさんと呼んでいます。 |
JCRRAG_007197 | 国語 | 朝起きると、ひどく咳が出る。烟草で咽喉を痛めているせいだ。おそく起きた朝ほど咳がひどいのは、その前夜おそくまで仕事をして烟草の量を過した兆しである。私の咳はかなり有名で、近所の子供はコンコンのおじさんと呼んでいる。老人臭くていけないが、烟草の量はなかなか減らないで困る。私が外出先から帰って来るときには、家に入らない前に咳でわかる、と亡妻はいっていたし、私が在宅か否かは咳が聞えるかどうかで判断することができる、と隣の人たちはいっている。そんなに咳をしていながら自分自身ではあまり気づかないということは、修身講話のひとつの例となり得る事実である。
二階の仕事部屋からふと外を見ると、凧がひとつ空に高く上っている。飛んでいるようでもあり、... | 二階の仕事部屋からふと外を見ると、何が見えましたか。 | 二階の仕事部屋からふと外を見ると、凧がひとつ空に高く上っていました。 |
JCRRAG_007198 | 国語 | 朝起きると、ひどく咳が出る。烟草で咽喉を痛めているせいだ。おそく起きた朝ほど咳がひどいのは、その前夜おそくまで仕事をして烟草の量を過した兆しである。私の咳はかなり有名で、近所の子供はコンコンのおじさんと呼んでいる。老人臭くていけないが、烟草の量はなかなか減らないで困る。私が外出先から帰って来るときには、家に入らない前に咳でわかる、と亡妻はいっていたし、私が在宅か否かは咳が聞えるかどうかで判断することができる、と隣の人たちはいっている。そんなに咳をしていながら自分自身ではあまり気づかないということは、修身講話のひとつの例となり得る事実である。
二階の仕事部屋からふと外を見ると、凧がひとつ空に高く上っている。飛んでいるようでもあり、... | 凧はいくつあり、どんな様子でしたか。 | 凧はひとつ空に高く上っていて、飛んでいるようでもあり、踊っているようでもあり、舞っているようでもあり、コミカルな姿態でした。 |
JCRRAG_007199 | 国語 | 朝起きると、ひどく咳が出る。烟草で咽喉を痛めているせいだ。おそく起きた朝ほど咳がひどいのは、その前夜おそくまで仕事をして烟草の量を過した兆しである。私の咳はかなり有名で、近所の子供はコンコンのおじさんと呼んでいる。老人臭くていけないが、烟草の量はなかなか減らないで困る。私が外出先から帰って来るときには、家に入らない前に咳でわかる、と亡妻はいっていたし、私が在宅か否かは咳が聞えるかどうかで判断することができる、と隣の人たちはいっている。そんなに咳をしていながら自分自身ではあまり気づかないということは、修身講話のひとつの例となり得る事実である。
二階の仕事部屋からふと外を見ると、凧がひとつ空に高く上っている。飛んでいるようでもあり、... | 今日は何の日ですか。 | 今日は私の誕生日です。 |
JCRRAG_007200 | 国語 | たのしい春の日であった。
花ざかりなるその広い原っぱの真中にカアキ色の新しい軍服を着た一人の兵隊が、朱い毛布を敷いて大の字のように寝ていた。
兵隊は花の香にむせび乍ら口笛を吹いた。
何という素晴しい日曜日を兵隊は見つけたものであろう!――兵隊は街へ活動写真を見に行く小遣銭を持っていなかったので、為方がなく初めてこの原っぱへ来てみたのだった。
兵隊は人生の喜びのありかがやっと判ったような気がした。
兵隊はふと病気にかかっているのではないかと思った。
兵隊の額の上にはホリゾントの青空の如く青々と物静かな大空があった。
兵隊は何時しか口笛を忘れて、うつとりとあの青空に見惚れた。
兵隊は青空の水々しい横っ腹へ、いっぱつ鉄砲を射ち込んでやりた... | この話の季節はいつですか。 | この話の季節は、春です。 |
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