ID stringlengths 13 13 | Category stringclasses 12
values | Context stringlengths 1 4.96k | Question stringlengths 7 248 | GroundtruthAnswer stringlengths 2 663 |
|---|---|---|---|---|
JCRRAG_006901 | 国語 | ピザにおけるガリレイ。ピザというのは、イタリヤの中部からやや北方にある都会で、そこにはヅオモ大寺と呼ばれる大きな寺院があり、そのなかに名だかい斜塔が立っています。十六七世紀頃にはかなりに盛んな町であったのですが、ガリレイはこの町で一五六四年の二月十五日に生まれました。父はヴィンセンツォ・ガリレイという人で、その家は以前にはイタリヤの貴族であってフィレンツェという都市に住んでいたのでしたが、この頃には零落《れいらく》してピザに移住していたのだと云《い》われています。それで生活にも余裕がなかったので、父はその息子のガリレオが育つにつれて、将来は商人にでもして家を興《おこ》してゆこうと考えたのでしたが、どうも息子が学問を好むので、ピザの大... | ガリレオ・ガリレイはいつ生まれましたか。 | ガリレオ・ガリレイは1564年の2月15日に生まれました。 |
JCRRAG_006902 | 国語 | ピザにおけるガリレイ。ピザというのは、イタリヤの中部からやや北方にある都会で、そこにはヅオモ大寺と呼ばれる大きな寺院があり、そのなかに名だかい斜塔が立っています。十六七世紀頃にはかなりに盛んな町であったのですが、ガリレイはこの町で一五六四年の二月十五日に生まれました。父はヴィンセンツォ・ガリレイという人で、その家は以前にはイタリヤの貴族であってフィレンツェという都市に住んでいたのでしたが、この頃には零落《れいらく》してピザに移住していたのだと云《い》われています。それで生活にも余裕がなかったので、父はその息子のガリレオが育つにつれて、将来は商人にでもして家を興《おこ》してゆこうと考えたのでしたが、どうも息子が学問を好むので、ピザの大... | ガリレオ・ガリレイはどのような信念を持っていましたか。 | ガリレオ・ガリレイは、科学では自然の事実に基づかなくてはいけないという信念を強く持っていました。 |
JCRRAG_006903 | 国語 | 忠敬の前半生。伊能忠敬は、幼名を三治郎、後に佐忠太と云《い》いましたが、成人して通称三郎右衞門と称し、字は子齊、東河と号し、晩年には勘解由《かげゆ》とも称しました。上総国《かずさのくに》山武郡《さんぶぐん》[#「山武郡」はママ]小関村《こぜきむら》で延享二年一月十一日に神保利左衞門貞恒の第三男として生まれたのでした。もっともこの時に父は小関村の小關家を継いでいたのでしたが、忠敬が七歳のときに妻の死歿に遭い神保家に戻りましたので、それでも、忠敬は幼かったのでその儘《まま》小關家に留まり、十一歳になってようやく父の許に帰ったと云《い》うことです。ですから、忠敬の幼時は言わば不遇の境地に置かれていたのでしたが、その頃から学問を好んでいたと... | 伊能忠敬はどのような発展に努めましたか。 | 伊能忠敬は、三十年の長い間家運を恢復することに全力を尽くし産業の発展に努めました。 |
JCRRAG_006904 | 国語 | 忠敬の前半生。伊能忠敬は、幼名を三治郎、後に佐忠太と云《い》いましたが、成人して通称三郎右衞門と称し、字は子齊、東河と号し、晩年には勘解由《かげゆ》とも称しました。上総国《かずさのくに》山武郡《さんぶぐん》[#「山武郡」はママ]小関村《こぜきむら》で延享二年一月十一日に神保利左衞門貞恒の第三男として生まれたのでした。もっともこの時に父は小関村の小關家を継いでいたのでしたが、忠敬が七歳のときに妻の死歿に遭い神保家に戻りましたので、それでも、忠敬は幼かったのでその儘《まま》小關家に留まり、十一歳になってようやく父の許に帰ったと云《い》うことです。ですから、忠敬の幼時は言わば不遇の境地に置かれていたのでしたが、その頃から学問を好んでいたと... | 産業の中にはどのような仕事がありましたか。 | 産業の中には、米穀を豊作の土池から購入し販売することや、また醸造や薪問屋の営業などがありました。 |
JCRRAG_006905 | 国語 | 日本の全ての方々へ。マハトマ・ガンジー。
50年以上の昔、18歳でロンドンで学んでいた頃から、私は故サー・エドウィン・アーノルドの著作を通じて、あなた方の国が持つ数多くの優れた資質を賞賛するようになりました。南アフリカ滞在中に、あなた方がロシア軍に対して見事な勝利を収めたと知った時はわくわくしたものです。1915年に南アフリカからインドに帰国してからは、私どものアシュラムに属していた日本人僧侶たちと親しく交流するようになりました。その内の一人はセバグラムのアシュラムの貴重な一員となり、その精進ぶり、堂々たる忍耐力、日々の礼拝への不屈の献身、愛想の良さ、種々の状況にも動じぬ姿、平和な内面を明瞭に物語る自然な微笑み、これらのために私ども... | 『日本の全ての方々へ』の著者は誰で、どのような強い信条をもった人物になりますか。
| 著者は、マハトマ・ガンジーです。ガンジーは人間たるもの必ずや応えてくれるだろうという不滅の信条をもっています。 |
JCRRAG_006906 | 国語 | マッチ売りの少女
それは寒い日でした。雪が降っていて、あたりはもう、暗くなりかけていました。その日は、大晦日の晩でした。この寒くて、うす暗い夕ぐれの通りを、みすぼらしい身なりをした、年のいかない少女がひとり、帽子もかぶらず、靴もはかないで、とぼとぼと歩いていました。
でも、家を出たときには、スリッパをはいていたのです。とても大きなスリッパでしたから。むりもありません。おかあさんが、この間まで使っていたものを、少女ははいて出かけたのですが、通りをいそいで横ぎろうとしたとき、二台の馬車がおそろしい勢いで走ってきたので、あわててよけようとした拍子に、なくしてしまったのです。かたいっぽうは、そのまま、どこかへ見えなくなってしまいました。も... | 少女が歩いていた日はいつでしょうか。 | 少女が歩いていた日は大晦日です。 |
JCRRAG_006907 | 国語 | マッチ売りの少女
それは寒い日でした。雪が降っていて、あたりはもう、暗くなりかけていました。その日は、大晦日の晩でした。この寒くて、うす暗い夕ぐれの通りを、みすぼらしい身なりをした、年のいかない少女がひとり、帽子もかぶらず、靴もはかないで、とぼとぼと歩いていました。
でも、家を出たときには、スリッパをはいていたのです。とても大きなスリッパでしたから。むりもありません。おかあさんが、この間まで使っていたものを、少女ははいて出かけたのですが、通りをいそいで横ぎろうとしたとき、二台の馬車がおそろしい勢いで走ってきたので、あわててよけようとした拍子に、なくしてしまったのです。かたいっぽうは、そのまま、どこかへ見えなくなってしまいました。も... | 世界中でたった一人少女を可愛がってくれた人物は誰でしょうか。 | 世界中でたった一人少女を可愛がってくれた人物は、おばあさんです。 |
JCRRAG_006908 | 国語 | マッチ売りの少女
それは寒い日でした。雪が降っていて、あたりはもう、暗くなりかけていました。その日は、大晦日の晩でした。この寒くて、うす暗い夕ぐれの通りを、みすぼらしい身なりをした、年のいかない少女がひとり、帽子もかぶらず、靴もはかないで、とぼとぼと歩いていました。
でも、家を出たときには、スリッパをはいていたのです。とても大きなスリッパでしたから。むりもありません。おかあさんが、この間まで使っていたものを、少女ははいて出かけたのですが、通りをいそいで横ぎろうとしたとき、二台の馬車がおそろしい勢いで走ってきたので、あわててよけようとした拍子に、なくしてしまったのです。かたいっぽうは、そのまま、どこかへ見えなくなってしまいました。も... | この少女の最期はどうなりましたか。 | 少女の最期は、おばあさんが少女を抱きかかえ、ふたりは光とよろこびにつつまれながら、高く高く、天へとのぼっていきました。 |
JCRRAG_006909 | 国語 | ほんとうは、三月にはまだ山の春は来ない。三月春分の日というのに、山の小屋のまわりには雪がいっぱいある。雪がほんとに消えるのは五月の中ほどである。つまり、それまで山々にかぶさっていた、氷のように冷たい空気が、五月頃になると、急に北の方へおし流されて、もう十分あたたかくなっている地面の中の熱と、日の光とが、にわかに働きだして、一日一刻も惜しいような山の春があらわれ、又たちまちそれが夏にかわってゆくのである。東北の春のあわただしさは、リンゴ、梅、梨、桜のような、いわゆる春の花の代表が、前後する暇もなく、一時にぱっと開いて、まるで童話劇の舞台にでもいるような気を起させる。これは四月末のことであって、三月にはまだその自然の花々は固い木の芽の中... | 山から雪がなくなるのはいつ頃ですか。 | 山から雪がなくなるのは五月の中ほどです。 |
JCRRAG_006910 | 国語 | ほんとうは、三月にはまだ山の春は来ない。三月春分の日というのに、山の小屋のまわりには雪がいっぱいある。雪がほんとに消えるのは五月の中ほどである。つまり、それまで山々にかぶさっていた、氷のように冷たい空気が、五月頃になると、急に北の方へおし流されて、もう十分あたたかくなっている地面の中の熱と、日の光とが、にわかに働きだして、一日一刻も惜しいような山の春があらわれ、又たちまちそれが夏にかわってゆくのである。東北の春のあわただしさは、リンゴ、梅、梨、桜のような、いわゆる春の花の代表が、前後する暇もなく、一時にぱっと開いて、まるで童話劇の舞台にでもいるような気を起させる。これは四月末のことであって、三月にはまだその自然の花々は固い木の芽の中... | 三月に上野公園あたりの様子はどのようになりますか。 | 上野公園あたりでは、彼岸桜の蕾つぼみがほころびはじめます。 |
JCRRAG_006911 | 国語 | ほんとうは、三月にはまだ山の春は来ない。三月春分の日というのに、山の小屋のまわりには雪がいっぱいある。雪がほんとに消えるのは五月の中ほどである。つまり、それまで山々にかぶさっていた、氷のように冷たい空気が、五月頃になると、急に北の方へおし流されて、もう十分あたたかくなっている地面の中の熱と、日の光とが、にわかに働きだして、一日一刻も惜しいような山の春があらわれ、又たちまちそれが夏にかわってゆくのである。東北の春のあわただしさは、リンゴ、梅、梨、桜のような、いわゆる春の花の代表が、前後する暇もなく、一時にぱっと開いて、まるで童話劇の舞台にでもいるような気を起させる。これは四月末のことであって、三月にはまだその自然の花々は固い木の芽の中... | 日本で季節のずれが出るのはなぜですか。 | 日本の国は南北に長いので季節がずれます。 |
JCRRAG_006912 | 国語 | 薬草のオーレンが咲いたり、又ローバイの木に黄いろい木質の花がさいたりしているうちに、今度は一度にどっとゼンマイやワラビが出る。ゼンマイの方が少し早く、白い綿帽子をかぶって山の南側にぞくぞくと生える。これは干ゼンマイにするといいのだが干し方がむつかしいし、山奥のでないと干すと糸のようにほそくなる。ワラビは山の雑草で、いちめんに出て取るのにまに合わないほどである。とってすぐ根もとを焼かないと堅くなる。一束ずつにしてこれを木灰入の熱すぎない湯に一晩つけて、にがみをとり、あげて洗って、今度は一度煮立ててさました塩水につけこみ、軽い重しをして、水からワラビの出ないように気をつける。もう一度塩水をかえてていねいに漬けると、夏から秋、お正月にか... | ゼンマイとワラビではどちらが先に生えてきますか。 | ゼンマイの方が少し早く生えます。 |
JCRRAG_006913 | 国語 | 薬草のオーレンが咲いたり、又ローバイの木に黄いろい木質の花がさいたりしているうちに、今度は一度にどっとゼンマイやワラビが出る。ゼンマイの方が少し早く、白い綿帽子をかぶって山の南側にぞくぞくと生える。これは干ゼンマイにするといいのだが干し方がむつかしいし、山奥のでないと干すと糸のようにほそくなる。ワラビは山の雑草で、いちめんに出て取るのにまに合わないほどである。とってすぐ根もとを焼かないと堅くなる。一束ずつにしてこれを木灰入の熱すぎない湯に一晩つけて、にがみをとり、あげて洗って、今度は一度煮立ててさました塩水につけこみ、軽い重しをして、水からワラビの出ないように気をつける。もう一度塩水をかえてていねいに漬けると、夏から秋、お正月にか... | ワラビの漬ものがたべられるのはいつの季節ですか。 | ワラビの漬けものがたべられるのは夏から秋、お正月にかけてです。 |
JCRRAG_006914 | 国語 | 父がなくなったときは、長兄は大学を出たばかりの二十五歳、次兄は二十三歳、三男は二十歳、私が十四歳でありました。兄たちは、みんな優しく、そうして大人びていましたので、私は、父に死なれても、少しも心細く感じませんでした。長兄を、父と全く同じことに思い、次兄を苦労した伯父さんの様に思い、甘えてばかりいました。私が、どんなひねこびた我儘わがままいっても、兄たちは、いつも笑って許してくれました。私には、なんにも知らせず、それこそ私の好きなように振舞わせて置いてくれましたが、兄たちは、なかなか、それどころでは無く、きっと、百万以上はあったのでしょう、その遺産と、亡父の政治上の諸勢力とを守るのに、眼に見えぬ努力をしていたにちがいありませぬ。たよ... | 父が亡くなったのは私が何歳の時ですか。 | 私が十四歳のときです。 |
JCRRAG_006915 | 国語 | 父がなくなったときは、長兄は大学を出たばかりの二十五歳、次兄は二十三歳、三男は二十歳、私が十四歳でありました。兄たちは、みんな優しく、そうして大人びていましたので、私は、父に死なれても、少しも心細く感じませんでした。長兄を、父と全く同じことに思い、次兄を苦労した伯父さんの様に思い、甘えてばかりいました。私が、どんなひねこびた我儘わがままいっても、兄たちは、いつも笑って許してくれました。私には、なんにも知らせず、それこそ私の好きなように振舞わせて置いてくれましたが、兄たちは、なかなか、それどころでは無く、きっと、百万以上はあったのでしょう、その遺産と、亡父の政治上の諸勢力とを守るのに、眼に見えぬ努力をしていたにちがいありませぬ。たよ... | 長兄は三十一歳の頃、何の職業に就きましたか。 | 長兄は県会議員になりました。 |
JCRRAG_006916 | 国語 | 父がなくなったときは、長兄は大学を出たばかりの二十五歳、次兄は二十三歳、三男は二十歳、私が十四歳でありました。兄たちは、みんな優しく、そうして大人びていましたので、私は、父に死なれても、少しも心細く感じませんでした。長兄を、父と全く同じことに思い、次兄を苦労した伯父さんの様に思い、甘えてばかりいました。私が、どんなひねこびた我儘わがままいっても、兄たちは、いつも笑って許してくれました。私には、なんにも知らせず、それこそ私の好きなように振舞わせて置いてくれましたが、兄たちは、なかなか、それどころでは無く、きっと、百万以上はあったのでしょう、その遺産と、亡父の政治上の諸勢力とを守るのに、眼に見えぬ努力をしていたにちがいありませぬ。たよ... | 長兄の書棚にはどんな本がありましたか。 | 兄の書棚にはワイルド全集、イプセン全集、それから日本の戯曲家の著書がたくさんありました。 |
JCRRAG_006917 | 国語 | 父がなくなったときは、長兄は大学を出たばかりの二十五歳、次兄は二十三歳、三男は二十歳、私が十四歳でありました。兄たちは、みんな優しく、そうして大人びていましたので、私は、父に死なれても、少しも心細く感じませんでした。長兄を、父と全く同じことに思い、次兄を苦労した伯父さんの様に思い、甘えてばかりいました。私が、どんなひねこびた我儘わがままいっても、兄たちは、いつも笑って許してくれました。私には、なんにも知らせず、それこそ私の好きなように振舞わせて置いてくれましたが、兄たちは、なかなか、それどころでは無く、きっと、百万以上はあったのでしょう、その遺産と、亡父の政治上の諸勢力とを守るのに、眼に見えぬ努力をしていたにちがいありませぬ。たよ... | 一家で発行した同人誌の名前は何ですか。 | 同人誌の名前は「青んぼ」です。 |
JCRRAG_006918 | 国語 | 父がなくなったときは、長兄は大学を出たばかりの二十五歳、次兄は二十三歳、三男は二十歳、私が十四歳でありました。兄たちは、みんな優しく、そうして大人びていましたので、私は、父に死なれても、少しも心細く感じませんでした。長兄を、父と全く同じことに思い、次兄を苦労した伯父さんの様に思い、甘えてばかりいました。私が、どんなひねこびた我儘わがままいっても、兄たちは、いつも笑って許してくれました。私には、なんにも知らせず、それこそ私の好きなように振舞わせて置いてくれましたが、兄たちは、なかなか、それどころでは無く、きっと、百万以上はあったのでしょう、その遺産と、亡父の政治上の諸勢力とを守るのに、眼に見えぬ努力をしていたにちがいありませぬ。たよ... | 三男は美術学校で何の学科に在籍していましたか。 | 三男は美術学校の塑像科に在籍していました。 |
JCRRAG_006919 | 国語 | 妻智恵子が南品川ゼームス坂病院の十五号室で精神分裂症患者として粟粒性肺結核で死んでから旬日で満二年になる。私はこの世で智恵子にめぐりあったため、彼女の純愛によって清浄にされ、以前の廃頽はいたい生活から救い出される事が出来た経歴を持って居り、私の精神は一にかかって彼女の存在そのものの上にあったので、智恵子の死による精神的打撃は実に烈はげしく、一時は自己の芸術的製作さえ其の目標を失ったような空虚感にとりつかれた幾箇月かを過した。彼女の生前、私は自分の製作した彫刻を何人よりもさきに彼女に見せた。一日の製作の終りにも其を彼女と一緒に検討する事が此上もない喜であった。又彼女はそれを全幅的に受け入れ、理解し、熱愛した。私の作った木彫小品を彼女は... | 妻千恵子はどこで何の病気で亡くなりましたか。 | 妻千恵子は南品川ゼームス坂病院の十五号室で粟粒性肺結核で亡くなりました。 |
JCRRAG_006920 | 国語 | 妻智恵子が南品川ゼームス坂病院の十五号室で精神分裂症患者として粟粒性肺結核で死んでから旬日で満二年になる。私はこの世で智恵子にめぐりあったため、彼女の純愛によって清浄にされ、以前の廃頽はいたい生活から救い出される事が出来た経歴を持って居り、私の精神は一にかかって彼女の存在そのものの上にあったので、智恵子の死による精神的打撃は実に烈はげしく、一時は自己の芸術的製作さえ其の目標を失ったような空虚感にとりつかれた幾箇月かを過した。彼女の生前、私は自分の製作した彫刻を何人よりもさきに彼女に見せた。一日の製作の終りにも其を彼女と一緒に検討する事が此上もない喜であった。又彼女はそれを全幅的に受け入れ、理解し、熱愛した。私の作った木彫小品を彼女は... | 妻千恵子の生前、私が何人よりもさきに見せた物は何ですか。 | 私は自分の製作した彫刻を何人よりもさきに妻に見せました。 |
JCRRAG_006921 | 国語 | 妻智恵子が南品川ゼームス坂病院の十五号室で精神分裂症患者として粟粒性肺結核で死んでから旬日で満二年になる。私はこの世で智恵子にめぐりあったため、彼女の純愛によって清浄にされ、以前の廃頽はいたい生活から救い出される事が出来た経歴を持って居り、私の精神は一にかかって彼女の存在そのものの上にあったので、智恵子の死による精神的打撃は実に烈はげしく、一時は自己の芸術的製作さえ其の目標を失ったような空虚感にとりつかれた幾箇月かを過した。彼女の生前、私は自分の製作した彫刻を何人よりもさきに彼女に見せた。一日の製作の終りにも其を彼女と一緒に検討する事が此上もない喜であった。又彼女はそれを全幅的に受け入れ、理解し、熱愛した。私の作った木彫小品を彼女は... | 筆者は美術家にとって力となるものは何であると言っていますか。 | 筆者は、自分の作ったものを熱愛の眼を以て見てくれる一人の人があるという意識が力になる、と言っています。 |
JCRRAG_006922 | 国語 | 今しずかに振りかえって彼女の上を考えて見ると、その一生を要約すれば、まず東北地方福島県二本松町の近在、漆原という所の酒造り長沼家に長女として明治十九年に生れ、土地の高女を卒業してから東京目白の日本女子大学校家政科に入学、寮生活をつづけているうちに洋画に興味を持ち始め、女子大卒業後、郷里の父母の同意を辛うじて得て東京に留まり、太平洋絵画研究所に通学して油絵を学び、当時の新興画家であった中村彝、斎藤与里治、津田青楓の諸氏に出入して其の影響をうけ、又一方、其頃平塚雷鳥女史等の提起した女子思想運動にも加わり、雑誌「青鞜せいとう」の表紙画などを画いたりした。それが明治末年頃の事であり、やがて柳八重子女史の紹介で初めて私と知るようになり、大正三... | 妻はどこの町で生まれましたか。 | 妻は東北地方福島県二本松町で生まれました。 |
JCRRAG_006923 | 国語 | 今しずかに振りかえって彼女の上を考えて見ると、その一生を要約すれば、まず東北地方福島県二本松町の近在、漆原という所の酒造り長沼家に長女として明治十九年に生れ、土地の高女を卒業してから東京目白の日本女子大学校家政科に入学、寮生活をつづけているうちに洋画に興味を持ち始め、女子大卒業後、郷里の父母の同意を辛うじて得て東京に留まり、太平洋絵画研究所に通学して油絵を学び、当時の新興画家であった中村彝、斎藤与里治、津田青楓の諸氏に出入して其の影響をうけ、又一方、其頃平塚雷鳥女史等の提起した女子思想運動にも加わり、雑誌「青鞜せいとう」の表紙画などを画いたりした。それが明治末年頃の事であり、やがて柳八重子女史の紹介で初めて私と知るようになり、大正三... | 妻が洋画に興味を持ち始めたのはいつ頃ですか。 | 妻が洋画に興味を持ち始めたのは日本女子大学校家政科に入学して寮生活をつづけている頃です。 |
JCRRAG_006924 | 国語 | 僕は江戸時代からの伝統で総領は親父の職業を継ぐというのは昔から極っていたので、子供の時から何を職業とするかということについて迷ったことはなかった。
美術学校にも自然に入ってしまった。二重橋前の楠公の銅像の出来上ったのは明治二十六年頃で僕が十一歳の時であり、美術学校に入ったのは明治三十年の九月だったから齢としでいえば十五歳であった。
その頃の世の中は学校の規則なども非常に楽なもので、願書の上でだけ何歳と書いておけば入学が出来たので、早い方が良いということから歳の多い者の中に子供みたいな僕が飛込んでしまった。その頃の美術学校の制服というのはちょうど王朝時代の着物のような、上着は紺色の闕腋で、頭には折烏帽子を被り、下には水浅葱色の段... | 僕が子供の時から何を職業とするか迷わなかったのはなぜですか。 | 僕は江戸時代からの伝統で総領は親父の職業を継ぐ、ということを昔から極っていたからです。 |
JCRRAG_006925 | 国語 | 僕は江戸時代からの伝統で総領は親父の職業を継ぐというのは昔から極っていたので、子供の時から何を職業とするかということについて迷ったことはなかった。
美術学校にも自然に入ってしまった。二重橋前の楠公の銅像の出来上ったのは明治二十六年頃で僕が十一歳の時であり、美術学校に入ったのは明治三十年の九月だったから齢としでいえば十五歳であった。
その頃の世の中は学校の規則なども非常に楽なもので、願書の上でだけ何歳と書いておけば入学が出来たので、早い方が良いということから歳の多い者の中に子供みたいな僕が飛込んでしまった。その頃の美術学校の制服というのはちょうど王朝時代の着物のような、上着は紺色の闕腋で、頭には折烏帽子を被り、下には水浅葱色の段... | 僕が美術学校に入ったのは何歳の時でしたか。 | 僕が美術学校に入ったのは十五歳の時です。 |
JCRRAG_006926 | 国語 | 僕は江戸時代からの伝統で総領は親父の職業を継ぐというのは昔から極っていたので、子供の時から何を職業とするかということについて迷ったことはなかった。
美術学校にも自然に入ってしまった。二重橋前の楠公の銅像の出来上ったのは明治二十六年頃で僕が十一歳の時であり、美術学校に入ったのは明治三十年の九月だったから齢としでいえば十五歳であった。
その頃の世の中は学校の規則なども非常に楽なもので、願書の上でだけ何歳と書いておけば入学が出来たので、早い方が良いということから歳の多い者の中に子供みたいな僕が飛込んでしまった。その頃の美術学校の制服というのはちょうど王朝時代の着物のような、上着は紺色の闕腋で、頭には折烏帽子を被り、下には水浅葱色の段... | 主人公は入学した頃の美術学校の制服をどう思っていましたか。 | 主人公はその制服を着るのが厭で気羞ずかしくて往来を歩けないような気がしていました。 |
JCRRAG_006927 | 国語 | 僕は江戸時代からの伝統で総領は親父の職業を継ぐというのは昔から極っていたので、子供の時から何を職業とするかということについて迷ったことはなかった。
美術学校にも自然に入ってしまった。二重橋前の楠公の銅像の出来上ったのは明治二十六年頃で僕が十一歳の時であり、美術学校に入ったのは明治三十年の九月だったから齢としでいえば十五歳であった。
その頃の世の中は学校の規則なども非常に楽なもので、願書の上でだけ何歳と書いておけば入学が出来たので、早い方が良いということから歳の多い者の中に子供みたいな僕が飛込んでしまった。その頃の美術学校の制服というのはちょうど王朝時代の着物のような、上着は紺色の闕腋で、頭には折烏帽子を被り、下には水浅葱色の段... | 美術学校の制服が洋服になったのはいつですか。 | 主人公が三年生の時に洋服の制服が出来ました。 |
JCRRAG_006928 | 国語 | 僕は江戸時代からの伝統で総領は親父の職業を継ぐというのは昔から極っていたので、子供の時から何を職業とするかということについて迷ったことはなかった。
美術学校にも自然に入ってしまった。二重橋前の楠公の銅像の出来上ったのは明治二十六年頃で僕が十一歳の時であり、美術学校に入ったのは明治三十年の九月だったから齢としでいえば十五歳であった。
その頃の世の中は学校の規則なども非常に楽なもので、願書の上でだけ何歳と書いておけば入学が出来たので、早い方が良いということから歳の多い者の中に子供みたいな僕が飛込んでしまった。その頃の美術学校の制服というのはちょうど王朝時代の着物のような、上着は紺色の闕腋で、頭には折烏帽子を被り、下には水浅葱色の段... | 僕は美術学校の本科で何を学びましたか。 | 僕は日本画と彫刻を学びました。 |
JCRRAG_006929 | 国語 | メロスは単純な男であった。買い物を背負ったままで、のそのそ王城に入っていった。
たちまち彼は、巡邏の警吏に捕縛された。調べられて、メロスの懐中からは短剣が出てきたので、騒ぎが大きくなってしまった。
メロスは王の前に引き出された。
「この短刀で何をするつもりであったか。言え!」
暴君ディオニスは静かに、けれども威厳をもって問い詰めた。その王の顔は蒼白で、眉間のしわは刻み込まれたように深かった。
「町を暴君の手から救うのだ。」とメロスは、悪びれずに答えた。
「おまえがか」王は、憫笑した。
「しかたのないやつじゃ。おまえなどには、わしの孤独の心がわからぬ。」
「言うな!」とメロスは、いきりたって反駁した。
「人の心を疑うのは、最も... | メロスがのそのそと王城に入るとどうなりましたか。 | たちまちメロスは、巡邏の警吏に捕縛されました。調べられて、王の前に引き出されました。 |
JCRRAG_006930 | 国語 | メロスは単純な男であった。買い物を背負ったままで、のそのそ王城に入っていった。
たちまち彼は、巡邏の警吏に捕縛された。調べられて、メロスの懐中からは短剣が出てきたので、騒ぎが大きくなってしまった。
メロスは王の前に引き出された。
「この短刀で何をするつもりであったか。言え!」
暴君ディオニスは静かに、けれども威厳をもって問い詰めた。その王の顔は蒼白で、眉間のしわは刻み込まれたように深かった。
「町を暴君の手から救うのだ。」とメロスは、悪びれずに答えた。
「おまえがか」王は、憫笑した。
「しかたのないやつじゃ。おまえなどには、わしの孤独の心がわからぬ。」
「言うな!」とメロスは、いきりたって反駁した。
「人の心を疑うのは、最も... | 暴君ディオニスはどんな顔をしていましたか。 | 暴君ディオニスの顔は蒼白で、眉間のしわは刻み込まれたように深かったです。 |
JCRRAG_006931 | 国語 | メロスは単純な男であった。買い物を背負ったままで、のそのそ王城に入っていった。
たちまち彼は、巡邏の警吏に捕縛された。調べられて、メロスの懐中からは短剣が出てきたので、騒ぎが大きくなってしまった。
メロスは王の前に引き出された。
「この短刀で何をするつもりであったか。言え!」
暴君ディオニスは静かに、けれども威厳をもって問い詰めた。その王の顔は蒼白で、眉間のしわは刻み込まれたように深かった。
「町を暴君の手から救うのだ。」とメロスは、悪びれずに答えた。
「おまえがか」王は、憫笑した。
「しかたのないやつじゃ。おまえなどには、わしの孤独の心がわからぬ。」
「言うな!」とメロスは、いきりたって反駁した。
「人の心を疑うのは、最も... | メロスは誰を人質にしましたか。 | セリヌンティウスという石工の友人を人質にしました。 |
JCRRAG_006932 | 国語 | メロスは単純な男であった。買い物を背負ったままで、のそのそ王城に入っていった。
たちまち彼は、巡邏の警吏に捕縛された。調べられて、メロスの懐中からは短剣が出てきたので、騒ぎが大きくなってしまった。
メロスは王の前に引き出された。
「この短刀で何をするつもりであったか。言え!」
暴君ディオニスは静かに、けれども威厳をもって問い詰めた。その王の顔は蒼白で、眉間のしわは刻み込まれたように深かった。
「町を暴君の手から救うのだ。」とメロスは、悪びれずに答えた。
「おまえがか」王は、憫笑した。
「しかたのないやつじゃ。おまえなどには、わしの孤独の心がわからぬ。」
「言うな!」とメロスは、いきりたって反駁した。
「人の心を疑うのは、最も... | メロスは処刑までの三日間の間に村で何をしたいと言いましたか。 | メロスは妹に村で結婚式を挙げさせ、亭主を持たせてやりたいと言いました。 |
JCRRAG_006933 | 国語 | メロスは単純な男であった。買い物を背負ったままで、のそのそ王城に入っていった。
たちまち彼は、巡邏の警吏に捕縛された。調べられて、メロスの懐中からは短剣が出てきたので、騒ぎが大きくなってしまった。
メロスは王の前に引き出された。
「この短刀で何をするつもりであったか。言え!」
暴君ディオニスは静かに、けれども威厳をもって問い詰めた。その王の顔は蒼白で、眉間のしわは刻み込まれたように深かった。
「町を暴君の手から救うのだ。」とメロスは、悪びれずに答えた。
「おまえがか」王は、憫笑した。
「しかたのないやつじゃ。おまえなどには、わしの孤独の心がわからぬ。」
「言うな!」とメロスは、いきりたって反駁した。
「人の心を疑うのは、最も... | メロスがセリヌンティウスに事情を語った後、セリヌンティウスはどのような行動を取りましたか。 | セリヌンティウスは無言でうなずき、メロスを抱きしめました。 |
JCRRAG_006934 | 国語 | なんの用意も無しに原稿用紙にむかった。こういうのを本当の随筆というのかも知れない。きょうは、六月十九日である。晴天である。私の生れた日は明治四十二年の六月十九日である。私は子供の頃、妙にひがんで、自分を父母のほんとうの子でないと思い込んでいた事があった。兄弟中で自分ひとりだけが、のけものにされているような気がしていた。容貌がまずかったので、一家のものから何かとかまわれ、それで次第にひがんだのかも知れない。蔵へはいって、いろいろ書きものを調べてみた事があった。何も発見出来なかった。むかしから私の家に出入している人たちに、こっそり聞いて廻ったこともある。その人たちは、大いに笑った。私がこの家で生れた日の事を、ちゃんと皆が知っているので... | 筆者が生まれたのはいつですか。 | 筆者が生まれたのは明治四十二年の六月十九日です。 |
JCRRAG_006935 | 国語 | なんの用意も無しに原稿用紙にむかった。こういうのを本当の随筆というのかも知れない。きょうは、六月十九日である。晴天である。私の生れた日は明治四十二年の六月十九日である。私は子供の頃、妙にひがんで、自分を父母のほんとうの子でないと思い込んでいた事があった。兄弟中で自分ひとりだけが、のけものにされているような気がしていた。容貌がまずかったので、一家のものから何かとかまわれ、それで次第にひがんだのかも知れない。蔵へはいって、いろいろ書きものを調べてみた事があった。何も発見出来なかった。むかしから私の家に出入している人たちに、こっそり聞いて廻ったこともある。その人たちは、大いに笑った。私がこの家で生れた日の事を、ちゃんと皆が知っているので... | 筆者は家のどこで生まれ、どんな特徴がありましたか。 | 筆者は小間の蚊帳の中で生まれ、鼻の大きい子でした。 |
JCRRAG_006936 | 国語 | なんの用意も無しに原稿用紙にむかった。こういうのを本当の随筆というのかも知れない。きょうは、六月十九日である。晴天である。私の生れた日は明治四十二年の六月十九日である。私は子供の頃、妙にひがんで、自分を父母のほんとうの子でないと思い込んでいた事があった。兄弟中で自分ひとりだけが、のけものにされているような気がしていた。容貌がまずかったので、一家のものから何かとかまわれ、それで次第にひがんだのかも知れない。蔵へはいって、いろいろ書きものを調べてみた事があった。何も発見出来なかった。むかしから私の家に出入している人たちに、こっそり聞いて廻ったこともある。その人たちは、大いに笑った。私がこの家で生れた日の事を、ちゃんと皆が知っているので... | 未知の詩人からの手紙には何が書いてありましたか。 | 手紙には、明治四十二年六月十九日の生れの縁に、一夜、呑まないか、と書いてありました。 |
JCRRAG_006937 | 国語 | なんの用意も無しに原稿用紙にむかった。こういうのを本当の随筆というのかも知れない。きょうは、六月十九日である。晴天である。私の生れた日は明治四十二年の六月十九日である。私は子供の頃、妙にひがんで、自分を父母のほんとうの子でないと思い込んでいた事があった。兄弟中で自分ひとりだけが、のけものにされているような気がしていた。容貌がまずかったので、一家のものから何かとかまわれ、それで次第にひがんだのかも知れない。蔵へはいって、いろいろ書きものを調べてみた事があった。何も発見出来なかった。むかしから私の家に出入している人たちに、こっそり聞いて廻ったこともある。その人たちは、大いに笑った。私がこの家で生れた日の事を、ちゃんと皆が知っているので... | 私は詩人への返事についてどう思いましたか。 | 私は、割に素直に書けたと思いました。 |
JCRRAG_006938 | 国語 | なんの用意も無しに原稿用紙にむかった。こういうのを本当の随筆というのかも知れない。きょうは、六月十九日である。晴天である。私の生れた日は明治四十二年の六月十九日である。私は子供の頃、妙にひがんで、自分を父母のほんとうの子でないと思い込んでいた事があった。兄弟中で自分ひとりだけが、のけものにされているような気がしていた。容貌がまずかったので、一家のものから何かとかまわれ、それで次第にひがんだのかも知れない。蔵へはいって、いろいろ書きものを調べてみた事があった。何も発見出来なかった。むかしから私の家に出入している人たちに、こっそり聞いて廻ったこともある。その人たちは、大いに笑った。私がこの家で生れた日の事を、ちゃんと皆が知っているので... | 筆者が蔵へはいっていろいろ書きものを調べてた結果、どうなりましたか。 | 筆者は何も発見出来ませんでした。 |
JCRRAG_006939 | 国語 | 私たちが、子供のころから、親しみなれてきた一休さんは、紫野大徳寺、四十七代目の住職として、天下にその智識高徳をうたわれた人でした。
一休さんは、応永元年一月一日、将軍義満が、その子義持に職をゆずった年、南朝の後小松天皇を父とし、伊予局を母として生れました。
しかし、一休さんを生んだ伊予局は、后宮の嫉妬のため、身に危険がせまったので、自分から皇居をのがれることになりました。つまり、一休さんは、日かげの身となったわけで、そんなことから、大徳寺の華叟禅師のもとに弟子入りし、仏門の人となったわけです。
乳母の玉江は、これも、高橋三位満実卿の妹で、りっぱな婦人でした。
一休さんは、幼時から、目から鼻に抜けるような、りこうな子供でしたが... | 一休さんが仏門に入ったのはなぜですか。 | 一休さんが仏門に入ったのは、母の伊予局が后宮による嫉妬のため、身の危険がせまり皇居をのがれることになったからです。そして一休さんは大徳寺の華叟禅師のもとに弟子入りし、仏門に入りました。 |
JCRRAG_006940 | 国語 | 私たちが、子供のころから、親しみなれてきた一休さんは、紫野大徳寺、四十七代目の住職として、天下にその智識高徳をうたわれた人でした。
一休さんは、応永元年一月一日、将軍義満が、その子義持に職をゆずった年、南朝の後小松天皇を父とし、伊予局を母として生れました。
しかし、一休さんを生んだ伊予局は、后宮の嫉妬のため、身に危険がせまったので、自分から皇居をのがれることになりました。つまり、一休さんは、日かげの身となったわけで、そんなことから、大徳寺の華叟禅師のもとに弟子入りし、仏門の人となったわけです。
乳母の玉江は、これも、高橋三位満実卿の妹で、りっぱな婦人でした。
一休さんは、幼時から、目から鼻に抜けるような、りこうな子供でしたが... | 一休さんが住職をつとめた寺の名前は何ですか。 | 一休さんが住職をつとめた寺の名前は紫野大徳寺です。 |
JCRRAG_006941 | 国語 | 私たちが、子供のころから、親しみなれてきた一休さんは、紫野大徳寺、四十七代目の住職として、天下にその智識高徳をうたわれた人でした。
一休さんは、応永元年一月一日、将軍義満が、その子義持に職をゆずった年、南朝の後小松天皇を父とし、伊予局を母として生れました。
しかし、一休さんを生んだ伊予局は、后宮の嫉妬のため、身に危険がせまったので、自分から皇居をのがれることになりました。つまり、一休さんは、日かげの身となったわけで、そんなことから、大徳寺の華叟禅師のもとに弟子入りし、仏門の人となったわけです。
乳母の玉江は、これも、高橋三位満実卿の妹で、りっぱな婦人でした。
一休さんは、幼時から、目から鼻に抜けるような、りこうな子供でしたが... | 一休さんの「とんち」はどの様な内容ですか。 | 一休さんの「とんち」は、こどもたちにもおもしろいばかりではなく、その一つ一つの話がためになるような内容です。 |
JCRRAG_006942 | 国語 | その夜、テレビジョン研究室の鍵をかけて外に出たのが、もう十二時近かった。裏門にいたる砂利道の上を、ザクザクと寒そうな音をたてて歩きながら、私はおもわず胴震いをした。
(今夜は一つ早く帰って、祝い酒でもやりたまえ。なにしろ教授になったんじゃないか。これで亡くなられた渋谷先生の霊も、もって瞑すべしだ。……)
と、昼間同僚たちがそういってくれた言葉が思い出された。祝い酒はともかくも、早く帰ったほうがよかったようなきがする。どうもさっきから、背中がゾクゾク寒いうえに、なんだか知らぬが、心が重い。暗闇のなかから、恐ろしい魔物がイキナリ飛びだしてきそうな気がして妙に不安でならない。運動不足から起きる狭心症の前徴ではないだろうか。いや、これは... | 渋谷先生が亡くなったのは何年前か。 | 渋谷先生が亡くなったのは三年前です。 |
JCRRAG_006943 | 国語 | その夜、テレビジョン研究室の鍵をかけて外に出たのが、もう十二時近かった。裏門にいたる砂利道の上を、ザクザクと寒そうな音をたてて歩きながら、私はおもわず胴震いをした。
(今夜は一つ早く帰って、祝い酒でもやりたまえ。なにしろ教授になったんじゃないか。これで亡くなられた渋谷先生の霊も、もって瞑すべしだ。……)
と、昼間同僚たちがそういってくれた言葉が思い出された。祝い酒はともかくも、早く帰ったほうがよかったようなきがする。どうもさっきから、背中がゾクゾク寒いうえに、なんだか知らぬが、心が重い。暗闇のなかから、恐ろしい魔物がイキナリ飛びだしてきそうな気がして妙に不安でならない。運動不足から起きる狭心症の前徴ではないだろうか。いや、これは... | 渋谷先生は何の発明を完成していたか。 | 渋谷先生は優秀な航空テレビジョン機の発明を完成していました。 |
JCRRAG_006944 | 国語 | その夜、テレビジョン研究室の鍵をかけて外に出たのが、もう十二時近かった。裏門にいたる砂利道の上を、ザクザクと寒そうな音をたてて歩きながら、私はおもわず胴震いをした。
(今夜は一つ早く帰って、祝い酒でもやりたまえ。なにしろ教授になったんじゃないか。これで亡くなられた渋谷先生の霊も、もって瞑すべしだ。……)
と、昼間同僚たちがそういってくれた言葉が思い出された。祝い酒はともかくも、早く帰ったほうがよかったようなきがする。どうもさっきから、背中がゾクゾク寒いうえに、なんだか知らぬが、心が重い。暗闇のなかから、恐ろしい魔物がイキナリ飛びだしてきそうな気がして妙に不安でならない。運動不足から起きる狭心症の前徴ではないだろうか。いや、これは... | 渋谷博士の最後はどのようなものだったか。 | 渋谷博士は、一塊の宇宙塵として天空にその姿を消しました。 |
JCRRAG_006945 | 国語 | その夜、テレビジョン研究室の鍵をかけて外に出たのが、もう十二時近かった。裏門にいたる砂利道の上を、ザクザクと寒そうな音をたてて歩きながら、私はおもわず胴震いをした。
(今夜は一つ早く帰って、祝い酒でもやりたまえ。なにしろ教授になったんじゃないか。これで亡くなられた渋谷先生の霊も、もって瞑すべしだ。……)
と、昼間同僚たちがそういってくれた言葉が思い出された。祝い酒はともかくも、早く帰ったほうがよかったようなきがする。どうもさっきから、背中がゾクゾク寒いうえに、なんだか知らぬが、心が重い。暗闇のなかから、恐ろしい魔物がイキナリ飛びだしてきそうな気がして妙に不安でならない。運動不足から起きる狭心症の前徴ではないだろうか。いや、これは... | 研究所に安置されていたロケット機「赤鬼号」は、だれが、どこから持ってきたか。 | 研究所に安置されていたロケット機「赤鬼号」は、シュミット博士がドイツから持ってきました。 |
JCRRAG_006946 | 国語 | その夜、テレビジョン研究室の鍵をかけて外に出たのが、もう十二時近かった。裏門にいたる砂利道の上を、ザクザクと寒そうな音をたてて歩きながら、私はおもわず胴震いをした。
(今夜は一つ早く帰って、祝い酒でもやりたまえ。なにしろ教授になったんじゃないか。これで亡くなられた渋谷先生の霊も、もって瞑すべしだ。……)
と、昼間同僚たちがそういってくれた言葉が思い出された。祝い酒はともかくも、早く帰ったほうがよかったようなきがする。どうもさっきから、背中がゾクゾク寒いうえに、なんだか知らぬが、心が重い。暗闇のなかから、恐ろしい魔物がイキナリ飛びだしてきそうな気がして妙に不安でならない。運動不足から起きる狭心症の前徴ではないだろうか。いや、これは... | 研究室の壁にかかっている小さい黒板には何が書かれていますか。 | 黒板には、渋谷先生から私への仕事が書かれています。 |
JCRRAG_006947 | 国語 | 出勤次第、第二号「テレビジョン」機ヲ「スタート」ノコト。受影機ノ同調周波数ヲ七万付近ニ選ビ、調整ノコト。陰極管ノ水冷ニ特ニ注意ヲ要ス。
この命令は私にちょっと不審を起させた。相手もないのに、受影をしてみるというのは意味のないことではないか。博士の心を推しはかりかねた私は、機械のところに来てみて、はじめてそれが意味のあることだとわかった。なぜなら、前日までそこに並べておいたはずの第一号テレビジョン機がなくなって、そのあとが歯の抜けたようにポッカリあいていたから。
(先生はどっかへ持ってゆかれて、送影を始められているのだ。しかし時間を書いてゆかれないのは、先生らしくないことだ)
あくまで鈍感な私は、昨夜のできごとをこの黒板の字に結び... | 受影機のスイッチを入れて現れた人間は、どのような姿をしていたか。 | 受影機のスイッチを入れて現れた人間は、防毒マスクのようなものをかぶっていました。そのマスク中央からは象の鼻のような三本のゴム管が垂れさがり、その先は高圧タンクの口につながっていました。 |
JCRRAG_006948 | 国語 | 出勤次第、第二号「テレビジョン」機ヲ「スタート」ノコト。受影機ノ同調周波数ヲ七万付近ニ選ビ、調整ノコト。陰極管ノ水冷ニ特ニ注意ヲ要ス。
この命令は私にちょっと不審を起させた。相手もないのに、受影をしてみるというのは意味のないことではないか。博士の心を推しはかりかねた私は、機械のところに来てみて、はじめてそれが意味のあることだとわかった。なぜなら、前日までそこに並べておいたはずの第一号テレビジョン機がなくなって、そのあとが歯の抜けたようにポッカリあいていたから。
(先生はどっかへ持ってゆかれて、送影を始められているのだ。しかし時間を書いてゆかれないのは、先生らしくないことだ)
あくまで鈍感な私は、昨夜のできごとをこの黒板の字に結び... | 渋谷博士がロケットのなかにいる理由はなんですか。 | 渋谷博士がロケットのなかにいる理由は、火星探検のテレビジョン放送をやるためです。 |
JCRRAG_006949 | 国語 | 出勤次第、第二号「テレビジョン」機ヲ「スタート」ノコト。受影機ノ同調周波数ヲ七万付近ニ選ビ、調整ノコト。陰極管ノ水冷ニ特ニ注意ヲ要ス。
この命令は私にちょっと不審を起させた。相手もないのに、受影をしてみるというのは意味のないことではないか。博士の心を推しはかりかねた私は、機械のところに来てみて、はじめてそれが意味のあることだとわかった。なぜなら、前日までそこに並べておいたはずの第一号テレビジョン機がなくなって、そのあとが歯の抜けたようにポッカリあいていたから。
(先生はどっかへ持ってゆかれて、送影を始められているのだ。しかし時間を書いてゆかれないのは、先生らしくないことだ)
あくまで鈍感な私は、昨夜のできごとをこの黒板の字に結び... | 満五カ月めになって、ロケット「赤鬼号」に起こった一大椿事は何か。 | 一大椿事とは、ロケット「赤鬼号」が故障を起して宇宙に宙ぶらりんになってしまったことです。 |
JCRRAG_006950 | 国語 | 出勤次第、第二号「テレビジョン」機ヲ「スタート」ノコト。受影機ノ同調周波数ヲ七万付近ニ選ビ、調整ノコト。陰極管ノ水冷ニ特ニ注意ヲ要ス。
この命令は私にちょっと不審を起させた。相手もないのに、受影をしてみるというのは意味のないことではないか。博士の心を推しはかりかねた私は、機械のところに来てみて、はじめてそれが意味のあることだとわかった。なぜなら、前日までそこに並べておいたはずの第一号テレビジョン機がなくなって、そのあとが歯の抜けたようにポッカリあいていたから。
(先生はどっかへ持ってゆかれて、送影を始められているのだ。しかし時間を書いてゆかれないのは、先生らしくないことだ)
あくまで鈍感な私は、昨夜のできごとをこの黒板の字に結び... | ロケット「赤鬼号」の宙ぶらりんの謎を解決したのはだれか。 | ロケット「赤鬼号」の宙ぶらりんの謎を解決したは、オランダの物理学者サール博士です。 |
JCRRAG_006951 | 国語 | 出勤次第、第二号「テレビジョン」機ヲ「スタート」ノコト。受影機ノ同調周波数ヲ七万付近ニ選ビ、調整ノコト。陰極管ノ水冷ニ特ニ注意ヲ要ス。
この命令は私にちょっと不審を起させた。相手もないのに、受影をしてみるというのは意味のないことではないか。博士の心を推しはかりかねた私は、機械のところに来てみて、はじめてそれが意味のあることだとわかった。なぜなら、前日までそこに並べておいたはずの第一号テレビジョン機がなくなって、そのあとが歯の抜けたようにポッカリあいていたから。
(先生はどっかへ持ってゆかれて、送影を始められているのだ。しかし時間を書いてゆかれないのは、先生らしくないことだ)
あくまで鈍感な私は、昨夜のできごとをこの黒板の字に結び... | サール博士は、赤鬼号の空間停止の原因を何だと言いましたか。 | 赤鬼号の空間停止の原因は、赤鬼号が万有引力との中点にとびこんでしまったからだと言いました。 |
JCRRAG_006952 | 国語 | 医学生吹矢隆二は、その日も朝から、腸のことばかり考えていた。
午後三時の時計がうつと、彼は外出した。
彼の住んでいる家というのは高架線のアーチの下を、家らしい恰好にしただけの、すこぶる風変りな住宅だった。
そういう風変りな家に住んでいる彼吹矢隆二という人物が、またすこぶる風変りな医学生であって、助手でもないくせに、大学医科にもう七年も在学しているという日本に一人とあって二人とない長期医学生であった。
そういうことになるのも、元来彼が課目制の学科試験を、気に入った分だけ受けることにし、決して欲ばらないということをモットーにしているのによる。されば入学以来七年もかかっているのに、まだ不合格の課目が五つほど残っていた。
彼は、... | 吹矢隆二は何者か。 | 吹矢隆二は医学生です。大学医科に七年も在学しています。 |
JCRRAG_006953 | 国語 | 医学生吹矢隆二は、その日も朝から、腸のことばかり考えていた。
午後三時の時計がうつと、彼は外出した。
彼の住んでいる家というのは高架線のアーチの下を、家らしい恰好にしただけの、すこぶる風変りな住宅だった。
そういう風変りな家に住んでいる彼吹矢隆二という人物が、またすこぶる風変りな医学生であって、助手でもないくせに、大学医科にもう七年も在学しているという日本に一人とあって二人とない長期医学生であった。
そういうことになるのも、元来彼が課目制の学科試験を、気に入った分だけ受けることにし、決して欲ばらないということをモットーにしているのによる。されば入学以来七年もかかっているのに、まだ不合格の課目が五つほど残っていた。
彼は、... | 吹矢隆二はどのような家に住んでいるか。 | 吹矢隆二は、高架線のアーチの下を、家らしい恰好にしただけの、すこぶる風変りな家に住んでいます。 |
JCRRAG_006954 | 国語 | 医学生吹矢隆二は、その日も朝から、腸のことばかり考えていた。
午後三時の時計がうつと、彼は外出した。
彼の住んでいる家というのは高架線のアーチの下を、家らしい恰好にしただけの、すこぶる風変りな住宅だった。
そういう風変りな家に住んでいる彼吹矢隆二という人物が、またすこぶる風変りな医学生であって、助手でもないくせに、大学医科にもう七年も在学しているという日本に一人とあって二人とない長期医学生であった。
そういうことになるのも、元来彼が課目制の学科試験を、気に入った分だけ受けることにし、決して欲ばらないということをモットーにしているのによる。されば入学以来七年もかかっているのに、まだ不合格の課目が五つほど残っていた。
彼は、学校に出かけ... | 吹矢隆二は、なぜ大学医科に七年も在学することになったのか。 | 吹矢隆二が、課目制の学科試験を気に入った分だけ受け、決して欲ばらないということをモットーにしているからです。 |
JCRRAG_006955 | 国語 | 医学生吹矢隆二は、その日も朝から、腸のことばかり考えていた。
午後三時の時計がうつと、彼は外出した。
彼の住んでいる家というのは高架線のアーチの下を、家らしい恰好にしただけの、すこぶる風変りな住宅だった。
そういう風変りな家に住んでいる彼吹矢隆二という人物が、またすこぶる風変りな医学生であって、助手でもないくせに、大学医科にもう七年も在学しているという日本に一人とあって二人とない長期医学生であった。
そういうことになるのも、元来彼が課目制の学科試験を、気に入った分だけ受けることにし、決して欲ばらないということをモットーにしているのによる。されば入学以来七年もかかっているのに、まだ不合格の課目が五つほど残っていた。
彼は、... | 吹矢隆二はどのような風貌をしているか。 | 吹矢隆二は、青い顔の上に、ライオンのように房づいた長髪をのせ、世にもかぼそい身体を、てかてかに擦れた金ボタンつきの黒い制服で包んでいます。 |
JCRRAG_006956 | 国語 | 医学生吹矢隆二は、その日も朝から、腸のことばかり考えていた。
午後三時の時計がうつと、彼は外出した。
彼の住んでいる家というのは高架線のアーチの下を、家らしい恰好にしただけの、すこぶる風変りな住宅だった。
そういう風変りな家に住んでいる彼吹矢隆二という人物が、またすこぶる風変りな医学生であって、助手でもないくせに、大学医科にもう七年も在学しているという日本に一人とあって二人とない長期医学生であった。
そういうことになるのも、元来彼が課目制の学科試験を、気に入った分だけ受けることにし、決して欲ばらないということをモットーにしているのによる。されば入学以来七年もかかっているのに、まだ不合格の課目が五つほど残っていた。
彼は、... | 熊本博士は、どのような人物か。 | 熊本博士は、世間からその美しい人格をたたえられている○○刑務病院の外科長です。マネキン人形のように美しい妻君をもっていて、またすくなからぬ貯金をつくったという幸福そのもののような医学者です。 |
JCRRAG_006957 | 国語 | 愛読作家についての断片
平林初之輔
私は、探偵小説は、手にはいるものは、見さかいなく、好きで読みますけれども、誰と言って、特別に好きな作家は、まずありません。
コナン・ドイルは、今でもそうとう面白く読めますが、いささか千遍一律なのが鼻につきます。数ケ月前、本誌〔『新青年』〕の増大号にのった長編小説などは、どうも感心しませんでした。ことに、印度インドあたりから、超自然の力をもった僧侶をひっぱりだしてきて手品の種を明かすなどは、全くまたかという感じしか与えません。印度といえばコナン・ドイルの印度に関する知識はよほど深いようであるが、あまりに、それが神秘化されすぎていて、読者にアナクロニズムの幻覚を起こさせるきらいがあります。
フラ... | 私は、ドゥーゼの作風について、どのように捉えているか。 | いかにも落ちついており、比較を求めればガボリオの作風にちょっと似ているよう。ガボリオよりも、近代的であり、北国的である。 |
JCRRAG_006958 | 国語 | 愛と平和を理想とする人間生活
宮本百合子
芥川さんでしたか「私達の生活の側に天国をもって来るとしたら、きっと退屈してしまって、死んでしまいたくなるだろう」って云われたように覚えてますが、それは私も同感に思います。ですから理想などというものは、実現されるまでのその間が楽しいものであって、充されてしまったら存外つまらぬものかもしれません。けれどもどんな人にも慾望や理想はいくらかずつは持っていましょうし、またそこに人生の面白味があるのではないでしょうか。
私のえがいているもの――そうですね、私は慾張りの方ですから、随分いろいろな慾望がありますけれど、日常の生活でいえば、さしあたり静かなところへ旅行したいと思っています。同じ旅行でも関西... | 「理想」について、どのように述べていますか。 | 理想というものは、実現されるまでのその間が楽しいものであって、充されてしまったら存外つまらないかも知れない。 |
JCRRAG_006959 | 国語 | “青い顔”
間所紗織
色は万国共通の言葉であり,どこの国へ行っても一目で理解し合えるものであると思っていましたのに,アメリカに留学した3年間に,外国人との色に対する感じ方の相違や習慣の相違にぶつかって,まごついたり,失敗したりしたことがありました。
アメリカに行ってしばらくの間,私は英語の学校に通いました。クラスには,ハンガリア人,ポーランド人,スペイン人,ユダヤ人等,世界中の様々の国から来た人達や,アメリカ人なのにスペイン語を話すプエルトリコ島からやって来た人達がまじって勉強していました。ある日,生徒の1人1人が順番に,与えられた単語を,他の単語を使って説明させられたことがありました。例えば,“誕生日”といわれたら“生れた... | クラスには、どんな国の人がいましたか。 | クラスには,ハンガリア人,ポーランド人,スペイン人,ユダヤ人等,世界中の様々の国から来た人達がいました。 |
JCRRAG_006960 | 国語 | ああ東京は食い倒れ
著者 古川緑波
戦争に負けてから、もう十年になる。戦前と戦後を比較してみると、色々と変化の跡があるが、食いものについて考えてみても、随分変った。
ちょいと気がつかないようなことで、よく見ると変っているのが、色々ある。
先ず、戦後はじめて、東京に出来た店に、ギョーザ屋がある。
以下、話は、東京中心であるから、そのつもりで、きいていただきたい。
ギョーザ屋とは、餃子(正しくは、鍋貼餃子)を食わせる店。むろん、これも支那料理(敗戦後、中華料理と言わなくちゃいけないと言われて来たが、もういいんだろうな、支那料理って言っても)の一種だから、戦前にだって、神戸の本場支那料理屋でも食わせていたし、又、赤坂の、もみぢでは... | ああ東京は食い倒れの著者は誰ですか。 | 著者は、古川緑波です。 |
JCRRAG_006961 | 国語 | ああ東京は食い倒れ
著者 古川緑波
戦争に負けてから、もう十年になる。戦前と戦後を比較してみると、色々と変化の跡があるが、食いものについて考えてみても、随分変った。
ちょいと気がつかないようなことで、よく見ると変っているのが、色々ある。
先ず、戦後はじめて、東京に出来た店に、ギョーザ屋がある。
以下、話は、東京中心であるから、そのつもりで、きいていただきたい。
ギョーザ屋とは、餃子(正しくは、鍋貼餃子)を食わせる店。むろん、これも支那料理(敗戦後、中華料理と言わなくちゃいけないと言われて来たが、もういいんだろうな、支那料理って言っても)の一種だから、戦前にだって、神戸の本場支那料理屋でも食わせていたし、又、赤坂の、もみぢでは... | 戦後初めて東京にできたお店は何でしょうか。 | 戦後初めて東京にできたお店は、ギョーザ屋さんです。 |
JCRRAG_006962 | 国語 | ああ東京は食い倒れ
著者 古川緑波
戦争に負けてから、もう十年になる。戦前と戦後を比較してみると、色々と変化の跡があるが、食いものについて考えてみても、随分変った。
ちょいと気がつかないようなことで、よく見ると変っているのが、色々ある。
先ず、戦後はじめて、東京に出来た店に、ギョーザ屋がある。
以下、話は、東京中心であるから、そのつもりで、きいていただきたい。
ギョーザ屋とは、餃子(正しくは、鍋貼餃子)を食わせる店。むろん、これも支那料理(敗戦後、中華料理と言わなくちゃいけないと言われて来たが、もういいんだろうな、支那料理って言っても)の一種だから、戦前にだって、神戸の本場支那料理屋でも食わせていたし、又、赤坂の、もみぢでは... | 支那料理とは何でしょうか。 | 支那料理とは、中華料理のことです。 |
JCRRAG_006963 | 国語 | ああ東京は食い倒れ
著者 古川緑波
戦争に負けてから、もう十年になる。戦前と戦後を比較してみると、色々と変化の跡があるが、食いものについて考えてみても、随分変った。
ちょいと気がつかないようなことで、よく見ると変っているのが、色々ある。
先ず、戦後はじめて、東京に出来た店に、ギョーザ屋がある。
以下、話は、東京中心であるから、そのつもりで、きいていただきたい。
ギョーザ屋とは、餃子(正しくは、鍋貼餃子)を食わせる店。むろん、これも支那料理(敗戦後、中華料理と言わなくちゃいけないと言われて来たが、もういいんだろうな、支那料理って言っても)の一種だから、戦前にだって、神戸の本場支那料理屋でも食わせていたし、又、赤坂の、もみぢでは... | 戦後の日本で一番多くなった食べ物屋さんは何ですか。 | 戦後は支那料理屋が一番多くなりました。 |
JCRRAG_006964 | 国語 | ああ東京は食い倒れ
著者 古川緑波
戦争に負けてから、もう十年になる。戦前と戦後を比較してみると、色々と変化の跡があるが、食いものについて考えてみても、随分変った。
ちょいと気がつかないようなことで、よく見ると変っているのが、色々ある。
先ず、戦後はじめて、東京に出来た店に、ギョーザ屋がある。
以下、話は、東京中心であるから、そのつもりで、きいていただきたい。
ギョーザ屋とは、餃子(正しくは、鍋貼餃子)を食わせる店。むろん、これも支那料理(敗戦後、中華料理と言わなくちゃいけないと言われて来たが、もういいんだろうな、支那料理って言っても)の一種だから、戦前にだって、神戸の本場支那料理屋でも食わせていたし、又、赤坂の、もみぢでは... | 支那料理屋が増えることで何のお店も増えましたか。 | 支那料理屋が増えることで、ゴハンもののお店も多くなりました。 |
JCRRAG_006965 | 国語 | アイヌ語学
知里真志保
アイヌ語の研究にかけては、世界的な権威として、その名声をうたわれているジョン・バチラー博士が、アイヌ語で説教をして、アイヌを感心させたという話が伝えられております。明治の中頃、といえば、アイヌがまだアイヌ語を使って暮らしていた時代なのでありますが、北海道の南の方の、とあるアイヌ部落に、当時まだ非常に若く、新進気鋭の牧師であられたバチラー博士があらわれて、部落のアイヌを集めて、キリスト教について、アイヌ語で説教を致しました。滔々と何時間か、アイヌ語でペラペラと説教をするのを、ポカンと口を開いたまま、呆気にとられて聞いていたアイヌたちは、博士の長い長いアイヌ語の説教が終ると、感嘆していったということであります。バ... | ジョン・バチラー博士はどのようにしてアイヌを感心させましたか。 | ジョン・バチラー博士がアイヌ語で説教をして、アイヌを感心させたという話が伝えられております。 |
JCRRAG_006966 | 国語 | アイヌ語学
知里真志保
アイヌ語の研究にかけては、世界的な権威として、その名声をうたわれているジョン・バチラー博士が、アイヌ語で説教をして、アイヌを感心させたという話が伝えられております。明治の中頃、といえば、アイヌがまだアイヌ語を使って暮らしていた時代なのでありますが、北海道の南の方の、とあるアイヌ部落に、当時まだ非常に若く、新進気鋭の牧師であられたバチラー博士があらわれて、部落のアイヌを集めて、キリスト教について、アイヌ語で説教を致しました。滔々と何時間か、アイヌ語でペラペラと説教をするのを、ポカンと口を開いたまま、呆気にとられて聞いていたアイヌたちは、博士の長い長いアイヌ語の説教が終ると、感嘆していったということであります。バ... | アイヌ語で説教をしたのは誰でしょうか。 | アイヌ語で説教をしたのは、ジョン・バチラー博士です。 |
JCRRAG_006967 | 国語 | アイヌ語学
知里真志保
アイヌ語の研究にかけては、世界的な権威として、その名声をうたわれているジョン・バチラー博士が、アイヌ語で説教をして、アイヌを感心させたという話が伝えられております。明治の中頃、といえば、アイヌがまだアイヌ語を使って暮らしていた時代なのでありますが、北海道の南の方の、とあるアイヌ部落に、当時まだ非常に若く、新進気鋭の牧師であられたバチラー博士があらわれて、部落のアイヌを集めて、キリスト教について、アイヌ語で説教を致しました。滔々と何時間か、アイヌ語でペラペラと説教をするのを、ポカンと口を開いたまま、呆気にとられて聞いていたアイヌたちは、博士の長い長いアイヌ語の説教が終ると、感嘆していったということであります。バ... | 古本屋の相場でアイヌ語の聖書などはいくらでしょうか。 | アイヌ語の聖書などの価格は、古本屋の相場で一冊何千円の高価となっております。 |
JCRRAG_006968 | 国語 | アイヌ語学
知里真志保
アイヌ語の研究にかけては、世界的な権威として、その名声をうたわれているジョン・バチラー博士が、アイヌ語で説教をして、アイヌを感心させたという話が伝えられております。明治の中頃、といえば、アイヌがまだアイヌ語を使って暮らしていた時代なのでありますが、北海道の南の方の、とあるアイヌ部落に、当時まだ非常に若く、新進気鋭の牧師であられたバチラー博士があらわれて、部落のアイヌを集めて、キリスト教について、アイヌ語で説教を致しました。滔々と何時間か、アイヌ語でペラペラと説教をするのを、ポカンと口を開いたまま、呆気にとられて聞いていたアイヌたちは、博士の長い長いアイヌ語の説教が終ると、感嘆していったということであります。バ... | アイヌ語でカムイは古くはどのような意味で、カムイコタンとはアイヌ語でどのような意味ですか。 | アイヌ語のカムイは古くは悪魔の意味で、カムイコタンというのは、「悪魔のいるおそろしい場所」の意味となっております。 |
JCRRAG_006969 | 国語 | アイヌ語学
知里真志保
アイヌ語の研究にかけては、世界的な権威として、その名声をうたわれているジョン・バチラー博士が、アイヌ語で説教をして、アイヌを感心させたという話が伝えられております。明治の中頃、といえば、アイヌがまだアイヌ語を使って暮らしていた時代なのでありますが、北海道の南の方の、とあるアイヌ部落に、当時まだ非常に若く、新進気鋭の牧師であられたバチラー博士があらわれて、部落のアイヌを集めて、キリスト教について、アイヌ語で説教を致しました。滔々と何時間か、アイヌ語でペラペラと説教をするのを、ポカンと口を開いたまま、呆気にとられて聞いていたアイヌたちは、博士の長い長いアイヌ語の説教が終ると、感嘆していったということであります。バ... | ポロとポンの意味は何ですか。 | ポロは「親の」という意味であり、ポンは「子の」という意味です。 |
JCRRAG_006970 | 国語 | 敬語は、相手を敬う気持ちを表す言い方で、
尊敬語・けんじょう語・ていねい語の3種類があります。
尊敬語とけんじょう語を正しく使い分けるには、その動作が、だれの動作かを考えます。
相手や話題になる人の動作の場合は尊敬語、自分や身内の動作の場合はけんじょう語を使いましょう。
■尊敬語…話す相手や話題になる人を敬う言い方。
・「〜れる・〜られる」を使う。
【例】 お客さまが来る。 → お客さまが来られる。
・「お(ご)〜になる」という言い方を使う。
【例】 先生が書く。 → 先生がお書きになる。
・特別な言い方を使う。
【例】 先生が教室に来る。 → 先生が教室にいらっしゃる。
■けんじょう語…自分や身内のことをけんそんして言う... | 尊敬語とけんじょう語を正しく使い分けるには、どうしたら良いですか。 | 相手や話題になる人の動作の場合は尊敬語、自分や身内の動作の場合はけんじょう語を使うようにすれば、尊敬語とけんじょう語を正しく使い分けることができます。 |
JCRRAG_006971 | 国語 | 敬語は、相手を敬う気持ちを表す言い方で、
尊敬語・けんじょう語・ていねい語の3種類があります。
尊敬語とけんじょう語を正しく使い分けるには、その動作が、だれの動作かを考えます。
相手や話題になる人の動作の場合は尊敬語、自分や身内の動作の場合はけんじょう語を使いましょう。
■尊敬語…話す相手や話題になる人を敬う言い方。
・「〜れる・〜られる」を使う。
【例】 お客さまが来る。 → お客さまが来られる。
・「お(ご)〜になる」という言い方を使う。
【例】 先生が書く。 → 先生がお書きになる。
・特別な言い方を使う。
【例】 先生が教室に来る。 → 先生が教室にいらっしゃる。
■けんじょう語…自分や身内のことをけんそんして言う... | 尊敬語とはどんな言い方ですか。 | 尊敬語とは、話す相手や話題になる人を敬う言い方です。 |
JCRRAG_006972 | 国語 | 敬語は、相手を敬う気持ちを表す言い方で、
尊敬語・けんじょう語・ていねい語の3種類があります。
尊敬語とけんじょう語を正しく使い分けるには、その動作が、だれの動作かを考えます。
相手や話題になる人の動作の場合は尊敬語、自分や身内の動作の場合はけんじょう語を使いましょう。
■尊敬語…話す相手や話題になる人を敬う言い方。
・「〜れる・〜られる」を使う。
【例】 お客さまが来る。 → お客さまが来られる。
・「お(ご)〜になる」という言い方を使う。
【例】 先生が書く。 → 先生がお書きになる。
・特別な言い方を使う。
【例】 先生が教室に来る。 → 先生が教室にいらっしゃる。
■けんじょう語…自分や身内のことをけんそんして言う... | けんじょう語とは何ですか。 | けんじょう語とは、自分や身内のことをけんそんして言うことで、話す相手や話題になっている人を敬う言い方のことです。 |
JCRRAG_006973 | 国語 | 敬語は、相手を敬う気持ちを表す言い方で、
尊敬語・けんじょう語・ていねい語の3種類があります。
尊敬語とけんじょう語を正しく使い分けるには、その動作が、だれの動作かを考えます。
相手や話題になる人の動作の場合は尊敬語、自分や身内の動作の場合はけんじょう語を使いましょう。
■尊敬語…話す相手や話題になる人を敬う言い方。
・「〜れる・〜られる」を使う。
【例】 お客さまが来る。 → お客さまが来られる。
・「お(ご)〜になる」という言い方を使う。
【例】 先生が書く。 → 先生がお書きになる。
・特別な言い方を使う。
【例】 先生が教室に来る。 → 先生が教室にいらっしゃる。
■けんじょう語…自分や身内のことをけんそんして言う... | ていねい語とは何ですか。 | ていねい語とは、話す相手に対し、ていねいに言う言い方です。 |
JCRRAG_006974 | 国語 | 修飾語とは、文の中で「どんな」「何を」「どのように」「どこで」などいろいろなことを表し、ほかの部分の内容をくわしく説明する部分のことです。
主語でも述語でもない部分が修飾語です。まずは、主語・述語がどれかを考えましょう。
【例】 桜の 花が とても 美しい。
この文の場合、主語は「花が」、述語は「美しい」です。
→残りの「桜の」と「とても」が、修飾語です。
次に、それぞれの修飾語がどの部分の内容をくわしくしているかを考えましょう。「くわしくしているのはこの部分かな?」と思う部分と続けて読んで、意味が通るかどうかを確認します。
[例]「桜の」という修飾語がどの部分をくわしくしているかを考える場合
図
→「桜の」は「何の」を表... | 修飾語とは何ですか。 | 修飾語とは、文の中で「どんな」「何を」「どのように」「どこで」などいろいろなことを表し、ほかの部分の内容をくわしく説明する部分のことです。主語でも述語でもない部分が修飾語、ということになります。 |
JCRRAG_006975 | 国語 | 漢字は、意味を考えながら勉強することが大切です。
漢字を勉強すると言えば、定期テスト対策が思い浮かぶでしょう。
定期テスト対策では、トメやハネがねらわれる漢字、字形が紛らわしい漢字(「微」「徴」の違いなど)を正確に覚えることや、読み書きの練習はしているかと思いますが、意味を覚えることをおろそかにしていませんか?
それだけでは実力テストや入試で出題される漢字に向けての十分な対策にはなりません。
普段から、意味を考えながら漢字を勉強しておくことで、初見の文章中で漢字が出題されても、文脈に合わせて漢字が書けるようになったり、実力テストでねらわれがちな、同音異義語、同訓異字に強くなれます。
同音異義語、同訓異字が実力テストなどでよく... | 漢字の意味を考えながら勉強するのはなぜ大切ですか。 | 漢字の意味を考えながら勉強していると、初見の文章中で漢字が出題されても文脈に合わせて漢字が書けるようになります。また、実力テストでねらわれがちな同音異義語や同訓異字にも強くなれます。 |
JCRRAG_006976 | 国語 | あるにちよう日のごご、丹下サト子ちゃんと、木村ミドリちゃんと、野崎サユリちゃんの三人が、友だちのところへあそびに行ったかえりに、世田谷区のさびしい町を、手をつないで歩いていました。三人とも、小学校三年生のなかよしです。
「あらっ。」
サト子ちゃんが、なにを見たのか、ぎょっとしたようにたちどまりました。
ミドリちゃんもサユリちゃんもびっくりして、サト子ちゃんの見つめている方をながめました。
すると、道のまん中に、みょうなことがおこっていたのです。むこうのマンホールのてつのふたが、じりり、じりりと、もち上がっているのです。だれか、マンホールの中にいるのでしょうか。
マンホールのふたは、すっかりひらいていました。そして、その下から... | サト子ちゃんが、ぎょっとしたようにたちどまったのはなぜですか。 | 道のまん中で、マンホールのてつのふたがじりり、じりりともち上がっていたので、サト子ちゃんはぎょっとしたようにたちどまりました。 |
JCRRAG_006977 | 国語 | あるにちよう日のごご、丹下サト子ちゃんと、木村ミドリちゃんと、野崎サユリちゃんの三人が、友だちのところへあそびに行ったかえりに、世田谷区のさびしい町を、手をつないで歩いていました。三人とも、小学校三年生のなかよしです。
「あらっ。」
サト子ちゃんが、なにを見たのか、ぎょっとしたようにたちどまりました。
ミドリちゃんもサユリちゃんもびっくりして、サト子ちゃんの見つめている方をながめました。
すると、道のまん中に、みょうなことがおこっていたのです。むこうのマンホールのてつのふたが、じりり、じりりと、もち上がっているのです。だれか、マンホールの中にいるのでしょうか。
マンホールのふたは、すっかりひらいていました。そして、その下から... | マンホールから出てきたのはどんな人ですか。 | マンホールからは、黒いマントをきた男の人が出てきました。その人はつばのひろいまっ黒なぼうしをかぶり、大きなめがねをかけ、口ひげがぴんと両方にはね上がっていて、黒い三かくのあごひげをはやしていました。 |
JCRRAG_006978 | 国語 | あるにちよう日のごご、丹下サト子ちゃんと、木村ミドリちゃんと、野崎サユリちゃんの三人が、友だちのところへあそびに行ったかえりに、世田谷区のさびしい町を、手をつないで歩いていました。三人とも、小学校三年生のなかよしです。
「あらっ。」
サト子ちゃんが、なにを見たのか、ぎょっとしたようにたちどまりました。
ミドリちゃんもサユリちゃんもびっくりして、サト子ちゃんの見つめている方をながめました。
すると、道のまん中に、みょうなことがおこっていたのです。むこうのマンホールのてつのふたが、じりり、じりりと、もち上がっているのです。だれか、マンホールの中にいるのでしょうか。
マンホールのふたは、すっかりひらいていました。そして、その下から... | ミドリちゃんのにいさんの名前は何ですか。 | ミドリちゃんのにいさんは、敏夫くんという名前です。 |
JCRRAG_006979 | 国語 | あるにちよう日のごご、丹下サト子ちゃんと、木村ミドリちゃんと、野崎サユリちゃんの三人が、友だちのところへあそびに行ったかえりに、世田谷区のさびしい町を、手をつないで歩いていました。三人とも、小学校三年生のなかよしです。
「あらっ。」
サト子ちゃんが、なにを見たのか、ぎょっとしたようにたちどまりました。
ミドリちゃんもサユリちゃんもびっくりして、サト子ちゃんの見つめている方をながめました。
すると、道のまん中に、みょうなことがおこっていたのです。むこうのマンホールのてつのふたが、じりり、じりりと、もち上がっているのです。だれか、マンホールの中にいるのでしょうか。
マンホールのふたは、すっかりひらいていました。そして、その下から... | ミドリちゃんが、黒いマントの男のあとをつけることにしたのはなぜでしたか。 | ミドリちゃんのにいさんの敏夫くんはしょうねんたんていだんいんで、ミドリちゃんもたんていのようなことがすきだったので、黒いマントの男のあとをつけることにしました。 |
JCRRAG_006980 | 国語 | 私は、北海道で生れて、北海道で育ち、二十才をすぎてから上京して、三十代を関西で送った。私の父は東北出身だったので、東北のズーズー弁と、北海道生れの、やや標準語に近い母の言葉を手本に私は成長した。私の父は、たいていの品物の下に「こ」をつけて話した。
例えば、「あそこの娘っこは、いい娘っこだが、まだ、こつこの犬っこをいじめているようでは、本当のいい娘っことは、いえないな」
たいへん機嫌のいい時など、父は、こんなふうに云った。北海道では、父と同じように「こっこ」という言葉はあるが、つづけて、「娘っこ、こつこ」とは云わないので、私たちは、そんなときには腹をかかえて笑った。父はそのほかにも、「茶碗っこ、酒っこ、鍋っこ」などとも云った。
... | 北海道で、「い」と「え」「す」と「し」の発音をまちがえていたのは誰でしたか。 | 北海道で、「い」と「え」「す」と「し」の発音をまちがえていたのは小学校や女学校の先生たちでした。 |
JCRRAG_006981 | 国語 | 私は、北海道で生れて、北海道で育ち、二十才をすぎてから上京して、三十代を関西で送った。私の父は東北出身だったので、東北のズーズー弁と、北海道生れの、やや標準語に近い母の言葉を手本に私は成長した。私の父は、たいていの品物の下に「こ」をつけて話した。
例えば、「あそこの娘っこは、いい娘っこだが、まだ、こつこの犬っこをいじめているようでは、本当のいい娘っことは、いえないな」
たいへん機嫌のいい時など、父は、こんなふうに云った。北海道では、父と同じように「こっこ」という言葉はあるが、つづけて、「娘っこ、こつこ」とは云わないので、私たちは、そんなときには腹をかかえて笑った。父はそのほかにも、「茶碗っこ、酒っこ、鍋っこ」などとも云った。
... | 「足」のことを、「あいやあ」、「手」のことを「てて」と言っていたのは誰ですか。 | 「足」のことを、「あいやあ」、「手」のことを「てて」と言っていたのは、私が阪神間のある町に住んでいたとき、隣家に住んでいた京都出身の婦人です。 |
JCRRAG_006982 | 国語 | 私は、北海道で生れて、北海道で育ち、二十才をすぎてから上京して、三十代を関西で送った。私の父は東北出身だったので、東北のズーズー弁と、北海道生れの、やや標準語に近い母の言葉を手本に私は成長した。私の父は、たいていの品物の下に「こ」をつけて話した。
例えば、「あそこの娘っこは、いい娘っこだが、まだ、こつこの犬っこをいじめているようでは、本当のいい娘っことは、いえないな」
たいへん機嫌のいい時など、父は、こんなふうに云った。北海道では、父と同じように「こっこ」という言葉はあるが、つづけて、「娘っこ、こつこ」とは云わないので、私たちは、そんなときには腹をかかえて笑った。父はそのほかにも、「茶碗っこ、酒っこ、鍋っこ」などとも云った。
... | 私が阪神間のある町に住んでいたとき、隣家に住んでいた婦人の言葉が今でも一番強く印象にのこっているのはなぜだったのですか。 | 私が阪神間のある町に住んでいたとき、隣家の婦人の言葉が今でも一番強く印象にのこっているのは、彼女が京都の先斗町という花柳界の出身で、一般人よりも更に封建的な言葉をつかっていたからです。 |
JCRRAG_006983 | 国語 | 私は、北海道で生れて、北海道で育ち、二十才をすぎてから上京して、三十代を関西で送った。私の父は東北出身だったので、東北のズーズー弁と、北海道生れの、やや標準語に近い母の言葉を手本に私は成長した。私の父は、たいていの品物の下に「こ」をつけて話した。
例えば、「あそこの娘っこは、いい娘っこだが、まだ、こつこの犬っこをいじめているようでは、本当のいい娘っことは、いえないな」
たいへん機嫌のいい時など、父は、こんなふうに云った。北海道では、父と同じように「こっこ」という言葉はあるが、つづけて、「娘っこ、こつこ」とは云わないので、私たちは、そんなときには腹をかかえて笑った。父はそのほかにも、「茶碗っこ、酒っこ、鍋っこ」などとも云った。
... | ある日、隣家の婦人の子どもが病気になったとき、婦人が顔色をかえて私の家へ駈けてきたのはなぜですか。 | ある日、隣家の婦人が、顔色をかえて私の家へ駈けてきたのは、手伝いにきた家政婦が朝鮮語を話していて、自分の言葉が通じなかったからです。 |
JCRRAG_006984 | 国語 | 私は、北海道で生れて、北海道で育ち、二十才をすぎてから上京して、三十代を関西で送った。私の父は東北出身だったので、東北のズーズー弁と、北海道生れの、やや標準語に近い母の言葉を手本に私は成長した。私の父は、たいていの品物の下に「こ」をつけて話した。
例えば、「あそこの娘っこは、いい娘っこだが、まだ、こつこの犬っこをいじめているようでは、本当のいい娘っことは、いえないな」
たいへん機嫌のいい時など、父は、こんなふうに云った。北海道では、父と同じように「こっこ」という言葉はあるが、つづけて、「娘っこ、こつこ」とは云わないので、私たちは、そんなときには腹をかかえて笑った。父はそのほかにも、「茶碗っこ、酒っこ、鍋っこ」などとも云った。
... | 隣家の婦人の家にやってきた家政婦の出身は、どこですか。 | 隣家の婦人の家にやってきた家政婦の出身は福島県、会津です。彼女は私の住んでいる地域に親戚がいて、五日前に来たばかりでした。 |
JCRRAG_006985 | 国語 | ゼサップ氏の本に引用されている「悪魔の足跡」というのは、非常に不思議な現象である。
英国の南西部に、デヴォン州という州がある。一八五五年二月七日の夜、その州に大雪が降った。翌朝人々はいつものとおり働きに出かけたのであるが、新しく積もった雪の表面に、不思議な足跡を発見した。
それは馬蹄型の跡で、長さ四インチ、幅三インチくらいあった。不思議なことには、この足跡は、一直線にならんでいて、互いの距離は一定、どれも正確に八インチ半と決まっていた。それに普通の鳥や獣の足跡だったら、一方に雪をけっているはずなのに、この足跡は、垂直に雪を圧しつけた形になっていた。
伝え聞いた人々は、大勢集まって来て、小田原評定をした。そしてこういうことの好... | デヴォン州はどこにあるか。 | デヴォン州は、英国の南西部にあります。 |
JCRRAG_006986 | 国語 | ゼサップ氏の本に引用されている「悪魔の足跡」というのは、非常に不思議な現象である。
英国の南西部に、デヴォン州という州がある。一八五五年二月七日の夜、その州に大雪が降った。翌朝人々はいつものとおり働きに出かけたのであるが、新しく積もった雪の表面に、不思議な足跡を発見した。
それは馬蹄型の跡で、長さ四インチ、幅三インチくらいあった。不思議なことには、この足跡は、一直線にならんでいて、互いの距離は一定、どれも正確に八インチ半と決まっていた。それに普通の鳥や獣の足跡だったら、一方に雪をけっているはずなのに、この足跡は、垂直に雪を圧しつけた形になっていた。
伝え聞いた人々は、大勢集まって来て、小田原評定をした。そしてこういうことの好... | 一八五五年二月七日の翌朝に発見された不思議な足跡は、どのような足跡だったか。 | 不思議な足跡は、長さ四インチ、幅三インチくらいの馬蹄型でした。また、一直線にならんでいて、互いの距離はどれも八インチ半で、垂直に雪を圧しつけた形になっていました。 |
JCRRAG_006987 | 国語 | ゼサップ氏の本に引用されている「悪魔の足跡」というのは、非常に不思議な現象である。
英国の南西部に、デヴォン州という州がある。一八五五年二月七日の夜、その州に大雪が降った。翌朝人々はいつものとおり働きに出かけたのであるが、新しく積もった雪の表面に、不思議な足跡を発見した。
それは馬蹄型の跡で、長さ四インチ、幅三インチくらいあった。不思議なことには、この足跡は、一直線にならんでいて、互いの距離は一定、どれも正確に八インチ半と決まっていた。それに普通の鳥や獣の足跡だったら、一方に雪をけっているはずなのに、この足跡は、垂直に雪を圧しつけた形になっていた。
伝え聞いた人々は、大勢集まって来て、小田原評定をした。そしてこういうことの好... | 人々が足跡をつけて行くのを止めたのはなぜか。 | 足跡をつけて行くのを止めたのは、この足跡がどうしても鳥や獣の足跡とは考えられないことが出て来たからです。 |
JCRRAG_006988 | 国語 | ゼサップ氏の本に引用されている「悪魔の足跡」というのは、非常に不思議な現象である。
英国の南西部に、デヴォン州という州がある。一八五五年二月七日の夜、その州に大雪が降った。翌朝人々はいつものとおり働きに出かけたのであるが、新しく積もった雪の表面に、不思議な足跡を発見した。
それは馬蹄型の跡で、長さ四インチ、幅三インチくらいあった。不思議なことには、この足跡は、一直線にならんでいて、互いの距離は一定、どれも正確に八インチ半と決まっていた。それに普通の鳥や獣の足跡だったら、一方に雪をけっているはずなのに、この足跡は、垂直に雪を圧しつけた形になっていた。
伝え聞いた人々は、大勢集まって来て、小田原評定をした。そしてこういうことの好... | エクゼ河を横切った足跡は、どのような足跡だったか。 | エクゼ河を横切った足跡は、堤防のところで切れ、その対岸に、延長線に沿ってつづいていました。何列もあった足跡の総延長は、百マイル以上に上っていました。 |
JCRRAG_006989 | 国語 | ゼサップ氏の本に引用されている「悪魔の足跡」というのは、非常に不思議な現象である。
英国の南西部に、デヴォン州という州がある。一八五五年二月七日の夜、その州に大雪が降った。翌朝人々はいつものとおり働きに出かけたのであるが、新しく積もった雪の表面に、不思議な足跡を発見した。
それは馬蹄型の跡で、長さ四インチ、幅三インチくらいあった。不思議なことには、この足跡は、一直線にならんでいて、互いの距離は一定、どれも正確に八インチ半と決まっていた。それに普通の鳥や獣の足跡だったら、一方に雪をけっているはずなのに、この足跡は、垂直に雪を圧しつけた形になっていた。
伝え聞いた人々は、大勢集まって来て、小田原評定をした。そしてこういうことの好... | 足跡の事件が当時の英国で大評判になったのはなぜか。 | 足跡の事件が大評判になったのは、一八四〇年に、スコットランドの山岳地帯で、不思議な動物の足跡が、数回発見された記憶がまだ残っていたからです。その時も普通の四足獣の足跡ではないということがわかっただけで、正体はつかめませんでした。 |
JCRRAG_006990 | 国語 | 私はごく普通のフランス風のサラダが好きである。レタスとトマトを、酢とオリーブ油でドレスしただけの簡単なサラダのことである。洋食は、一般にいってあまり好かないが、このサラダだけは例外で、食卓に出ていると、つい先に手が出る。
ものの好き嫌いなどというものは、たいてい子供の頃か、せいぜい二十代までの生活環境できまるものらしい。私がこのサラダを好きになったのは、若い頃、もう三十年も昔のことであるが、ロンドンに留学していた頃に、下宿で毎晩非常にうまいサラダを食わされたのが、今日まで後をひいているようである。
大学を出て、三年間理研で、寺田寅彦先生の助手をつとめていたが、北海道大学に理学部が出来ることになって、急に文部省の留学生として、ロ... | 私が好きなフランス風サラダとはどのようなサラダか。 | フランス風サラダとは、レタスとトマトを、酢とオリーブ油でドレスしただけの簡単なサラダです。 |
JCRRAG_006991 | 国語 | 私はごく普通のフランス風のサラダが好きである。レタスとトマトを、酢とオリーブ油でドレスしただけの簡単なサラダのことである。洋食は、一般にいってあまり好かないが、このサラダだけは例外で、食卓に出ていると、つい先に手が出る。
ものの好き嫌いなどというものは、たいてい子供の頃か、せいぜい二十代までの生活環境できまるものらしい。私がこのサラダを好きになったのは、若い頃、もう三十年も昔のことであるが、ロンドンに留学していた頃に、下宿で毎晩非常にうまいサラダを食わされたのが、今日まで後をひいているようである。
大学を出て、三年間理研で、寺田寅彦先生の助手をつとめていたが、北海道大学に理学部が出来ることになって、急に文部省の留学生として、ロ... | 私がフランス風のサラダを好きになったのはいつで、その理由はなにか。 | 私がフランス風のサラダを好きになったのは、ロンドンに留学していた頃で、下宿で毎晩非常にうまいサラダを食わされたからです。 |
JCRRAG_006992 | 国語 | 私はごく普通のフランス風のサラダが好きである。レタスとトマトを、酢とオリーブ油でドレスしただけの簡単なサラダのことである。洋食は、一般にいってあまり好かないが、このサラダだけは例外で、食卓に出ていると、つい先に手が出る。
ものの好き嫌いなどというものは、たいてい子供の頃か、せいぜい二十代までの生活環境できまるものらしい。私がこのサラダを好きになったのは、若い頃、もう三十年も昔のことであるが、ロンドンに留学していた頃に、下宿で毎晩非常にうまいサラダを食わされたのが、今日まで後をひいているようである。
大学を出て、三年間理研で、寺田寅彦先生の助手をつとめていたが、北海道大学に理学部が出来ることになって、急に文部省の留学生として、ロ... | 私がロンドンへ留学することになったとき、心細い思いをしたのはなぜか。 | 心細い思いをしたのは、ロンドン人は、人づき合いが悪く、世界で一番英語の通じないところだといわれているロンドンに、日本でも田舎育ちの若い者が、突如として放り出されたからです。 |
JCRRAG_006993 | 国語 | 私はごく普通のフランス風のサラダが好きである。レタスとトマトを、酢とオリーブ油でドレスしただけの簡単なサラダのことである。洋食は、一般にいってあまり好かないが、このサラダだけは例外で、食卓に出ていると、つい先に手が出る。
ものの好き嫌いなどというものは、たいてい子供の頃か、せいぜい二十代までの生活環境できまるものらしい。私がこのサラダを好きになったのは、若い頃、もう三十年も昔のことであるが、ロンドンに留学していた頃に、下宿で毎晩非常にうまいサラダを食わされたのが、今日まで後をひいているようである。
大学を出て、三年間理研で、寺田寅彦先生の助手をつとめていたが、北海道大学に理学部が出来ることになって、急に文部省の留学生として、ロ... | ロンドンの下宿先の夫人はどのような人だったか。 | 下宿先の夫人は、フランス人で日本に好意をもっていたようで、親身になって世話をしてくれました。また、料理自慢の人で、毎晩たいへんな御馳走をつくってくれました。 |
JCRRAG_006994 | 国語 | 私はごく普通のフランス風のサラダが好きである。レタスとトマトを、酢とオリーブ油でドレスしただけの簡単なサラダのことである。洋食は、一般にいってあまり好かないが、このサラダだけは例外で、食卓に出ていると、つい先に手が出る。
ものの好き嫌いなどというものは、たいてい子供の頃か、せいぜい二十代までの生活環境できまるものらしい。私がこのサラダを好きになったのは、若い頃、もう三十年も昔のことであるが、ロンドンに留学していた頃に、下宿で毎晩非常にうまいサラダを食わされたのが、今日まで後をひいているようである。
大学を出て、三年間理研で、寺田寅彦先生の助手をつとめていたが、北海道大学に理学部が出来ることになって、急に文部省の留学生として、ロ... | 私がサラダをおいしくするこつだと思ったことはなにか。 | サラダをおいしくするこつだと思ったことは、レタスを木鉢に一杯入れたあと、何か石鹸のかけらみたようなものを、パンの切れはしにこすりつけて、それをサラダの中に入れることです。 |
JCRRAG_006995 | 国語 | 発動機の工合がわるくて、台所へ水が出なくなった。父が、寝室へ入って老人らしい鳥打帽をかぶり、外へ出て行った。暖炉に火が燃え、鳩時計は細長い松ぼっくりのような分銅をきしませつつ時を刻んでいる。露台の硝子越しに見える松の並木、その梢の間に閃いている遠い海面の濃い狭い藍色。きのう雪が降ったのが今日は燦らかに晴れているから、幅広い日光と一緒に、潮の香が炉辺まで来そうだ。光りを背に受けて、露台の籐椅子にくつろいだ装で母がいる。彼女は不機嫌であった。いつも来る毎に水がうまく出ないから腹を立てるのであった。
「――今度は私がその何とか云う男にじかに会ってみっちり言ってやる。いくら計算は計算でも水が出なけりゃ迷惑をするのは私達ばかりだ」
編物を... | 台所へ水が出なくなったのはなぜですか。 | 発動機の工合がわるくて水が出なくなりました。 |
JCRRAG_006996 | 国語 | 発動機の工合がわるくて、台所へ水が出なくなった。父が、寝室へ入って老人らしい鳥打帽をかぶり、外へ出て行った。暖炉に火が燃え、鳩時計は細長い松ぼっくりのような分銅をきしませつつ時を刻んでいる。露台の硝子越しに見える松の並木、その梢の間に閃いている遠い海面の濃い狭い藍色。きのう雪が降ったのが今日は燦らかに晴れているから、幅広い日光と一緒に、潮の香が炉辺まで来そうだ。光りを背に受けて、露台の籐椅子にくつろいだ装で母がいる。彼女は不機嫌であった。いつも来る毎に水がうまく出ないから腹を立てるのであった。
「――今度は私がその何とか云う男にじかに会ってみっちり言ってやる。いくら計算は計算でも水が出なけりゃ迷惑をするのは私達ばかりだ」
編物を... | 母が不機嫌だったのはなぜですか。 | 母が不機嫌だったのは、いつも来る毎に水がうまく出なくてからです。 |
JCRRAG_006997 | 国語 | 発動機の工合がわるくて、台所へ水が出なくなった。父が、寝室へ入って老人らしい鳥打帽をかぶり、外へ出て行った。暖炉に火が燃え、鳩時計は細長い松ぼっくりのような分銅をきしませつつ時を刻んでいる。露台の硝子越しに見える松の並木、その梢の間に閃いている遠い海面の濃い狭い藍色。きのう雪が降ったのが今日は燦らかに晴れているから、幅広い日光と一緒に、潮の香が炉辺まで来そうだ。光りを背に受けて、露台の籐椅子にくつろいだ装で母がいる。彼女は不機嫌であった。いつも来る毎に水がうまく出ないから腹を立てるのであった。
「――今度は私がその何とか云う男にじかに会ってみっちり言ってやる。いくら計算は計算でも水が出なけりゃ迷惑をするのは私達ばかりだ」
編物を... | 晴子は長椅子で何をしていましたか。 | 晴子は長椅子の隅に丸まって少女雑誌を読んでいました。 |
JCRRAG_006998 | 国語 | 発動機の工合がわるくて、台所へ水が出なくなった。父が、寝室へ入って老人らしい鳥打帽をかぶり、外へ出て行った。暖炉に火が燃え、鳩時計は細長い松ぼっくりのような分銅をきしませつつ時を刻んでいる。露台の硝子越しに見える松の並木、その梢の間に閃いている遠い海面の濃い狭い藍色。きのう雪が降ったのが今日は燦らかに晴れているから、幅広い日光と一緒に、潮の香が炉辺まで来そうだ。光りを背に受けて、露台の籐椅子にくつろいだ装で母がいる。彼女は不機嫌であった。いつも来る毎に水がうまく出ないから腹を立てるのであった。
「――今度は私がその何とか云う男にじかに会ってみっちり言ってやる。いくら計算は計算でも水が出なけりゃ迷惑をするのは私達ばかりだ」
編物を... | 母は何の病気で何歳でしたか。 | 母は糖尿病で、五十三歳でした。 |
JCRRAG_006999 | 国語 | 発動機の工合がわるくて、台所へ水が出なくなった。父が、寝室へ入って老人らしい鳥打帽をかぶり、外へ出て行った。暖炉に火が燃え、鳩時計は細長い松ぼっくりのような分銅をきしませつつ時を刻んでいる。露台の硝子越しに見える松の並木、その梢の間に閃いている遠い海面の濃い狭い藍色。きのう雪が降ったのが今日は燦らかに晴れているから、幅広い日光と一緒に、潮の香が炉辺まで来そうだ。光りを背に受けて、露台の籐椅子にくつろいだ装で母がいる。彼女は不機嫌であった。いつも来る毎に水がうまく出ないから腹を立てるのであった。
「――今度は私がその何とか云う男にじかに会ってみっちり言ってやる。いくら計算は計算でも水が出なけりゃ迷惑をするのは私達ばかりだ」
編物を... | みわは十七位のとき、何をしていましたか。 | みわは十七位のとき、まだ赤坊であった佐和子の世話をして、両親と任地の北海道まで行きました。 |
JCRRAG_007000 | 国語 | 風がやはり吹いた。海が次第に重い銅色になって来た。光りの消えた砂浜を小急ぎに、父を真中にやって来ると、白斑の犬が一匹船の横から出て来た。
「こい、こい」
晴子が手を出すと、尾を振りながら跟いて来た。
「何だお前の名は――ポチか? え?」
そして、父が短い口笛で愛想した。
「ポチかもしれないわ。なんだかポチ的表情よ平凡で」
浜は遠い箱根の裾までひろがっているのに見渡す限り人影もない。犬も淋しそうであった。頻りに尾を振り、前になり、後になり、真白な泡になってサーと足許に迫って来る潮を一向恐れず元気に汀を走るのが海辺の犬らしかった。父がやがて、
「気をつけなさい。狂犬だといけないよ」と注意した。
晴子が、
「狂犬だって!」
と、大... | 白斑の犬はどこから出てきましたか。 | 白斑の犬は船の横から出て来ました。 |
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